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映画「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」

例によって観てからだいぶたってからあいまいな記憶を頼りに感想を書く。
公開順としては最新作だが、作品内の時系列としてはテレビアニメseason3の前にあたる。
それゆえ、朱ちゃんや狡噛さんの人間性がseason3以降よりも若干未熟に描かれている。
まず「ちゃんと未熟に見える!」というのが印象に残った点だった。
未熟といっても1と2、その他劇場版の修羅場をくぐり抜けてきているから、みんな十分に成長しているのだが、3以降よりは未熟、というこの微妙な差を声優さんたちは見事に演じていたと思う。
すげぇなと思った。
それか役者にこの演技をさせている演出がすごいなと思った。
朱ちゃんの「謝ってほしかっただけなのに…」というちょっとバカっぽい甘えたセリフとか、「デカとして生きたい」とか言っときながらマキシマム先生にハァハァしてしまい、あっさり自分の言葉を裏切ったが謝ることができず、偉そうに朱に説教垂れてしまう狡噛のセリフなどにその絶妙な未熟さ加減を感じた。
結局ラストシーンで朱は、既存の社会秩序に問題提起をするために公安局局長を殺害する。局長はアンドロイドなので厳密には殺人と言えないかもしれないが、己の正義のために法を逸脱したという点で、朱は狡噛や槙島と同じになった。
レジェンドキャラになるための通過儀礼でしょうか。
さんざん法だ法だ言ってたわりに結局殺すんか、という思いはあった。
というかそれは朱自身が一番感じていたことかもしれない。
だってもっと早く決断していたら、船原ゆきは死ななかったわけだからね。
船原さん以外にも、「穏健な改革」というきれいごとにしがみつかなければ死なななかった人々がたくさんいただろうと思う。
朱が法を尊重し続けている限り、船原ゆきは尊い犠牲でいられたし、朱も犯罪者によって親友を殺されたかわいそうな被害者でいられた。
でも朱は自分の主義主張のために、自らその犠牲の価値を否定した。
もちろん朱の思想は大きな公共的意味を持つものだから、単純に「エゴだ」と言って切り捨てることはできない。
しかし当たり前のことだが、朱を擁護することはマキシマム大先生を擁護することにもなる。彼のテロリズムにももちろん大きな公共的意味があったからだ。
「いい気にならないで!あなたはただの犯罪者よ!」と先生に悪口を吐いていた朱だが、providence終幕時においてそのセリフは自らに返ってくることになってしまった。
僕は抑えた演出が好きなので、ラストの朱のように号泣されるとイラっとくることが多いのだが、僕がここまで書いたような意地悪い朱へのアイロニーが、自己批判という形で胸中にうずまき、また雑賀先生の死亡など、その他もろもろの精神的ダメージが入っていることも考えると、大泣きするというのもまぁありなのかなと思った。
まぁ狡噛も槙島もさんざん周りにディスられながら泣かないでがんばってたけどね。
泣かないからえらいってわけじゃないけど、この辺の「男キャラは黙って耐え、女キャラは泣いちゃう」っていう描き分けが、サイコパスのマッチョイムズ反映させてないですか、という気がした。
朱は職業人として自分を磨き上げ続けてきたから、静かにため息をつくくらいの感じでもいいかなと思ってた。ここで男女の差をつくらない、という演出もあったと思う。それはそれで観てみたかったなぁ、という気もする。
まぁどっちでもいいが。

たしか「First Inspector」のラストだったと思うが、軟禁状態から一定の自由を回復した朱を、狡噛が迎えに来るシーンがある。
ここで狡噛は開口一番「すまん」と謝るが、朱は「なんで狡噛さんが謝るんですか」と応える。
この「すまん」にはいろいろな意味が含まれていると思うので、僕のような浅いファンが乱暴に解釈してしまうことにはリスクがあるが、とりあえず上述したような、デカとしての生き方をやめ、己の正義のために自他を裏切ったことへの謝罪としてとらえると、「謝ってほしかっただけなのに」という朱の思いにようやく応えられるだけの成長を狡噛が果たした、ということだと思う。
でもその時には、朱はもうそんな期待を抱くほど未熟?ではなく、また自身も自分の生き方、およびそれに期待していた他者もある意味裏切って狡噛と同じになっているから、「なんで謝るんですか」となる。
この人間同士の、噛み合わない、ままならない感じを映画2本分かけて表現しているところがサイコパスのハイドラマっぽさであるなぁと感じた。
一方で一本の映画内でそれを表現せず、ちゃんとシリーズ追いかけてないとそれがわからない、つまりファンの追っかけに依存しているという点では、徹底して商業作品なのかもしれない。
わからない。

ほとんどワンシーンのことだけで2000字近く書いてしまった。
疲れたのでもうやめるが、providenceの魅力はもちろんこれだけではない。
season3につながる作品として、3本編ではあまり描かれていなかった灼や炯の監視官としてのモチベーションの根拠がしっかり示されていると思う。
3本編を最初に視聴した時は、1の初めの朱ちゃんとは違って、灼や炯の腹が据わりすぎているように見えて若干違和感を感じていた。
なので、「あぁこういうことがあったから、二人とも来るべき監視官業務に向けてちゃんと準備してたんだな。だから本編開始時点である程度人間できあがってるんだな」という納得感があった。
そういう意味で3がもう一度観たくなる劇場作品であった。

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