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和歌が「わか」るための百人一首攻略最終回(大学受験生応援コラム8月)


覚えれば済むことを覚えることの重要性

’** 0 はじめに ***

当コラムに目を留めてくださり、ありがとうございます。

本コラムは、高校生や大学受験生の役に立てればとの思いから書かれています。6月から百人一首を取り上げてきました。今回でこの企画を最後にしたいと思います。テーマは古典常識です。

’** 1 百人一首No.51 ***

今回取り上げる歌は、教科書にも登場するこの歌です。

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立 小式部内侍

’** 2 技法の解説をさらりと ***

上の句と下の句に、それぞれ一つずつ掛詞があります。第二句の「いく」が、

大江山(へ)→「行く」 と、
「生」野(京都府の地名)

の掛詞。もう一つは第四句「ふみ」

「踏み」も見ず→天橋立(を) と、
いま一つは手紙という意味の「文」です。これは、この和歌が詠まれた物語中で、作者が「丹後(京都府北部)にいる母からの救いの手紙は届いたか?」という嫌味を言われたという文脈を踏まえて読み込まれています。したがってこの和歌は「そんなものなくても私は平気だから」ってな感じの返答という意味を持ちます。

以上を踏まえると、この和歌はどんな訳になるでしょう? ご自分で訳を作ってから以下をお読みください。



(参考訳)

大江山へ行く生野の道は遠いので、まだ天橋立に足を踏み入れて見たことはありませんし、母からの手紙も見てはいません。

’** 3 教科書には地図がついている ***

小式部内侍の以上の話は、高校古典の教科書に必ず載るくらいの有名出典です。だから、大抵の方は学習したはずのものです。

一方、百人一首でこれを学ぶと、私なんかはどうしても地理的なところが気になります。「大江山」「生野」「天橋立」そして「丹後」。この位置関係が気になります。

そこで、地図がないかとネット検索してみたら、ありました。


都から丹後へは上へと上がっていく道を通る

これを見ると、「大江山まで行くためには生野を越えなくてはいけない」「大江山を過ぎたところに天橋立があり、その先に母のいる丹後がある」という位置関係が明確になり、和歌の理解も進みます。

この地図は、私の調べた限り教科書には必ず載っていました。ただ、勉強された皆さんは、どのくらいこの地図を気にして見てくれていたでしょうか。

この話に限らず、試験問題には大体注釈がつきます。注釈は、受験生として覚えておくべきことではないが、知らなければ本文理解に支障をきたすという場合につくのが普通です。

ところが受験生指導をしていると、結構注釈を無視してしまうケースが見られます。もったいないですよ。確かに、下手くそな注の付け方をしている問題もありますが、受験生たるもの、出題者が与えた注釈=ヒントは必ずチェックしましょう。

’** 4 古典常識の重要性 ***

ところで、以上は「注釈を有効に使いましょう」という話でした。他方で、受験生として覚えておくべきこと「である」知識も当然あります。

その一つが「古典常識」です。古文というのは、1000年前の日本人の話を読んでいるわけです。当時のことを何も知らないのでは、読んで理解できるはずもありません。

例えばその一つが「方違へ(かたたがえ)」。結構みんな、分かっていません。

めちゃくちゃ短い説明ですが・・・YouTubeにこんなのがありました。

映像中の「前日に」というのが結構ポイントなのです。これを単に「場所を移ること」と覚えてしまうと、いざ文章を読んでも「なんのこっちゃ?」となります。

「古文常識なんて、受験が終われば何の役にも立たない」というご意見もあるのでしょうが、現に受験に必要である以上、覚えてもらわざるをえません。それに、全然役に立たないというものでもなく、現代に活きているものもちゃんとあります。例えば「鬼門」という言葉は、「行くのは嫌だが行かねばならない場所」とか「やりたくはないがやらないと先に進めない難所」とか、そんな意味で今では使われますが、これも元は方違へと同じく、陰陽道(おんみょうどう、昔の占いのようなもの)が起源です。

この手の知識は、後になって「知っていてちょっと得をした」という程度のものではありますが、日本に住んでいる者としてその歴史と伝統を多少なりとも継承するという意味合いを持ってもいます。長い夏休み、あるいは受験の天王山と呼ばれる時期に入っていますが、受験生の皆さんには、毎日コツコツと知識と技術を身に着けていってもらいたいと願います。


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