干潟の漁2

ワタリガニの網掬い漁


夏の夜漁。満潮時に水深5~7㍍ほどの潮が交じり合う場所が漁場。
ワタリガニ(ガザミ)はエサを求めて海面近くまで浮きあがる。白っぽく映るカニはまるでクラゲがフワフワと浮遊しているように見える。
 船外機を付けた小さな舟(天馬舟)に2人が乗り込んで出漁。一人は船外機のかじ取り、操船役。もう一人は舳先(へさき)に座るか立つかして、先端に直径50㌢ほどの大きさのタモ網を付けた真竹の竿を持って、カニを掬い上げる。タモ網は手製。網は細い化学繊維で編んだ小さな網目で、タモの細い鉄輪にくくり付ける。タモの竿は太さ3~4㌢で長さ5、6㍍。
 船外機はあくまでもスロー運転。進むと浮遊していたカニは異変に気付き、甲羅の下方についた遊泳足で急いで潜る。潜るといっても直下に素早く潜るのでなく、比較的緩やかな速度で斜め前方に潜る。逃げ足が遅いため、逃げる方向に網を入れて待ち伏せしていれば、難なく掬い捕れる。一晩約1、2時間で平均50匹程度、多い時は100匹ほどの漁獲がある。
 東京湾で採捕されるガザミは江戸前とあって市場で値が張り、昭和40年代で大き目なガザミ1杯が浜値で1000円もした。それで身がぎっしり詰まっているかというと身入りが悪い。むしろスーパーで売られている朝鮮半島産の方が身入りがいい。市場に揚げると即刻、築地市場に運んだ.末端の売値は3倍の3000円ぐらい。東京湾産、江戸前を冠が付くだけでこれだけ値が張る。
仲買が買っても街の魚屋さんの店頭には並ばない。恐らく料理屋から料亭。同じ大きさの型がそろって数があれば、料亭での大人数の会食の席にゆでて出されることになる。料理屋や料亭は団体客に出す場合、大きさを一定にして型をそろえる。でないと、客同士がこっちのほうが大きいとか大小をウンヌンして騒ぎになることもあるので型がある程度そろった数ばないと買わないことが多い。これはワタリガニだけでなく、甲殻類全般に言える、カニだけでなく、魚も同じ。結婚式で出すタイも型がそろってないと使えない。
 ガザミ漁に出ても取れない晩もある。数が30~40杯ぐらいだと街の魚屋に買い取ってもらった。数杯とか20杯ぐらいだと自家消費用か隣近所に配った。自家消費としてカニの甲羅をはいで身を半分に切って朝の味噌汁に入れたり、身を甘辛く煮つけておかずにした。来客があれば、カニをゆでて酒の肴に出した。
 ガザミを網で掬い取る漁法は各地にあり、浜名湖では太平洋に近い鉄橋下あたりで引き潮時、潮の勢いに流されていくガザミやクルマエビ、コノシロ、タコなどを掬う漁がおこなわれ、観光化している。
 旅行をするたびにご当地のカニを食べてみた。一番は奄美大島を訪れた際、東シナ海で採捕されたアサヒガニ。エビのような姿をしているがれっきとしたカニ。身がぎっしり詰まっていて、ゆでても味噌汁の具にしても抜群にうまくて絶品だ。
同じくらいのうまさはモクズガニ。汽水域に住む上海カニの一種。川を遡上する。川漁師にはモクズガニだけを狙う人もいる。カニの通り道というのがあるそうで、そこに筌(うけ)を仕掛ける。筌の中にはサバの頭などを入れておく。モクズガニはこのにおいにつられて筌に入る。甲羅をはいだ中身の殻も爪も固く、大きいのは歯が立たないので殻を割いて身をほじくるしかない。親指の爪は毛もくじゃらだが、ことのほかうまい。
次は花咲ガニ。タラバガニと同じくヤドカリの仲間。甲羅や足にトゲ状の突起があるが痛くはない。どのカニも身がぎっしり詰まっている。身がなめらかで舌ざわりが良い。身の味も濃い。4番目がワタリガニ(ガザミ)。身がスカスカのカニもいれば、ぎっしり詰まったカニもいて、当たり外れがあるのがたまに傷。
5番手はイシガニ。大きいのは親指が赤くなっている。小さいのは甲羅を向いてエラをきれいに取って、半分に割ってムシャブリ食う。殻が比較的やわらかいので噛んでそのまま飲み込んでも構わない。
6番目はタラバガニ。何といってもカニ自体が大きいので食べ応えがする。身も結構スベスベして舌ざわりが良い。7番目はタラバガニの近縁種アブラガニ。やはりヤドカリの仲間で、ちょっと見はタラバより少し小型だがほとんどそっくり。タラバと同じようにオホーツク海、ベーリング海に分布する。タラバとは甲羅の突起数が異なる。甲羅の中心部に4個のトゲ状突起がある。タラバの突起数は6個。食味はタラバとほとんど変わらないので一時、タラバガニと偽装表示されて売られていた時期もあった。
8番目は毛ガニ。9番目がズワイガニ。採捕される土地土地で呼称が異なる。島根、鳥取の山陰の港に水揚げされるズワイは「松葉ガニ」と呼ばれる。福井県や新潟県で取れるズワイは「越前、石川県産は加賀と能登を合わせた「加能ガニ」の名で売られている。
雄はマツバガニと呼ばれる。雌が小型でセイコガニとかセコガニと呼ばれて1箱いくらの安値で売られている。京都府丹後半島の間人(たいざ)港に水揚げされるズワイは「間人ガニ」と呼ばれ超高級ブランド品。大きいのは1杯2、3万円もする。一度食べたが、普通のズワイと変わらない。どうしてこんなに高値なのか分からなかった。
この順位はあくまでも個人的な舌の感覚、好みによる。個人的に身がすべすべしてツヤがあり、身肉に甘みがあるのが好み。味覚や好みは人それぞれで、毛ガニや松葉ガニの産地の漁師らから「冗談じゃねえ」と叱られそうで、順位をつけるのははばかれたが、あえて個人的な好みで付けて見た。

