2022/12/01映画の日『すずめの戸締まり』

12月1日は、映画の日

映画の日は、一般社団法人・映画産業団体連合会(映団連)が1956年(昭和31年)に制定。
1896年(明治29年)11月25日~12月1日、神戸の神戸倶楽部において日本初の映画の一般公開が実施され、この会期中できりの良い日の12月1日を記念日とした。記念日は映画の一般公開60周年を記念したものであり、日本における初めての映画の有料公開という「映画産業発祥」を記念した日でもある。

ということで、この日は2本の映画を見てきた。

すずめの戸締まりあらすじ(ネタバレ注意)

新海誠監督の最新作。
宮崎県に住む高校生の岩戸すずめが主人公。
すずめは、東日本大震災によって、母親と生き別れており、現在は過保護な叔母の岩戸環の元で育てられている。
たまに、母を探している中、母の形見の黄色い椅子を母親に手渡される夢を見る。

ある夏の日の登校中、災いを未然に防ぐ閉じ師である宗像草太とすれ違い、近くに廃墟は無いか?と問われ山中の廃温泉地を教える。

草太のことが気になり、踵を返し自らも廃墟の温泉地に自転車を走らせ、そこで見つけたのは、1枚の古びた扉だった。
その扉を開くと、扉の向こうには美しい星空が広がっていたが、どうしても星空の世界には入れない。
不思議な扉に混乱するすずめ。ふと足元を見ると、不思議な形の石のようなものを見つける。それを抱えあげると、石は猫のような生き物に変わり、どこかへと消えてしまう。

気味が悪くなったすずめは、扉を開けたまま廃墟を後にし、学校へ到着した。クラスメイトとお弁当を食べようとしていた時、みんなの携帯の緊急地震速報が鳴り響く。騒然とした中、雀の目には異様な光景が映っていた。あの廃墟辺りから、変な炎のようなものがゆっくりと上がっていたのだ。

すずめは慌てて学校を飛び出し、廃墟の扉の前に戻ると、開いていた扉から、恐ろしいものが勢いよく噴き出している。そして、あの草太がひとりで扉を閉めようと奮闘していた。
扉は、後戸に開くと現世に災い(地震)をもたらすというのだ。
すずめは草太に加勢し、無事に扉を締めることができた。

その際に負傷した草太を手当するため、すずめは自宅に草太を招き入れる。その時、あの扉のそばで生物化したネコのようなものが現れ、「すずめ すき」「おまえは じゃま」と言い、次の瞬間、草太はすずめの母の形見である椅子の中に閉じ込められてしまう。
ネコ型生命体は、扉を守る要石(かなめいし)だったのだ。そして、草太が宿った椅子を自分に代わる要石にしてしまったのだ。

それからネコ型生命体通称「ダイジン」は、四国、神戸、東京へと場所を変え、すずめと草太は、草太を元の姿に戻し、ダイジンを要石に戻すため、ダイジンを捕まえる旅に出る。

その道中、四国の民宿の娘、神戸のスナックのママ、草太の大学の友人の芹澤と出会い、彼らに助けられながら、次々と開く扉を閉じていく。

しかし、ダイジンはなかなか捕まえることが出来ず、ついに東京で最大の扉が開いてしまう。扉から溢れ出した災いを封じるため、すずめは草太が宿った椅子を要石としてつかい、災いを封じ、東京の扉の戸締りを完了させる。草太を犠牲にした罪悪感と悲しみで涙するすずめの元に、ダイジンがやってくる。「すずめ、すごい」というダイジンを掴みあげ、二度と姿を現さないでと吐き捨てるすずめ。ダイジンは「すずめ、ダイジン、好きじゃなかった」とこぼし、ガリガリにやせ細ってその場から消えてしまう。
 
草太を元の世界に呼び戻すため、すずめはとびらの向こうの星空の世界(常世(とこよ))へ行くことを決める。
草太の祖母に常世への行き方を聞いたところ、昔常世へ迷い込んだ際に使った扉からなら、常世へ行けることを教えてもらう。

