仕事は楽しいかね?〜1巻

さて、今回は趣向を変えて1冊の本の切り抜き文とその本について学んだ私の感想を間に挟んでお届けする記事とします。本っていうのはさらっと読めるんですが読みやすい本は忘れてしまいますからね、私の記憶の定着の場にもしようと考えております。それではどうぞ。

ある「試す事」大好きお爺さんと人生に打ちひしがれている青年の話。
伝えたい内容はただ一つ「試す事」。ありとあらゆる実例を「試す」という言葉に置き換えて人生のより良い生き方を提唱している。
青年は出世ができないのが悩みの種だった。
このまま普遍的な生活を送っていれば生きてるのか死んでるのか分からないという。自己啓発を読み奮い立つが妻子もいて自由が効かない。
どうしようもできないと考えているがお爺さんがこの言葉を授ける。
「人生とは、くだらないことが一つまた一つと続いていくのではない。一つのくだらないことが〈何度も〉繰り返されていくのだよ。」
つまりこういうこと。人は皆違った問題に悩まされていると考えるが、見方を変えれば問題は共通しているという事。
すごく抽象的表現で分かりづらいが読み進めていこう。
今の現代人は退屈と不安が共存している
仕事で退屈さを感じているが、不安でどこにも行けない、或いは何もしない、又はそれに気づかないふりをしている人を意味している。なるほど確かにその通りだ。サラリーマンに例えると分かりやすい。みんな成功を求めてるのに離職するのは怖く日々の仕事の退屈さと辞めることの不安を覚えている。
目標や計画なんて立てるだけ無駄だよ
人生は複雑すぎて計画が困難である。私もそれは限りなく実感している。単一的な表面を切り取った、学校のテストのようなものが人生ではなく、だからこそ計画は立てるだけ無駄だよというニュアンスで話している。なるほど。計画とのずれで悩む日々が多くあったが参考になるかもしれない。
ただある程度目標は必要だろう。ざっくりとした目標。だけれどもそれはざっくりしていい。日々の目標は素晴らしく小さくていい。
理想の仕事についてちゃんとした考えを持っていないなら、物足りなさや取り残されたような思いを抱くだろうってことなんだ。」
理想の仕事なんて見つかるのだろうか。それはどうすれば見つかるのだろう。数値では測っていないがそれこそ多くの人は理想の仕事などもってないように感じる。でも理想の自分は持っているのではないかな。例えば友達は部長になりたいという、例えば田舎でスローライフを送りたいと、例えば週末のアクティビティを全力でしたい人やゴルフをずっとしてたい人。私に関してはずっと「熱くなれるなにか」を探している感覚さえある
だから皆理想の自分になるために、少なからず努力している感じはある。たまたま私の熱量のベクトルが仕事にも向けられるものだから仕事を頑張りたい、起業したいと思うようになったが、他の人の理想には仕事が絡まないことが多い。その理想を把握しないでその人の生き方を否定するのは大きく間違っているが、同士のアドバイスを聞きにくい事は残念である。話を戻すが物足りなさや取り残されたような思いを抱くだろうという表現はまさしく私を指しているだろう。以前の第一号記事にも記載したが私は今年27歳の社会人5年目にして、9月より3社目に移る。1社目は1年でやめ、2社目は3年半で辞める事になる。いわばジョブホッパーもどきである。辞めた2社に共通していたのは「この先50年もこれをやり続けることは無理」という感覚。そしてふらふらしてはいるが周りから少しずつ信頼されるように仕事をしてきて、平たく低いレベルのビジネススキルは身についており、また得意な事とやりたい事、人から評価を受けやすい事が少しづつ分かってきた。故に、3社目も通過点かもしれないが、「理想の自分になるために」転職するのである。話が脱線しすぎて申し訳ないが本書ではジョブホッパーになりなさいなんて事は全く謳っていない。そして私もそれは謳わない。なぜなら面倒だから。本書では理想の仕事などには特に触れず、「試す」ことに価値を見出せと言っている。試して変化することは楽しい事だと。それでは続きを読んでみよう。
「目標がなければ、進歩の度合いをはかることができません。それはつまり、軌道修正ができないということです。あなたの考えはただ〈あちこちに飛んでいる〉だけだ」
これは青年の言葉である。目標や計画をとかく大事にしろと言われ育ったから痛く共感する。
人生はそんなに規則正しいものじゃないよ。だから自分を管理するための目標なんて糞食らえだと。今日の目標は明日のマンネリなんだよ。
だから「明日は今日と違う自分になる」
「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」