 

パッチン漁



パッチン(上の写真)と呼ぶ漁具を用いたクルマエビ採捕の夜漁。写真(千葉県君津市漁業資料館の展示品)で見る通り縦横25~30㌢四方の底と高さ25~30㌢の四方に網をかぶせて、その先に伸びる取っ手につけたハンドル・ブレーキレバーのレバーを握ると、開いていた底が二つに畳んで閉じる仕組み。照明はかつてカーバイドのアセチレンガスに点灯したカンテラの明かりだったが、昭和40年代半ばから自動車搭載用の鉛バッテリーを使い、ヘッドランプで海面を照らした。
漁場は沖とよぶ岸辺から400~500㍍進んだ場所。夜漁でしかも深さ1㍍ほどの海中に胸長と呼ぶ胴付き長靴を履いて入る、小舟を腰ひもで結んで引っ張り、2~4時間ぐらい海中を歩く。ランプで海底まで光を入れてクルマエビを見つけ出す。クルマエビは逃げる時、後ろに飛び上がって下がるように逃げる、パッチンは通常、真上からかぶせるが、エビが逃げるのを想定して、真上よりやや後方に入れるようにすると入る。
 1匹ずつの捕獲なので、潮汐の関係から一晩に精々50匹程度。多い時は100匹ぐらい取れる晩もある。エビは無傷なので高く売れる。江戸前の天然ものとあって浜相場で1匹500~1000円程度、やはり型が大きくてそろって、ヒゲがついていれば、宴会客用に料亭から引き合いがあるらしく、縁起物として高値で取引される。
 天然クルマエビは容姿が美しい。特に尻尾はレインボー色をしている。エビはやはり生食よりも煮たり、焼いたりしたほうがうまい。ゆでるとうまみ成分とみそが逃げ出すので蒸(ふ)かし器で蒸した方かうまい。エビ類はイセエビもそうだが生食でも甘いが火を通した方が身が引き締まり格段にうまい
漁で数が取れないと自家消費用として煮たり、ゆでたりして食べる。味噌汁に入れると格段にうまい。一番うまいのは、イセエビを縦に半分して入れたもの。味噌が溶け出し、身はがっちりしまって最もうまい食べ方だ。
都道府県の漁業調整規則に漁法が載っていないので禁止漁かもしれない。禁止されても根こそぎ捕獲するわけではなく、一定の大きさに育ったエビだけを狙って捕まえるので効率が悪く、漁師からすれば禁止の理由がよく理解できない。
東京湾の内湾の干潟では比較的遅れて流行した1960年代後半ごろからの漁法。内湾各地で干潟の埋め立てが進み、地先漁業でこのパッチン漁をする漁師は少なかった。漁がはやり出したころ、内湾の千葉県側も浦安から五井、長浦あたりまで埋立が進んでいた。

