ハロルド・ピンターの難しさその1

好きな作家を挙げろと言われましたら、まずハロルド・ピンターをあげます。
リザ・プロジェクトのACT1&2はハロルド・ピンターの「A kind of Alaska」「One for the road」だったわけですが、やってみて痛感したことがあります。
これはハロルド・ピンターが、ヨーロッパのイギリスで、英語を使って劇作したユダヤ系の人物という前提が、根底に無ければ、ほぼ上演が難しいということです。
ハロルド・ピンターという名前はヨーロッパ圏の方ならほぼほぼユダヤ系とわかる名前であり、その名前をもつ劇作家が書くお芝居というのは、日本に住む僕らにはなかなか分かりづらい部分があります。(おそらくそれは、日本在住の韓国籍の方が劇作家としてクレジットされる感覚に近い気がします。)
ヨーロッパの方の、ユダヤ系の方に対する《歴史的に差別をしていた》という感覚は、その文化圏に住んでいなければわからない感覚です。
確かに、僕らも勉強をすれば歴史を知ることはできます。
しかし、ユダヤ人への差別という感覚は日本にいると日常的に起こりうる感覚ではないのです。
この感覚は翻訳不可能な部分(文化的ギャップ)をなしにした場合、はたしてピンター作品はピンター作品と言えるかはかなり微妙になってきます。
この点でやはりピンター作品を日本で上演することはなかなか難しいものになると思います。

次回
その2「英語で書かれていること」

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