たしかにとうなずけた。自分が試した、あらゆる自己啓発ツールは、何も生み出さなかったということを。そろそろ皆さんお気付きかもしれない。「試す人間になるには」の方法が書いてないと。安心していただきたいのは、活かせそうな方法は3つほど後半に叙述される。但しHowへの渇望、さも解があるような思考は捨てた方がいいだろう。この哲学書というか啓発書の読み方は抽象的な概念を咀嚼して自分の価値観を変性していくことでしか利点は得られない。
だから〝遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る〟
きみの思考は、学生モードのままなんだよ。この課題をすべてやっておきなさい、そうすればAがとれますよってね。
「もちろん、きみはまず成功の前提条件を、すべてそろえなければならない。もし、頭が切れなかったり、勤勉でなかったりしたら、きみは十回のうち十回とも失敗することになるだろう。だけど、もし適切なことをしっかりやったら、どうなると思う? 十回中、失敗するのは九回になるんだよ」

何度となく〝表〟を出すコインの投げ手は、何度となく投げているのだということを。
僕たちはそのコツを勉強して、〝まぐれ当たり専門家〟になるべきかもしれないよ」
人生は複雑すぎて解がない。求める解さえも変性していくからである。だから常にいいと思う方にコインを投げ続ける。ほぼほぼ上手く行かないが何かしら当たるかも知れない。これはその通りだ。ただ努力という言葉を付け足せばどうだろう。努力を全くしない人でもたまたまのあたりが出るという事になる。努力をせずに確率が同じであれば皆努力をしない方を選ぶ。ただ別の視点で見ると努力はリスクヘッジになるだろう。偶然当たる人の確率が上がる事は少ないかもしれないが、同時に落ちぶれるリスクも減る。その点努力の効果は大きいだろう。
思いつき〟と〝偶然の出来事〟は異母兄弟なんだ。注意さえ払い始めたら、目にできるありとあらゆるところに偶然が転がっているのがわかると思うよ」ときにはコインを投げる必要がないこともある──アイデアのほうから玄関先までやってきてくれるんだ。
なるほど。アイデアとは偶然閃くもの。問題が起こって対処して、時には向こうから問題がきて。自分が知っている知識を増やしてその知識を活用して、組み合わせて新しいアイディアにする。だからインプットはアイディアには必需品なんだ。アイディアはその辺に落ちている、この意味は楽しく暮らしていれば全てがアイディアになりうるよの意味。アイディアはある種もののように捉えているのだろう。
あくまで成功するには、多くの人はこれを望んでいるが、計画なんて立てなくてもよい。ただし自分の計画に酔いしれて快感を覚える人は計画を立てればいいだろう。計画で、目標で何を得たいのか、今一度考えてみるべきだ。
論理的思考、なんてものは話しやすいから使っているようなものだ。事実というのは弱い者につけ込む。現実的な情報をこれでもか、これでもかと出してもくる。惚れ込むことのできる車がほしいなら──まずこの車だと決めて、それから事実を調べること。きみが車を選ぶんじゃない──車にきみを選んでもらうんだ」
ビジネスなんてそんなものだと自覚する機会が多い。誰かが好きだから、結局はそれに終着する。先ほどの努力というキーワードと論理的思考というものはとても相関があるように思う。かくゆう私もビジネスパーソンとしてビジネスマンと話すためだけに論理的思考を磨いている。論理的思考があればケチをつけられず、ある程度の評価が得やすく、何よりビジネスの共通言語で仕事がしやすいからである。
お爺さんははなりたい自分があってその道が理路整然としてない事に気づいたんだ。それなら試行した方が自分の道につながるだろうと。なんとなく腑に落ちた。自分も結局は試せてはいるが、いいビジネスパーソンや、仕事ができるとは、それさえクリアしてれば偉大になれると勘違いしていた。既に圧倒的な得意な分野がある人はいいが。まだ見つけられない自分にとっては「試す事」をしていればよい。ただどのようにして試していけばいいか、そこまで深く分かり切ってない。今わかっている事は大きくなろうとし過ぎない事。小さく、小さく、変わっていってそれを楽しむこと。そちらの方がより人生を豊かに生きれる
望みうる最良のものは、手に入れたものを好きになることなんだよ。
つまり仕事においてはその仕事を好きになるまで待つか、好きになれなきゃとっとと転職しろと解釈している。本来仕事の最適化とは得意なところを得意な人がやればいいのに、社会というのは実に捻れてる。
日々試す事。それなら継ぎ足し継ぎ足し、その味を好んで食べにきている人は?いや実は毎度味が変わっているのかも。だから新しく、似たような味だが、これはお母さんの手料理でもそうだが、うまく感じるのかもしれない。
他人の成功を真似する人たちは一つところに群がって、しかも小競り合いをするのに忙しいものだから、先導者に、つまり革新者に追いつくことができないんだ」
お爺さんがいうこの言葉は論理性の先にいるから発言できているのだろう。お爺さんの目標に届くためには論理性だけでは到達できず次のステージに登る必要がある。つまり「起業したいけど何したいか分からん」という社会人1年目はこのステージに辿り着かなければならない。ただ段階があるためまずは努力で論理性を。そこを通ってから進めば基礎がガシッと固まる気がする。
彼らは往々にして自分の歩んできた道のりを整然と語って、プロフェッショナルとはかくあるべき、みたいに思わせてしまうんだ
ある種決まった答えがあるなら、論理性とレスポンスを早くする、ボールを誰が持っているか教えるくらいかな。それくらいしか仕事ができる人の共通項は思いつかないな。
成功するというのはね、右に倣えをしないっていうことなんだ。ピカソの絵の写真を切り抜いてコピー機にかけても、ピカソにはなれない。有能で勤勉であることによってくじを買う。彼らはね、他人を凌駕する人材になろうとしているけど、 それを他人と同じような人間になることで 達成しようとしているんだ。手に入るのはせいぜい、その業界の上位十パーセントに入るという十分の一の確率のチャンスくらいなものだ。一つの職業に、一つのチャンス、そして十分の一の可能性というわけだ」
「賞金の額の大きいゲームをしたいね。くじを買うのにそれほどお金がかからなくて、何度でもけられて、勝ち続けられるゲームを」