メヅキ・見突き漁


地方によって「ミズキ(見突く)」とか「目突き(メズキ)と呼ぶ。
道具は、ヤスの一種ヘシ。ヘシは「押す」「圧す」「突く」の意味。
銛とヤスの違い。銛はゴム等を用いて発射、投射する道具。ヤスは突く道具。ヘシの先端は長さ約10㌢の針棒が5~10本付いたもの。鉄製で集落にある鍛冶屋の手作り。長さ2㍍程度の柄の先に針棒があった。
針棒の数は狙う魚によって分けて使った。大き目で暴れる魚は大きめのヘシを使った。カレイやマゴチ、メバル、ウナギ、イシガニ、ワタリガニ、がいた。カニ類は足を含めた体に傷をつけるとそこから身が流れてしまうので突く際に特段の注意を払った。アカニシなど貝類を採捕する3本、5本針のヘシもあった。
ヘシは柄を高竿(太さ3~4㌢、長さ5~10㍍)に括り付けた。
メガネは厚さ1・5㌢のスギ板で作った台形型を使った。高さ約50㌢上下は正方形で、海面に付けるガラス板を張った底の方は大きめで縦横各35~40㌢の正方形。のぞく方は小さめで縦横各25~30㌢の正方形。スギ板のつなぎ目やガラス板をはめた底の方は水漏れ防止のためコールタールを塗ったりした。のぞく方は波でメガネが大きく揺れないようにメガネを固定するため歯で板をくわえた。その反対側は額を付ける仕組み。歯でくわえる板には巻いた晒布を貼り付けて歯を保護した。額を付ける方は板の上に幅広のゴムを付けた。
 
