黄昏の岸 暁の天

魔性の子で描かれた、あまりにも暗くて恐ろしい6年。
その間あちらの世界がどうなっていたかを描いている作品です。

泰麒と泰王に何があって二人は消えてしまったのか、
二人が消えた後、世界がどうなったのか。
李斎の口から語られるそれはあまりにも悲惨で、聞いていて苦しいものだったな。

とはいえ、陽子のこれまでを知っている身としては、
『新人すぎて理をしらないかもしれない・あわよくばその良心につけこんで泰にはびこる逆賊どもを討つべく王師を向かわせるようにさせたい、たとえそれが原因で陽子と慶が斃れることとなっても。』
みたいな感じですがろうとする李斎にムカムカしちゃいました。(最初はね)

確かに泰のみなさまは可哀そうだし、もう自分たちじゃどうにもこうにもできない、泰を見捨てないで、助けてほしい、という切羽詰まった思いは痛いほど伝わってきたのだけれど、
良心につけこむような真似をしたことがむかむかした原因の一つ。
まあ結局李斎自身が自分の過ちに気づいてくれたからよかったけど。
でもそれも、陽子とその周りの人たちがあまりにも誠実だったからで、
少しでも何かが違えば、李斎は陽子を利用していたかもしれないわけで。
(あれ、結構怒ってるな・・・私)

そして延王と延麒も、事あるごとに頼られて大変。
終盤は、板挟みになってなんか責められちゃっててかわいそうだった。笑

圧倒的スーパーヒーローのようで、頭がやわらかそうな延王でも、
500年という歳月によって作られた概念は、それはもう固定観念となってたみたい。陽子が打ち出す(彼らにとっては)斬新な策をハナからやろうとおもわない感じが、ちょっと意外だった。
「ええ?そーんな頭のかたいこといっちゃうわけ?延王ってば」って。

でも想像すればそうかもなぁ~
固定観念って、自分では当たり前すぎてそこを疑うことなんて頭に浮かばないもんね。
天があって、理を施行しているのも天にいる誰かなのか、、、?っていう違和感を覚えた陽子と李斎は、結構すごいんだと思う。
陽子はまあ、最近この世界にきたから固定観念にもなっておらず気づきが早かったけど、李斎なんて生まれてからずっとその世界で生きてきたのに。その世界を疑うことになるなんて、もうアイデンティティが揺らぎに揺らぐのでは?
それって正直、とんでもない苦痛だと思うし。心がかきむしられるような。


西王母も、あまりにも無機質な感じがする・・・
私は無信仰だけれど、神社やお寺にいけば厳かな気持ちにはなるし、
それって心の根っこの部分で、神様や仏は見てるんだと当たり前のように思っていることが、そういう厳かな気持ちにさせるんだろうし。

その、心の根っこの部分で信じていたものが揺らぐなんて。
目の前に神(西王母)がいて、それがあんなにも無機質で慈悲も何も感じられないなんて。そうとうなショックだわ。


阿選みたいなやつがいるのも相当しんどい。
なんやねん、この人。
これまで読んできたエピソードに阿選が登場するたび、未来で阿選がやることをもう知っている私は「阿選め・・・」ってメラメラしてたもん。
この人なんでこんなことしたんだっけ。最新刊一度よんでるけど、忘れてしまってる。

絶望的で先行きが暗い、どころか真っ暗な泰。
助けたいけど助ける力がなくてはがゆい、ひよっこの慶。
でもその慶が、当たり前だった世界の理を疑い、覆して、何か新しいものを生み出すかもしれないと思うと、ワクワクする。
きっと自分の身に置き換えたなら、死んでも「ワクワク」なんて思えないだろうけれど。


フィクションだと分かりつつ、「十二国記の世界のみいなに、幸あれ・・」と思ってしまう。

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