実はすずめは子供の頃に、東日本大震災の混乱のさなか、母を探し求め歩き続けていた際に、常世へ迷い込んでいた。夢で見ていた女から椅子を貰う場面は、実は常世の世界での出来事だったのだ。
すずめは、意を決して、自分の実家の近くの扉の所へ向かうことにする。東京の駅前を歩いていたら、草太の友人の芹澤と、叔母の環とダイジンに出会い、3人と1匹で、つばめの故郷への旅が始まる。

道中、雨に見舞われサービスエリアで休憩していたところ、叔母の環から、直ぐに帰ろうと言われるが、すずめは聞かない。するとら環はすずめに対して抱えていた負の感情を吐き出して倒れる。その後ろには、大臣に似た大きな黒猫型生命体がいた。この黒猫は、東の扉を守る要石だったのだ。

3人と2匹での旅が再開したが、目的地まで残り20キロというところで、芹澤の中古スポーツカーが田んぼへ転落。すずめと環と猫2匹は、自転車で目的地へと急ぐ。

無事に扉を見つけたすずめは、猫2匹と常世へと足を踏み入れる。そこには、独りで災いを抑える草太の姿があった。東の要石は災いと戦い、すずめと西の要石であるダイジンは、依代と化した草太のもとへむかう。すずめは、必死に災いの中心から中心から草太を引き抜こうとするがなかなか抜けない。すると、ダイジンが手を貸してくれ、草太を宿したすずめの形見の椅子を引き抜くことができた。
ダイジンは、「すずめ、ダイジンすきじゃなかった。やっぱりダイジンが要石になる」と言い、自ら元の形に戻る。
すずめは石化した大臣を災いの中心に突き刺し、災いは未然に防ぐことが出来た。

元の美しい星空が広がる常世の世界が、広がり、草太は自分の姿を取り戻していた。すると、丘の上に1人の少女がいた。それが過去の自分だと気づいたすずめは、形見の椅子を持って少女の元へと向かう。
本当はもう母は居ないことを分かっていたが、それでも母を探し続ける過去の自分に、すずめは未来は明るいことを伝える。
夢で見た母だと思っていた女性は、実は未来のすずめ自身だったのだ。

草太とすずめは2人で元の世界へと戻り、草太はすずめに必ずまた逢いに行くと約束をし、電車で宮城から去っていった。
すずめは、宮崎に戻ったあと、亡き母の職業であった看護師を目指す決意をし、日常生活に戻って行った。

すずめの戸締まり 感想

グラフィックが美しく、さすがは新海誠作品、特に光の表現が美しかった。
震災をテーマにしていることと、作中で何度もJアラートが鳴るシーンがあるため、震災にトラウマのある方にとってはかなりフラッシュバックする描写が多かった。
ストーリーは、震災を未然に防ぐ閉じ師の仕事をしながら各地で色んな人と親交を深めるすずめの姿を描いていたが、なぜダイジンが職務放棄をしたのか?なぜダイジンは職務放棄した割にはすずめたちを扉が開く場所へと事前に誘導していたのか?が分からなかった。ただの好奇心にしてはやってる事が身勝手すぎるし、結局最後はすずめに好きになってもらえなかったから自分が要石にもどる、と言っていて、ダイジンの設定が甘かったように思う。
あと、環さんの宮崎弁にすごく違和感を感じて、なかなか映画に集中できなかった…。
映画全体を通して、監督は何を伝えたかったのか?おそらく、震災等で深く傷ついた人たちへ、未来は残酷じゃないから、生きて欲しいということや、傷ついた自分は、自分で救うことが出来ることを伝えたかったのだと思うけれど、もうすこし、少女時代のすずめと、ラストのすずめのシーンの描写を増やすなどしたら、もっと伝わりやすかったのではないかと思う。

なお、グラフィックが美しいので、映画館で見て大正解の映画でした👀🍿*

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