つまり試すのが前提で、戦略性を加味すれば頭で考えて勝率が高いゲームをする事が大事である。自分に照らし合わせてみるとここにやりたい事や社会性などは含まれているか?答えはノーだ。後がつづかなくなる。それは正義が強いせいだろう。
成功のゲームをするためには、人は懸命に、より良くなろうと、つねに違った自分を目指さなければならない。
そこでの二つのルールがある
一つは〝適切な時〟とか〝完璧な機会〟なんてものはないということ。〈この場で〉〈ただちに〉始めるということだ
もう一つは、パッと浮かぶ考えはたいてい使い古されたものだし、パッと浮かんだわけではない考えの多くもやっぱり使い古されたものだということ。いろんなことを楽しくやって、新しいことを試してみて、いつもしっかり目を開けておいてほしいってことなんだ
人は、変化は大嫌いだが、試してみることは大好きなんだ。
事業には適切な参入タイミングがある。これは今の会社が新規の参入タイミングを見誤りだいぶ苦戦している事、私が次にお世話になる会社が時流に乗って大きく成長している事を考えると、「適切な時」はあるのだろう。但し初めからゼロスタートだと厳しいからやり切ってくれる人間にスモールスタートさせ、適切な時にロケットスタートを切る事が必要である。
「ホーソーン効果は、被験者の意識のあり方によって正しいリサーチができなくなる例として取りあげられることが多い。だけど本当に分かったことは試してみることに失敗はないということなんだ。ホーソーンの実験からわかることを全部拾ってみよう。一つ。人は試すことが大好きだ。二つ。人はチームのかなめになりたがり、自分はチームのかなめだと信じ込むと、人々は互いに協力し合うようになり、そのために監督者の仕事までどんどん自分たちでこなすようになる。三つ何もない状態を一気に変えたら、何かすごいものが手に入る──ホーソーンの場合だと、生産性が三十パーセントあがったね」あの実験で学ぶべきことはね、 あらゆるものを変えて、さらにもう一度変えること、なんだよ
ここから言える事は「あらゆるものを一度に変える事。それも小さく一度に変える事である。人間は大きい変化は難しいが小さく一度に変えたら掛け算式になって大きく変化したように見える。毎日新しくスモールな変化をさせ、且つ習慣で変化の過程を見守る事が大事なのである
「僕たちはみんな、平均より上になりたいと思っているし、なろうとも思ってる。だけど、生産は過剰だし、熾烈な競争もある。周りを見まわせば、有能なのに月並みな仕事ばかりして定年を迎える人がいっぱいいて、気の滅入るような時代だ、なんて結論にいたらざるを得ない。そして気づくんだ。いまの世の中では、成功するには奇跡が必要だ、マジックが不可欠だってね」
だけどこれこそが「僕たちに必要なものなんだ。ものごとを見事にやることだよ。もう一回それを見るためならお金だって払う、と言われるくらい見事に』それはね、〝あるべき状態より、良くあること〟なんだ。ただ良いだけじゃなく、目を見張るようなものであること。マジックだね」

