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ブログ始めました

初めまして。この度、noteを開設しました。開設理由はと言いますと、複数あって、今回はその内の一つを公表していきたいと思います。どうかお付き合いお願いします。

私は二十数余年生きてきて、自己の暗い内面が現実世界で否応なしの他人と接触する度、自己と他者の間に広がった隔絶に悩んできました。
私の根暗な性格故なのか、私の自意識過剰によるものなのか。
そうした悶々とした誰に相談する事もできず閉口した日々を送るに従い、益々、自己と他者の隔絶は広がり、一度は高校の部活でできた友人との連絡も絶ち、友人は皆無となりました。

孤独になった私。
他人の存在を視野の外に置く事で、自己と他人のコントラストが朧になってゆき、先の悩みもうっすらと霧のように漂うくらい微弱に。そして私の心は軽くなりました。
孤独の、本当に生ぬるい湯に浸っている刹那、私の自意識過剰が、私の内部に巣くう茫漠とした他人(霧のように佇んでいただけで完全には消し去る事はできないようです)が現れ、私を苛み始めました。
厭世的、怠惰に生きる私と今も尚健全に生きる他人とを比較して、私は猛烈な劣等感に駆られました。臭いものに蓋をして看過できる代物ではなかったようで、壺の中で何かひどい汚物、動物の死体に相当する汚物が日に日に腐敗し、壺と蓋の隙間から抑えきれんばかりの腐臭が私の内面に蔓延するのでした。
窒息するような毎日を送らねばなりませんでした。声に出したいけど声にならぬ声。
どうして私は普通に生きられないのだろう。
どうして私はこんなに苦しまなければならないのだろう。

途中経過は省きますが、私は小説家になろうと思いました。孤独に蝕まれた時に貪るほど読んだ小説の(しかし小説の世界感には感化されず、現実との相違からかどこか遠目で眺めていた曖昧模糊とした感触です)、小説家の半生を自己に投影したのが原因だと思います。 
思いの外、筆が進まない。小説家の境遇と私の境遇の表面的な共通点を発見しただけでできると思った私の早計には、今見返しても愚劣極まりないです。
さて、それで困窮に陥ったかと言えば今はそれほどでもありません。私はこれまでにも第一回、第二回と計二回小説家を目指した訳ですが、約5年前の第一回目の本当に何もなかった、自分のアイデンティティの希求があった時は諦める時、絶望を感じましたが、今回の第二回目はそれほど絶望を感じませんでした。なぜなら小説事態にそれほど価値を、現実の生活を阻害するほどの価値を見出だせなかったからです。
私は今仕事を辞めて次の生計を考えている最中なのですが、私は農業に挑戦してみたいと思っています。農業で生計を立てながら、手を変え品を変え、往生際悪く文筆に手を出していきたいと思います。

今日はこの辺で失礼します。明日は小説にしがみつく理由を書いていこうと思います。

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