以下、専業漁師から聞いた話をまとめた。
小舟に乗って箱メガネで海底を覗(のぞ)き、魚貝をヘシというヤスの一種で刺す覗き漁。主に春から秋にかけての昼漁で、自動車用バッテリーを使ったヘッドランプが普及してから夜漁も行われた。干潟では大潮の干潮時に最も潮が退く「そこり」に干出地が途切れてアマモが繁茂する「藻場」周辺が漁場となった。
国内の海浜では干潟のない磯の岩場でサザエなどを取る覗き漁がある。「ボウチョウ漁」と言われてきた。浜名湖など水の透明な汽水域でも夜のカンテラ漁を含めて見突き漁が行われている。箱メガネが普及する以前、米ぬかを口に含んで海面に吹きかけ、さざ波が立たないようにしたという。東京湾では見突きが訛って「目突き」とも呼ばれた。
アマモや丈が数㍍もあるオオモの茂るモ場は大潮の干潮時で水深3~6㍍。藻場はプランクトンが多く集まり、魚の産卵、稚魚の成育する「海の揺りかご」といわれた。稚魚を狙って多くの魚類が群れる場所でもあり、古くから格好の漁場だった。
明治時代には東京湾の横浜から対岸の千葉県富津岬まで内湾沿岸の漁場図が作成され、「アジモ」「ニラモ」「タカモ」「ホソモ」「イカモ」の名称で「藻場」が詳細に記された。湾内の漁船漁業は江戸時代から藻場周辺を中心にした操業だった。見突き漁の漁場は藻場とウナギのひそむ泥地の澪筋が中心だった。
覗き漁の漁具は海底を覗くスギ板製の箱型か丸型のメガネ。底にはガラスを張った。波が比較的穏やかな内湾では箱型を、大波が寄せる太平洋岸の磯では丸型を使った。丸型は桶屋に特注し、箱型も桶屋特注か器用な人は自分で製作した。
箱型は底が1尺(約30・3㌢)四方の台形。上部は箱の縁に自転車のチューブを利用したゴムを巻いた。箱の縁の歯でくわえる所はスポンジ状の歯当てを付けた。箱に取り付けたガラスの縁から「アカ」(水漏れ)が出ないように隅々に防水用のコールタールを塗りつけ、防水加工した。
漁具の大事なもう一つは「ヘシ」と呼んだ鉄製のヤス。ヘシの先は長さ10~12㌢のとがった釘状で、ウナギを突くヘシは幅12㌢で釘12本、魚は幅10㌢で釘6~8本。アカニシなど貝類を突くヘシは4本足状になっていた。ヘシは近在の鍛冶職人に特注した。ヘシは漁をする場所に水深に合わせて長さ5~8㍍のマダケの柄に取り付けた。漁に出る時はヘシの種類や柄の長さが異なるものを数本持っていった。
漁は小舟の操作に熟練し、魚類の習性を熟知していないとかなり難しい。漁師は舟の後部の「トモ」に腹這いになり、箱メガネの一辺を歯でくわえ、向かいの一辺に額を当てて箱メガネがぐらつかないようにした。舟縁の「コベリ」にロープで固定した櫂(かい)を足で操り、ヘシで海底を突いて漕ぎながら舟を操作する。
凪で風波がなく、水が澄んで透明度が高いことが漁の必要十分条件だった。水深数㍍で裸眼でも海底がよく見えるほどの日和が最適だった。多少の風があるとさざ波が立ち、箱メガネが揺らいで歯で箱をくわえているのが難儀になる。水質悪化で水が薄茶条に濁り出した1970年代から、東京湾内湾では昼漁はあまり行われなくなった。夜漁はバッテリーの照明が海底まで届きやすいのでメズキ漁の漁師は夜漁が主になった。
魚体の突き所は頭か尾の部分。内蔵など体の中心部を突くと売り物にならないか、売っても買い叩かれるからだ。突き方だけでなく、底にひそんでいる魚の見つけ方、逃げ方など魚の生態を知ることが水揚げの多寡に大きく影響した。
藻場の周辺はきれいな砂地。ヒラメは砂地に浅く潜り、ひそんだ場所に魚体の縁辺が縁取られている。片目をギョロッと動かすので慣れるとすぐ見分けがつく。突き損なって逃げても近場にいて、同じ状態でひそんでいる。イシガレイなどカレイ類は藻の淵にたまる習性がある。砂地に潜った場合はヒラメの見分け方と同じ。マコガレイは藻場の中にいて、逃げて隠れるとちっとやそっとでは見つからない。逃げてもすぐ近くだった。このため、逃げた方向の見当を付けて勘で突く。「隠れ突き」と呼んだ。この勘が漁の多寡を左右した。
マゴチは砂地の丸く少し盛り上がった「セブタ」という所に隠れている。ギョロッとした目が動くので突きやすい。イシガニは藻の中に、ワタリガニ(ガザミ)は藻場周辺の砂地にいて、動きが鈍いので最も突きやすかった。泳力の弱いアイナメ、メバルも型が大きくよく突けた。アマモの中に隠れているか、岩場や大きな石がゴロゴロした場所にいた。  
アイナメは潮の動きが止まると岩場の隅で横になってじっと動かない。潮が動き出すと餌を追って動きが俊敏になる。メバルは昼間、アイナメと同じようにじっとして動かない。泳ぎの速いススキやタイ類はよほどのベテランでないと突くのは難しかった。
春の彼岸過ぎにアマモ場で産卵するスミイカは「イカ流し漁」で触れる。ウナギは澪筋の「ヌタ場」という泥地にいた。昼間は親指ほどの穴を掘って動かない。穴は二カ所ある。穴と穴の間隔から見当を付けて胃袋か尾の部分を突いた。生命力が強くなかなか死なないが死ぬと売り物にならず、売っても安値で買い叩かれた。
内湾には昭和20年代半ばごろまで、藻場の周辺にタイラギ(タイラガイ)がいた。シロミルガイ、クロミルガイもいた。タイラギは柄の長い竹箒で周りの砂を掃いて、ヘシをよじりながら取った。アカニシとアサリを捕食するツメタガイ(東京湾の漁師はイチゴとよぶ)は貝用のヘシで入れて、挟むように取った。アカニシはわくように生息し、アカニシが産卵した細いウミホウズキが干潟のあちこちにあった。漁場や魚の習性の見分け方、櫂の操作の仕方など熟練の度合いで漁師の稼ぎは大幅に違った。ナマコも多くいたが、だれも取らなかった。中国料理で干しナマコが使われ、ナマコが高価になってからナマコ漁が盛んになった。

