去年の話

ウヌのドラマを見たきっかけでASTROを知りサナペンになった私の話

本当にどうしてなのか、何が起きたのかわからない、ムンビンの死。これは私にとって2023年で一番というか、私の人生に中での上位に来るほどの出来事だった。あの日を境に以前の私ではなくなった。大きく変わったわけではないかもしれないけど。いや、大きく変わったと思う。何がしたいでも、何ができるかもわからないけどどうしても韓国に行きたかった。その結果5/13の仁川行きのフライトのチケットを取った。初めての韓国、初めての1人海外旅行、最後に海外に行ったのは多分7年前くらいに行った専門学校の修学旅行。このハードルを全て乗り越えてほぼ衝動的に韓国へ行くことを決めた。
時間もない、韓国語も喋れない状態の中でも私の中では確かな手応えを感じた
韓国へ行くことを決めた理由は、ムンビンの死というショックからであったがとてもいい旅行になった。

私の中ではいい旅行ではあったが、なかなか人に話すのが難しい。グルメでもショッピングでもコンサートでもなく、目的がただムンビンが生活していた韓国の空気を吸いたい、ムンビンに少しでも近づきたいという思いからの旅行だったからだ。
仁川に着いてsimの設定に手間取った。その結果事前に用意しておいたesimを無駄にした。Coex行きの高速バスに乗りただ外を見た。それだけでも楽しかった。建物、木々、川、標識、全部、ムンビンが見ていたものだと考えていた。Coexでは文房具とかライアンのグッズ買ったり、ダイソーに行ったり、見てみたかったピョルマダンにも行った。もっとゆっくりショッピングをしたかった。時間というより語学的に余裕がなくそそくさと外に出た。そこからFantagioの事務所まで歩いて追悼の空間にしばらく過ごした。この時韓国語がよくわからなくて良かったと少し思った。ここにある手紙が全て読めたら私は帰れなくなる気がした。少し暗くなってきたのでホテルに向かうことにしてスタバで飲み物を買って歩いて江南に向かった。本当によく歩いたと思う。それも心地よかった。

見るもの全てにムンビンを重ねた。寂しくて、恋しくて、苦しくて、怒りさえ感じた。ただ1人でそれだけを考える時間が取れたことが私にとっての救いになった。
まだまだ思い出はあるけどとりあえずここまで。

本当に何もできなかった。ただ歩いて、会話がほとんど必要ないお店で買い物をして。でも1人で海外に行って無事帰ってきたということは確かに自信になった。

あれから少しずつ悲しみは薄らいでいると思う。でも月を見るたびにムンビンを思い、ムンビンに祈る。ASTROは今だって好きだけど前と同じ気持ちではない。もう戻れないのである。それはASTROにとってもAROHAにとっても同じであろう。

後悔はある。どうしてもっと早く韓国に行かなかったのか。どうして6人のASTRO に会いに行こうとしなかったのか。決してグループの活動は多くなくても韓国に行く理由はたくさんあったはずだ。これは大きな後悔である。でも私が韓国に行くのは今回だったのだと思う。
私を韓国に連れてきてくれたムンビンへの感謝と、これから先も全ての想いを大事にしていこう思える旅になった。

本当に大事な思い出で何かに残しておきたくて、今回こうして文章にしました。拙い文章をここまで読んでくださった方がいたなら感謝いたします。今年のテーマとしアウトプットを積極的に行うことなので、また書き残せたらいいなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?