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文科省が教育内容を定める社会ではいったい何が起こっているのか
■まちがったことをした人を死ぬまで追い込む完璧主義の社会病理
哲学のない日本社会
まちがったことをした人を死ぬまで追い込む完璧主義
正論を振りかざし、過ちを犯した人をとことん追及する
過ちを犯したことは事実であり、正論なので誰も文句を言えない
責任追及を緩める積極的理由もない
責任追及が過剰であったとしても、それに異議を唱えることはリスクでしかなく、傍観して見守るよりほかない
過剰に責任追及する社会はすべてのものを萎縮させ、それは隠蔽体質につながっていく
■「いい加減」のない社会
「いいかげん」という言葉があるが、それは概ね悪い意味で使われる
「ほどほどに加減して」という意味では使われない
「いい加減」がないと、多大な労力となり、社会全体から見ると、それは多大な社会コストとなる
社会に妥協、寛容がないということは、社会に「哲学」がなく、全体のバランスを俯瞰して考える人がいないということである
そして、過剰な責任追及となり、いわゆる「手打ち」がなく、ミスした相手を死ぬまで追い込む
「いい加減」や「適当」がない社会には、適度なゆるぎやゆとりがなく、ストレスの多い社会となる
こんな社会ではうつなどの精神疾患が多いのも当然である
■モラルジレンマ
世の中には正論を振りかざすことが必ずしも正しいとは言えないことがある
このことは状況を俯瞰しなければわからない
将来の姿から考え、今、取りうるべき選択は何が最善かということを見通す能力がなければ、正論を振りかざす以外の選択を取る余地がない
こういうのをモラルジレンマといい、これは哲学の能力である
■にんげんだもの
この国の息苦しさ、つまり過剰な責任追及、過度の自主規制、常識の逸脱を過度に許さない風潮などは、哲学のない社会の帰結である
こういう社会には、「にんげんだもの」が哲学的な意味あいを強く帯びてくる
こんな社会は自分たちの代で終わりにしたい
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