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恋愛と肯定&好きになる基準。

お久しぶりです。
大学の期末試験や課題があり、note書けなかった!
という事でたくさん投稿しようかな。
でも、こうゆうのって時間が無いときの方が書きたくなるんですよねー。

「恋人って必要なん?」

この論争をよく頭の中でする。
僕は最近まで好きな人がいたので信じてもらえないかもしれないが、「彼女なんて要らない」とよく言っていた。
正直、今もこの意見は変わってなくて、その好きな人も告白するか、友達でいるのかすごく悩んでいた。
(結局、告白もせずに振られたんですが(笑)文面にするとだいぶ変だな。)


余談ですが。

今までも小学校から高校までも仲良い異性は何人かいて、周りからも「付き合えよー」といじられていたが、付き合わず今も年に2回ほど会ったり出掛けたりしている。

僕の中で”好き”って基準はめっちゃ低くい。
僕はおしゃべりで変なところが気になってしまうし、よく「捻くれてる」と言われる。その捻くれていると言われる事や気になったこと、思ったことはすぐに口に出してしまうので口数も多くなるし、話も長くなる。
だから、その話を聞いてくれる人はすぐに好きになってしまう。
(友達も多くないし。)

それは性別関係なくて、「この人、僕の変な話に付き合ってくれる!」って人にはハマってしまって特に用事が無くても会いに行って、全く中身のない話をする。
(そんな自覚がある僕の友達、ありがとうございます。)

今までお付き合いしてくれた多くの人は、(言うてそんな多くの元カノがいるわけじゃない。)ありがたいことにあちらから「ご飯に行こう」や高校の時は「一緒に帰ろう」と0→1で誘ってくれた。
いきなり、心を開けないが段々と心を開いていけて
話を聞いてくれる・かまってくれる人はすぐ好きになってしまう
その流れで付き合う。
今まで僕はそんな異性に”好き”と言う基準を置いていた。


「でも、小学校から高校までも仲良い異性がいるって言ってるやん!なんで、その人たちとは付き合わずに友達でいるんだ!」
と言われてしまいそうだが、
「この人は友達の方が少しでも長く一緒にいられるかなー」
っていう勘。(笑)
少しでも長く関係が続く方を最優先で選択します。
でも、その当時に彼女がいたとか、先に”好き”の基準を満たしていた人がいたとかがギリギリちゃんとした理由。
「え、でも、その基準で行くとタイミングとしては”好きな人”複数人出来ない?」
とまたまた突っ込んでくれた方、ありがとうございます。
そうなんです。
そのような状況になった時に”好き”の基準がおかしくなるのです。
そして、訳が分からなくなって別れたりするのです。
そして、そして、その経験を4回ほどして今”好き”の基準が全く分からない21歳が誕生したのです。

僕を狙っている方!
僕をご飯に誘いまくって、気持ちよく話をさせまくったら好きになりますよ!!
(余談ですが、少し変な人、変わっている人、例えば笑うタイミングがおかしい人とか、めっちゃ気になってしまいます。)


まぁ、余談は置いといて。
そこで、僕は付き合う意味って何だろう。とまたまた考えるのです。

ここでも書きましたが、それとはまた少し違う角度で。
(でも、ここの感覚は変わりません。)


僕は櫻坂46と日向坂46と言うアイドルにハマっていた。
(最近はお金が無くて離れてしまっているが。)
ライブに頻繁に行く。
この前、櫻坂46の東京ドームライブに行った。
ファンのみんなは「最高のライブだったなー。」と帰り道、近くの居酒屋で話していた。
僕はその感想と共に「いいなー。5万人の歓声を浴びるのって気持ちいだろうなー。」と思った。
と言うか、ライブに行く度に思う。
手を振ったら5万人から手を振り返され、ウィンクをしたら「キャー」と言われる。
(僕も再来世くらいには東京ドーム立ってみたいな。)
最高の”肯定”だなと思う。

人生には"肯定"が必要不可欠だ。
なぜなら、

肯定がなきゃれば、辛いとき、死にたいと思ったときに”生”を選択できないからだ。

なんなら、最後には朝起きる理由がなくなってしまう。

2月にオードリーが東京ドーム公演をしていた。
その後からラジオでもしくじり先生でも若林は「いやー、すごかったよねー」と自画自賛するボケをする。
今だにする。
そりゃそうだ。
配信も含めて16万人もの人を魅了したのだ。
(僕がやったら親戚から全く仲良くもない友達に自慢して回るね。)

ポジティブな時はいいが、ネガティブな時に「自分はダメな所ばっかりだ。」と考える。
その度に”人生には自己肯定が必要だな”と感じる。
そして、上の話が思い浮かぶ。

自分を肯定してくれるのが自分以外にたくさんいるのだ。
自己肯定する必要が無い。
自信がなくなったら、その映像を見てしまえばいいのだ。
人気者をクソ羨ましいと感じる共に悔しさからイラつきも覚える。

