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母の応援

私はあまり人に「頑張れ」と言わない。昔Twitterか何かで、"「頑張れ」より「かませ!」と言われた方が嬉しい。"と言っているのを見たからという、あまりに安直な理由だ。代わりにそれ以来、「かませ!!」ともうひとつ、送る言葉がある。

中学3年の最後の大会のとき、保護者の方々が色紙に寄せ書きをして、私たちに持たせてくれた。遠方で行われる全国大会にほとんどの保護者が行けなかったからだ。母が当時保護者代表だった私は、その色紙を「みんなに見せてね」と持たされ、行きの新幹線の車内で部員と顧問の先生に回した。最後に自分の元に色紙が戻ってきて、ひとりひとりのメッセージを読んだ。「頑張れ!!!」「応援しています」たくさんの応援メッセージは、安心感に溢れていて、ありきたりだけど、頑張ろうと思わせてくれた。ふと、自分の母のメッセージに目をやった。

「みんなが今日まで遊びたい日も休みたい日も我慢して頑張ってきたこと、知ってるよ。」

 

あやふやだけど、こんな言葉だったと思う。自分の母親の言葉だからなのだろうか。私はその言葉を目にしたとき、涙がボロボロとこぼれた。部員をまとめられなくて1人で誰にも言わずに泣いた日、勉強の時間を削って練習に励んだ夏休み、部活のために我慢したライブ。部活のために、全国大会に行くために、3年間の全てを捧げた。それが自分の中で当たり前で、褒められたことなんてなかった。でも、そんな自分の日々を、1番傍で見守り続けてくれた人がいる。認めてくれる人がいる。それが、お母さんだった。

「私、今日まで頑張ってきたんだ。」

お母さんがそのことに気づかせてくれた。それが、1番の自信になった。「がんばれ」も「応援してるよ」も書いていなかったけど、それが私にとって1番の応援メッセージだった。


その色紙は、なんだかんだ私が持ち帰り、今でも実家の部屋に置いてある。その後も受験や大事な本番の前に見返していた。あの言葉は、今でも私の中にある、大事なお守りだ。誰も褒めてくれなくても、見ていないように思えても、誰かが必ず見てくれていて、認めてくれる日がくる。大丈夫。4年経った今でもそう思わせてくれるほどに、あの言葉の持つ力は大きい。

あれ以来私は、「頑張ってきたこと、知ってるから。」と必ず言うようにしている。あのころの自分と同じように頑張っている人に「私はちゃんと見てるよ。あなたは頑張ってるよ。」と伝えたいから。


母もかつて誰かに同じ言葉をかけて貰ったのかもしれない。でも、あの短いメッセージの枠内であの言葉を選ぶ母はやはりすごいと思う。私もあんな言葉を紡げるようになりたい。

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