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脳みそジャーニー ~頭の中を探検してきた!~

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母娘で同時期にガン罹患。 あまりに落ち込み過ぎて、地獄を這いずり回る。 ある日、ネガティブな自分が心底イヤになって、自分の性格と性質を見直すことを決意。 脳科学と心理学の本を読み… もっと読む
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【1】 40歳の誕生日に「人生、あと半分以上もあるのか…長いなあ」と思った件

生きるのって、まぁまぁ大変です。 よく私たちは、ものすごい確率の生存競争に打ち勝って、奇…

【2】 母の2度目の乳がんに、母より私の方がダメージを受ける

私が高校生のとき、母親が50歳で乳がんになりました。 (死ぬの? ねえ、死ぬの?)  急に…

【3】 母、今度は食道がんに。私は睡眠薬と抗不安剤のお世話になりはじめました

母の二度目の乳がんは、幸い全摘出手術で取り除くことで終わり、私もようやく人心地ついた気持…

【4】 母の治療に付き添うことに疲れ切った娘の私。限界が近づいていました

母の治療は、苦しい紆余曲折を経て「手術はしない」方向で話は進み、途中、行きつ戻りつした後…

【5】 私の乳がん発覚。何気なく触った胸にしこりを感じた

そんなある日のこと。自宅でふとんに横になってぼんやりとしていたとき、何気なく触った右胸に…

【6】 夫と二人、ガンの告知を受ける

後日、夫と二人で医師のもとを訪ねると、開口一番、「残念ながら悪性でした」と言われました。…

【7】 これまで考えていた私なりの死生観。一瞬で消えていった

涙が止まらなくなり、私は日に何度も泣くようになりました。 その度、夫が背中をさすってくれます。 流れる涙と、だらだらと垂れてくる鼻水。 せっせとティッシュを抜き取っては、夫が私の頬を拭い続けてくれます。夫が着ていたグレーのTシャツが、私の涙と鼻水によって、真っ黒なシミになり、おかしな模様をいくつも描きました。 「泣きたいときは、泣いたらいいんだ」 「ごめんね」と謝る私に対し、夫がそう言ってくれます。悲しむことを全面的に許してくれる夫のその言葉は、私をずいぶん慰めました。

【8】 遺伝や生まれ持った性質・性格を強く信じる私。「だから、人は変われない」

私は小さな頃から「それは、遺伝よ」といった言葉を、母から頻繁に言われて育ちました。例えば…

【9】 私は「被害者」となった。「加害者」は、いったい誰なのか

「体質の遺伝」を証明するかのように、しっかり乳がんになった私。 母だけでなく、祖母も乳が…

【10】 ガンの闘病記を読んで、ネットで調べてへこむ日々

いつしか毎日、時間が空くと、乳がんに関することをネットで漁り続け、同時に、図書館でガン関…

【11】 同部屋の患者たち。この世界には、病気の人が山ほどいました

入院日当日、病室に通され、私が荷物を備え付けの棚などに入れ整理していると、隣のベッドの女…

【12】 手術当日。右胸全摘出にパニック

予定時刻の30分ほど前になると、点滴のルートを確保するために看護師さんがやって来ました。 …

【13】 母娘の問題、ここでも。私の術後二日目、母の診察に付き添いながら脳みそもパ…

手術から二日後、ちょうど母の通院日だったため、私は入院病棟をふらふら抜け出して、パジャマ…

【14】 抗がん剤治療開始。治療であるはずの薬に、本気で殺されると思った日々

術後数日が経ち、おおよその退院日が決定したところで、初めて友人たちに乳がんを患ったことをメールで伝えたところ、想像以上の大わらわになりました。 直後に電話をくれ声を震わせていた友人、高額な見舞金を渡してきた友人、後日遠くから新幹線に乗って会いに来てくれた友人。 そのどれもが、温かく有難いものでした。 皆に心配されている私。 選んで話される、優しい言葉の数々。 思いやり、心配の声。 少し前まで、私だってそちら側の世界を生きていたはずなのになぁ……。 健康な立場から、「誰かを心