海面叩き漁


比較的波の穏やか東京湾などの内湾や三方五湖などの湖沼で古くから行われる固定式の建て網、掛網、一枚網、三枚網を使った伝統漁法の1つ。海や湖沼に「建て網」「刺し網」と呼ぶ掛け網を張り、この網に追い込むように水面を竹や棒で叩き、脅かして追い上げる漁法。網の目が小さかったり、網が幾重にも重なった三枚網には小魚がかかる。目の良い魚は網を超えてジャンプしてかからないように逃れる。
東京湾では地先漁業権なので網を仕掛けるには集落の地先に限られた、ほかの地先漁業権のある漁場には、どんなに魚類がいても張れなかった。
網はクレモナ(ビニロン)製で、長さについて漁師は反とか尋(ひろ)で表現するが、1反は約20㍍の長さ。網を仕掛ける長さはだいたい200~300㍍。高さは2~3㍍。中層を泳ぐ魚は網の上部にアバと呼ぶ浮きを付ける。カレイ、ヒラメなどの底生魚は網の下部に鉛や陶器製の重り、沈子を付ける。網は採捕する魚種によって網目の大きさなどが異なり、カレイ網、クルマエビ網、カニ網などの種類があった。
海では上げ潮時、プランクトンは潮に乗って漂う。このプランクトンを追って小魚や幼魚が集まり、小魚を狙ってススキやボラなどの大型魚が回遊する。ススキは成長度合いで魚の呼称が変わる出世魚。体長20~25㌢程度の三歳魚まではセイゴ、体長30~60㌢ぐらいまではフッコ、これ以上大きくなるとススキと呼んだ。よく掛かるのはセイゴ。またボラも出世魚で幼魚のころはオボコ、体長50㌢程度までをイナ、50~70㌢級をボラ、70㌢以上の大物をトドと呼んでいる。
網の大きさは長さが200㍍~300㍍、高さ2~3㍍。網の上部にアバとよぶウレタンなどの浮子、下部に沈子と呼ぶ鉛を付けてある。一枚網もあるがだいたい三枚網が一般的、三枚網は両方の外側の網の目が大き目、中の一枚の身網は小さい目になっている。この小さ目の網の目に魚が引っかかる仕組みだ。幼魚は掛かっても資源保護のために逃がした。
日本中で行われている沿岸漁で、東京湾・内湾の干潟漁では網を張るのは岸から200~400㍍沖合。満潮になると水深が2㍍から4㍍になる。大潮の上げ潮時、しかも満潮に近いころに岸と並行に網を張るのがベスト。上げ潮時に網を張ると藻類やごみが引っかかり、網に近づいた魚がごみ類に気づいて逃げることがある。だから満潮に近いころに張る。網の底の両端に錨を付けて固定し、網の両端に網を仕掛けてあることを知らせる目印の旗などを立てる。
海面を叩くのは網を張り終えた直後から網の端から端まで、まず網の沖側を通り一遍たたき、次に陸地側を叩く。驚いた魚が網にかかる仕組み。魚の中には網を飛び越えてジャンプすることが多々ある。一通り叩き終えてから網を揚げる。網を揚げながらかかった魚を外す。
刺し網は採捕する魚種によって、網が異なる。漁期や操業時間を決められた許可漁業で、底生魚のカレイ、ヒラメの類は網の底が海底をはうカレイ網を使う。ガザミやイセエビを採捕する網もある。

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