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お願いします に代わるフレーズを習得した

またもや朝の送りの時間の出来事だ。

こどもを預けた時には先生から一律「お預かりします」が返ってくるのが常だった。

あぁ、今日も1日、この聞かん坊をよろしくお願い申し上げます。と心で唱えながら、なんとなく挨拶を返して去るのが日々のルーティン。

1人を相手にするだけでもこんなにお手上げなのに。
晴れた日の園庭にはまるでトイストーリーでおもちゃ達が震え上がっていたシーンよろしく、数えきれないこどもたちが、簡単に数えられる数の先生たちの保護のもと(あばれ)遊びまわっている。

新学期なんて特に大変だ。通い慣れたこどもたちでも、なんとなく4月の空気と環境の変化で本来の力を出せずにいるし、新しく入った子たちならなおさらだ。

先生たちの懸命なフォローにも関わらずあちこちでテロのように泣いたり帰りたがったりしているこどもたちが取り乱している。特に小さいこどもたちの話しだが。

園には不満がない。泣いているこどもたちがいずれルーティンを習得してあっという間に逞しくなっていくのも知っている。
先生達は適切に保育をしてくれているし、(寧ろ丁寧すぎて心配になるくらいだ。)我が子が日々新しい力をつけて帰ってくるのがわかる。

だから尚のこと、朝のそんなカオスな風景を前に、とどめのように「(はいー!追加で我が子も)お願いします!」なんて1人放り込んで仕事に行く(訳ではないが事象として)のが心苦しい。

息子は最終学年として園の生活にも慣れ、玄関先で朝から大泣きするフェーズはとうの昔に卒業した。

しかしその状況で「お願いします」という、なんだか息子をまるっと全て任せるようなフレーズが何となく違う、違う、そうじゃない、、と思いながらここ数ヶ月モヤっとしていた。

そして私は今朝ついに見つけたのだ。

誰かが作った工作を、別の棟に走ってとどけながらも爽やかに挨拶してくれる以前の担任の先生とすれ違うとき。
大泣きの小さい園児さんを抱えた先生に朝の挨拶をしながら。
床に座り込んで泣きじゃくるこどもをなだめる先生を前に。

そうだ、息子はある程度の園生活が自分「でも」できる。必要なのは、まるまる一から十までの保育ではなく、「サポート」だ。
そこで私はぴったりくる朝の返答として
「お世話になります」を選ぶことにした。

お願いします、だとなんだか責任を丸ごと先生になげる感がすごい。(究極的にいえば幼児なので全ては先生方のおかげなのだが)

小さい子たちほど手がかかるステージは通り過ぎたし、おそらくお兄ちゃんお姉ちゃんとして頼もしい一面もあろう(あって欲しい)

そう、「(出来ないところも多いと思いますが、一部を)お世話になります」なのだ。

実際のところは先生たちとこども達にしか分からないが、送り出す身としてはこんな気持ちだ、という 気持ち=言葉 のスッキリ感を得たそんな朝だった。

ほんとうに援助職の人々には頭が上がらない。


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