自己肯定出来ない人が肯定を感じるには自分を肯定してくれる何かが必要”

と思って、いつも自虐を言うと「そんなことないよ、」と言ってくれる友達とご飯に行くがもうネガティブレベルが限界まで行っているとそれも逆効果で「どうせ、褒めてるのは今だけなんだろ。お前に何が分かるんだよ。」と思ってしまう。(本当に良くない。)

一番早い、肯定を感じる方法は、何かの一番になってしまうことだと思う。
その世界の一番だ。
最強だ。
誰に聞いても褒めてくれるし、バカにするところが無い。
そもそも、そうゆうやつを一番と言うのかもしれないが。
しかも、一番には(SNSに例えて)フォロワーがたくさんいる。

でも、そんなことは難しすぎる。
世界トッププレイヤーと言われるメッシでも結局はロナウドを始め、他の選手、何なら昔の選手と比べられてしまう。

肯定を感じずには生きていけない世界で、今から東京ドームに立てやしない多くの人間はどうするのか。ましてや、自己肯定を出来ないやつはどうするのか。

やはり、その世界の一番になることだと思う。
世界という表現をしたから大きな話に捉えられるかもしれないから、界隈とかに言い換えようかな。
例えば、会社で言えば営業数トップとか、立ち位置・役職がトップとか(ごめんなさい。大学生なんで会社の事分かりません。)学校で言えば、生徒会長とか?明らかにヒエラルキートップとか。部活なら地区の選抜に選ばれるとか、甲子園出場とか。(ゴール数とかHR数とかの数字の方が肯定感を味わえると思う。数字は事実だから「そんなことなよー」とか言えないし。)
(例え出したけど、正直そんな思い浮かばん。)

で、そんな奴は世間で見ても数少ない。
(そりゃ、一番だからね。)


そこで、いきなり話変わるが人間関係の一番だ。
「こいつの隣はこいつ!」みたいな(青春アミーゴの修二と彰的な)親友もいいと思う。
でも、親友と言うのは確立したり、境界線を引くのが難しい。
「俺たち、親友だよな!な!」
なんて、クソダサいことは言えないし。
何なら僕は過去の経験から友達なんていつかはその縁が切れてしまう付け焼刃の存在と思っている。その話はまた今度。)←もちろん感謝してます!

そこで恋人だ。


付き合うと言う契約を交わし、はっきりと境界線を引くのだ。

「私の好きな人はあなた!」
と指をさされ、一番を手に入れられるのだ。
恋人と言うのはとてもいい存在だと思う。

恋人は恋人を肯定してくれる。


いつでも。
最強だ。
「好き」と伝えてくれるのもいいが、言われなくとも”恋人がいる”という事実が勝手に肯定してくれる。
たまに、「好きと言葉で表現してくれない」と不満を耳にするがそんなことは、僕からしたら”自動肯定機”と言う最強の武器を持った人の贅沢にしか聞こえない。
そんな奴には「好きだから今も恋人でいるんでしょ?」
と、普通に正論パンチを食らわせてやる。

しかし、世の中は理屈では解決できないことが起きて、時にその最強の武器の行動で悩んでしまう。
こんなこと書いてますが僕も、恋人の肯定より自分の自己否定が勝ってしまし、恋人の肯定が苦しくなると言う巻き込み事故を何回も起こしてしまった経験がある。
上で書いた「どうせ、褒めてるのは今だけなんだろ。お前に何が分かるんだよ。」状態が勝手に起きてしまう。

まぁ、そんなリスクは大抵の人は考えないし、自己肯定出来ない人からしたら、そんな石橋を叩いてる暇は無いほど死に物狂いで手に入れたい存在だ。

「じゃぁ、自己肯定出来ない君も早く恋人を作れば?」

「うるせぇ、ついこの間振られたんだよ。」


最初に今は「彼女なんて要らない」と書いたが
本音を言うと今が凄く楽しい。
(楽しさから肯定をあじわってるのかな。)
から、もうこれ以上求めない。
(ついこの間まで調子に乗ってこれ以上を求めていたけど。)

と言うか、”好き”って何か分からないし、そんな奴が付き合っても申し訳ないし。その恋人を探している時間やその間の気持ちの変動が凄いストレスになるんだ。

そして、自己否定が始まってしまう。
その先に、最強の武器があるんだけどね。
「え?めっちゃ石橋叩いてるじゃん。何なら、叩けてもないじゃん。」
って言われるのかなー。(笑)


言ってることめちゃくちゃって事は分かってます。
僕も書いてて頭がおかしくなってます。(笑)
いつかは答えが見つかると信じて。

「誰か、叩かなくても渡れる石橋を紹介してください!なんなら、石橋を渡らずにこちら側にいる人を紹介してください!」

これも「言い訳言ってんじゃねーよ。」って思われてるのかな。

あ、自己否定始まっちゃいました。

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