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組曲Ⅲ 敗残の秋4

 私鉄沿線の小さな駅の周辺、これこそが穏やかな暮らしに相応しい舞台というものだ。こぢんまりとした、セルロイドの花や万国旗に彩られた駅前の商店街、だが日常生活で必要なものはすぐに手に入ったし、何よりそこに住む人々らが良い心持で日々を過ごせるようにとのさまざまな気遣いが街中に溢れていた。ふと目が合った時に交わす、商店主たちとの挨拶や軽口が、しこりのようにがちがちに固まっていた緒方の心というものを、少しずつほぐしてくれた。遅い午後に街の隈々に現れる陽だまりにさえ癒される思いがした。喫茶店、花屋、スーパーマーケット、立ち食い蕎麦屋、そんな店々が並ぶ商店街の一番奥、一階に本屋が入っている小さなビルの二階、そこに吉開の音楽教室はあった。楽譜だとか、楽器に関する小物だとか、まるで女学生向けの文房具店の店先のように色とりどりの小品が並べられた狭いロビーと、その奥にはそれぞれ四畳ほどのレッスン室が三つ。壁に貼られた大き目のホワイトボードには、レッスンの予約状況が黒のマジックペンで細々と書き込まれている。割と繁盛しているのは吉開夫妻の人柄の良さと、熱心な指導のお陰だろう。吉開以外にも奥さんがピアノを教えていたし、他にも近くの音大の学生がフルートの講師として雇われていた。その教室で緒方も三十人ほどのサキソフォーンの生徒を受け持った。切った張ったと眉間に皺を寄せ、大袈裟な身振りでライブを続けた挙句、すっかり疲れ果ててしまった緒方にとって、仕事帰りの会社員やOL、定年を迎えた初老の男性たち、クラブ活動に命を懸けていると口にして憚らない高校生たちにサキソフォーンの指使いを説明しながら、一緒に楽譜を覗き込み、そこに書かれた小指の先ほどもある大きな音符を指差し「これはド、これはファのシャープですよ・・・」などとホストのような柔らかい物言いで教える作業は新鮮だった。少しずつではあるが確実に上達してゆく生徒たちの手助けをするのは何やら嬉しい事でもあるし、行儀の良い生徒から盆暮れに貰うエビスビールのセットや、ロースハムの詰め合わせは緒方をどこまでも恐縮させた。時折、日が翳るようにふと「これでいいのか」と問い掛ける声が、自らの内側から聴こえてくる時もあったが、その度に大きくかぶりを振りながら「そうだ、これでいいんだ」とその問いを強く打ち消した。

 

 上京したその日の緒方は、教室のロビーに置いてあるソファーで一晩を過ごした後、早速新しい仕事場の近くにアパートを探した。自動車工場の寮に住み込む前に借りていた部屋は、家財道具もろとも処分されていたので、また新たに住むところを見つける必要があったのだ。これから務める音楽教室のある駅からさらに私鉄で二駅を、都心とは逆向きに行った街、そこには東京でも一番大きな音楽大学があり、音楽を生業とする者には何かと都合が良かったのだが、その街でたまたま見つけたアパートは、緒方がほぼ希望している物件だと言ってよかった。

 木造二階建てのその建物は、四つの部屋に別れていた。一階の二部屋はコインランドリーとスナック、緒方はコインランドリーの真上の部屋に住む事になった。二階のもう一つの部屋、緒方の隣は、近くに店舗を出している文房具屋が倉庫として使っている。そうなれば当然この建物の中で寝起きしているのは緒方一人だという事になる。元々二十四時間、いつでも楽器の練習ができるという触れ込みの物件だった。アパートのまわりには小さな工場や公園、裏には私鉄の線路が通り、次々と押し入って来る騒音を受け入れる覚悟さえあれば、こちらから音を撒き散らす分には何の問題もなかった。それに夜になると昼間とは一転、ここが東京の街中かと思えるほどの静寂が訪れた。部屋の真下にあるコインランドリーの乾燥機から噴き出す熱気は、真夏には耐えがたいほどの暑さを運んできたが、むしろ冬の間は快適だった。斜め下のスナックからは時折、酔っ払いがカラオケに合わせて喚き立てる調子の外れた歌声が蔦のように壁を伝って這い上がってくるのだが、その声にしたところで耐えられないというほどのものではない。二階の二部屋にはそれぞれ別々の外階段が設えられていて、その独立した感じが、人付き合いの苦手な緒方には何となく心地よかった。

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