踏みはずして得たもの



緊急時はまず‘慣れる'


こんな感じで踏み外してみた輩なのですが、
踏み外して得たものの中で大きかったのが、
緊急時はとにかく慣れるのが大事」という感覚です。

私的には本当オブ本当なんですが
ポジショントーク感を避けるために
以降、「仮定」という言葉を多用して記載します。


0話〜6話までが事実だと‘仮定’すると、
かなりやばちんな精神状態になるということは想像に難くないと思います。

実際のところそうでした。
なんというか全身の肌が溶ける感じ

唯一PC画面に打つ文字だけが自分が生きていると実感できる瞬間
他は全部四角い
文字だけが丸い
そんな感じでした
なにを言ってるんですかね

でもそんな感じでした



ほかはよく覚えてませんが

忘れっぽくてよかったです

でもこれは思いました


とりあえず慣れよう

行動の一つ一つ見られているという前提で
一個前の行動を忘れない
それから始めよう

でも忘れちゃったらどうしよう
忘れちゃった時にまあしょうがないかと切り替える心持ちを身につけよう


そして生活の仕方を思い出そう


ある程度それができたら
相手がどこに反応して
なにを餌にするのか
探ろう
失敗は球にして結果をみて分岐を網羅しよう
反応の原因と結果がサンプリングできれば
次に同じ分岐に当たった時に正解を選べる確率が上がるかもしれない
少なくとも‘この行動は分岐だ’と判別できる確率は上がる
うまくいけば更なる球を投げてボーナスポイントで他の分岐を見つけられるかもしれない


なにを言ってるんですかね



でもとにかくこの思考回路で
まずこの状況を受け入れて
慣れました


人に対して向ける思考回路でないことは自覚しています。
タガを外すっていうか
人に対して向ける思考回路でない思考回路を人に対して向けているという状態にも慣れました
しんどいですが..

それはさておき。


活かすしか生きる道がないことをなんとなく察しました。

ブラックボックスの解明には
これしかない

客観より先に、自分の直近行動に必要な主観での論拠を探しまくりました。



これは完全に自分が自分だけで得た知見みたいなやつだと思っています。


仮定は将来の貴方を救うかもしれません。

客観的に被害妄想に見えるような内容でも、
貴方の中で仮定を怠る必要は無いと思います。

もしそれが本当だった場合、立ち向かえる実地の情報を肌感覚で得られるのは自分自身しか居ないから。

どうか客観的に自分を見つめ過ぎないでください。
その‘客観’は明日の貴方が泣かないことに役立ちますか?
どうか明日の貴方を考えてください。

まず明日生きる
夜怖くても
また夜が怖かったら
明日の貴方は泣かないように
私も同じでしたから
夜は怖いです


今まで‘客観’とされてきたものなんて、
緊急時に役立つか分かりません。

電話番号知られたら終わりのウイルスだって存在するし..
AIとか普通に今までの「IT」の延長で想定できるものじゃないし..
Bluetoothで車のキー開けられたりする事例もあるし..

...ヤバい。


なんというか

過去の‘客観’は
確定した事実ではあるけど
現在・未来の‘可能性’を否定できるものでは無い

そう思います。


今までの‘客観’に立ったらちょっとおかしく見えるような事象や要因だって
現在・未来の可能性のひとつとして片隅に留置しておくのは、私は賢明だと思います。
あくまで持論ですが。


留置して受け入れてもいいし
リリースして受け流してもいい

明日の貴方が泣かないなら
泣いてでも明後日の貴方が泣かないならその先の貴方が泣かないなら受け入れて留置してもいいし
明日も明後日もその先も泣き続けてしまいそうならリリースして受け流してもいい


私は受け入れる選択をとってみたので受け入れる選択における観点のことしか言えませんが、
受け入れる選択をとるなら、

‘見られている’と仮定した場合に
無難な行動(無駄なリスクを取らない行動)
を試みる


という習慣をつけるのは、
結構重要なのではないかなと思います。


一時期はなにもできなくなる感覚に見舞われますが..


たとえば、

※以降、私の置かれた‘緊急事態’に基づく内容です。そのまま流用できる内容ではないかと思いますが、ご参考まで。

ふとした会話で誤解を生む表現をしていないかを意識するようになる
とか

表現の自由とか言ってたら生きてられませんでしたし



本当に言いたいことは
タイミングを見計らって言えばいい

感情を否定したくないので
どうしてもぶつけたい感情の時には吐きました

それで損していることも多いと思いますが

でもその


この発言はこの観点にはどう映るか
とか

ふと振り返る
そういう感覚

その上で吐くかどうかの判断は自分自身

でもそういう感覚

慣れる

大事

ゲーム


慣れうる理不尽は自分向けに細工して楽しむに尽きるなと思いました


なので

ほんとに

緊急時は「慣れる」最優先


慣れると正常な判断ができるし
損得計算もできるし
感情のぶつけ方もわかるし
生活ができる


最低ラインに慣れる


最悪の自分を知られているというのは

諸刃の剣です
吊り橋です


でも誰かが慣れたら別の人も慣れる


みんな慣れれば
仕掛けてきた奴の存在価値は希薄化する


あるあるだよね

人のうんこ進んで見にくる人はいるよね
私はやらないけど
この人は人のう〇〇とかおし〇〇盗み見て喜ぶ人らしい
まあ私はやらないけど

ウイルスみたいな
まあコロナみたいなもんだよね


頑張ってね

っていう


そういう世界線を今精神内に築いちゃうのもアリかなと


私より恥ずかしい生活送ってる人いないと思いますよ



貴方は
少なくとも私より恥ずかしくない



大丈夫です






人はみなおかしい






受け売りです。




技術を駆使した優しさを知りました。
だから発信は
発信は技術と心の塊だから
技術を駆使した心は誰かを助けるんだなと知りました。


分野に限らず。


だから事件に遭ってよかったです。


以上です。

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