いわば小さい変化を起こし続けて大きな変化、いわゆるマジックを起こせということ。それこそが成功の秘訣、他人とは被らない秘訣。面倒くさいを相手の立場になって考えて先回りしてあげる。それだけじゃない、もっと極限まで先回りして、すごいと言われるところまで。これも大きなマジックだろう
このことを覚えておくとよい。平凡であることは難しく、創造的であることは易しいってね」
こうした実験はすべて、大変な仕事に思えるかもしれない。ときには、凡人の群れの中へ逃げ込みたくなることもあるだろう。そういうときには、違いの論理が必要だ。問題は、平均より上の人があまりに多くて、 みんな普通になってしまっているってこと
平均の方が難しいのは母数が多いからだろう。需要と供給の関係、だから平凡である事は難しいのだろう。かくゆう私も「少し変わった人」に思われがちである。これは平凡は難しく競争率が高いため脱したい、というより社会的に優位に立とうとする本能から来ているのではないか。
それが成功のための標準的なアプローチだ。もっと多くのことをしろ。そうすればうまくいく。いや実際、このことを考えてごらん。それこそが日本人のシンプルな戦略なんじゃないかな。
日本が世界で活躍した秘訣は有能さとか技術力だなんて抽象化されているが、本来は真似が上手く、平均より少し上の事ができるところで評価を受けたのだろう。今は真似できるスピードが遅く中国始めアジア圏に勝てない構図になってきている。
チャレンジの中でも一番大切なのは、心を開くことだ。だけど一度開いてしまえば、あとはそこにいろんなアイデアが流れ込んでくる
もし宇宙が信じられないような 素晴らしいアイデアをくれるとして、 きみはそれにふさわしいかね?
心を開いたらアイデアが見つかった、なんて思いつく経験があるわけではないが、少なくとも心を開いたら人と繋がって新しい事が起きるのは経験済みである。そのためオープンマインドは利点が大きいように思う
ジョン・ペンバートンはぼんやり座っているどころか、頭痛薬をはじめ何十種類もの新しい治療薬を開発していた。まぐれ当たりという意味では、何かを発明することはなかったけど、薬からソフトドリンクを生み出した。リーバイ・ストラウスもぼんやり座ってなんかいなかった。彼は大陸を東から西へ旅していたし、何が売れるか考え続けてもいた。素晴らしいアイデアは、どこからやってくるかわからないのだから。他にも例がある。跳躍の選手の話である。

人並みでしかない跳躍力は、フォスベリーの敵だった。その一方で友だちでもあった、
つまりは問題なんて問題じゃなく、付き合い方次第なんだ。

フォスベリーは僕にこう言った。新しいスタイルを編み出そうなんて、考えもしていなかったんですよ。ぼくはただ問題と──体のどの部分がバーにあたるのかという問題と向き合い、その問題を取り払うことに集中していただけなんです
問題が起きるのをあてもなく待っていたくなければ、こう自分に問いかけることもできたはずですよね。〝うまくいっていないのはどこか〟とか、さらには〝うまくいっていないなら、どうすればいいのか〟とか」
解決策というのは、後から振り返ってみれば、 簡単に見つけられそうに思えるものだってこと。彼らは冒険者だったんだ。「困難というのは、一つひとつが実地演習を始める合図だ。試すことは、一つひとつが世の中への問いかけだ。答えというのは、一つひとつが旅だ。旅程の計画は人生に任せておけばいい。きみの仕事は、光を集めることとカメラを持っていくことなんだから」
新しいアイデアを、なんて願ってても降ってこない。問題を解決する過程で、その攻略本こそが新しいアイデアなのであろう
新しいアイデアというのは、 新しい場所に置かれた古いアイデアなんだ。さっきあげてもらった言い分けの中には、ひどいのがあったよね。だけど、そんなのは問題じゃない──臭いの一番ひどいゴミが、一番いい肥料になるんだから
自分の困ったことと他人の困ったこと、またそれに伴って取った行動をくっつけてみる。それこそがアイデアを生み出す行為だということ
「多くの人々は──」「自分の仕事をあまりに狭いものに定義しすぎだ。工学技術を駆使した能力が町で一番なら、自分より素晴らしいエンジニアはいないと思ってしまうんだ。だけど、優れたエンジニアであるためには、高い技術だけじゃなくいろんなものが必要だ。アイデアを売る能力もいる。みんなと一緒に働く能力も、話し合いをリードする能力も、無意味な話し合いを避ける能力も。──必要とされる能力は、それこそ何十もあるんだ。だからこそ、しなければならないことを全部、リストに書き出し続けることが重要になる。そして仕事を再定義し続け、リストをどんどん広げていかなければならないんだよ」
モハメドアリの例。彼はプロレスのヒール役を見て、仕事を再定義した。そうする事で世界を魅了する人間になった。エンターテイメントを取り入れた。
古い義務のリストを新しい実験のリストに変える片側に仕事のリストを、もう片側に全世界を置くことだよ」新しく結びつけ直してるんですよね。雑誌とテレビを」きみがやるべきことはね、活用しようと思うことはどんなものでも活用すること、そして拝借できそうなアイデアをあちこち探すことなんだよ」
「さっききみは、仕事のひとつは報告書を書くことだと言ってたよね。そう言ったとたん、きみは研究すべき事柄を持ったことになる。報告書をペンで書かないとしたらどうなるか。重要なところをテープに録音したらどうなるか。フロッピーディスクを使ったらどうなるか。報告書に書くデータについてはどうだろう。いまとは違う方法を採れないだろうか。そういう報告書を、他社はどう扱っているのだろう。日本の会社はどうか。ドイツの会社はどうしているか。ランチタイムに図書館へ行って、本や雑誌を書いている人たちがどんなふうにデータを報告しているか、調べてみるといい。ぜひそうしてごらん。きみは幸運の女神と一緒に昼食をとることになるから。

提案したいことを集め、サンプルをつくって、きみの報告書を読む人たちのところへ持っていってごらん。そして、気に入ったアイデアがないかどうか尋ねるんだ。きみが質問するということ自体を彼らは喜ぶだろう。そして、新たな考えを示してくれるだろう。彼らのところへ行って『これまでと違う、どんなことをすれば、報告書をもっとよくできるでしょう』と問いかけても、彼らには何も答えられないこともある。だけど、きみがそのプロセスを始めたら、彼らにも言うべきことが出てくる。そして『悪くないね、まあこんなものだろう』なんて言っていた同じ人たちが突然、あれこれ考えを提案してくれるようになるんだ」
多くの人はアイデアは持っていない でも、考えは持ってるんだよ。
これが上述した方法の1つである。自分のやっている仕事のリストを書き出して、あらゆるアイデアや事象とくっつけて仕事を再定義すること。
この事務所ではね、だれかがへまをやらかしたら、必ず別のだれかが『ポスト・イットを思い出せ!』と叫ぶんだ。するとみんなが、一つの事業にまで発展したスリーエムの不完全な接着剤のことを思い出し、何か役に立つことが思いがけず見つけ出せないかとその過ちのことをじっくり検討し始める。
問題が起こった時、えいやでやっつけて仕事を出した時、それによって新しいアイデアや方法などは浮かぶものである。

試すための手順
①仕事に関してやっているすべてのことをリストアップする…リストは、できるだけ細かく書くことを心がけます。「報告書を書く」であれば、「いつ書くのか」「どこで情報を手に入れるのか」「どんなふうにその情報を分類するのか」など、報告書を書き上げるまでのすべてのステップを箇条書きで構わないので書き出します。一度書いたら同じものは決して書かず、常にリストを変化させることが大切です。
②問題点を書き出す…思いつく限り書いてみてください。問題と「仲良く」なることで問題は問題でなくなります。  
③仕事上でやったミスを全部書き出す…恥だと思ったり、怒りを覚えたりすることなく、時間をおいてしっかり取り組むことが大事です
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