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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話16

 そのうちに体を横たえなくとも、身を起こしたままでも死ねるようになった。目も開いたまま、まるで呆けた老人か、ゼンマイの切れたからくり人形にように宙を見つめている。いや、もちろん何ひとつ見てはいない。何しろその時、私は死んでいるんだ。

  土に還るためにすっかり黄土色になってしまった私の皮膚が、風が吹くたび、その風に染まるように次第に透明になってゆく。ただただ風に清められている気がする。生の世界に住む者を水が清めるように、死の世界に近づく者を風が清める。

  

 踏みしめているはずの大地が崩れてゆくように、生と死の境がどんどん曖昧になってゆく。静かに目を閉じているその時、私が死んでいるのか、生きているのか、もうアマンダにも分からない。

 

 

 惚けているのだろうか?もちろんそうかもしれない。だが、惚けているのだとしても、それは生に対して惚けているのであって、死に対する感覚はますます研ぎ澄まされてゆく。

 

 

 

  神々しい。ああ、神々しい。アマンダが時折、観音菩薩に見える時がある。その美しさに涙が止まらない。漆黒の髪と、褐色の肌と、ラピスラズリの瞳を持つ豊満な観音菩薩。

 

 

 

 

  別れの時は近い。それはもうすぐそこまで来ていたが、その別れというものが悲しいものなのかもよく分からない。

 

 

 

 

 

  別れを覚悟した今年の冬は、例年になく大雪が降った。雪は毎日毎日、止むことなく降り続き、街は白と黒の世界の中で眠るように凍り付いていた。雪が小やみになったある朝、まとめて買い物を済ませておこうと一人で雪に覆われた街へと出掛けたアマンダは、アーケードの入り口付近にある大きなスーパーマーケットで食料品を買い込んだ。

色々な売り場を見て歩く中、通り過ぎようとした酒の売り場でふと足を止めた。そこに並べられた酒瓶に貼られた色とりどりのラベル、その中の一枚に見覚えがあった。そうだ、二人が初めて出会った頃、一緒に入った居酒屋、そこで出された酒瓶に貼られていたラベルだ。アマンダにとっては初めての日本の酒だった。おいしいと繰り返しながら二人で飲んだ日本酒を見つけたアマンダは、嬉しくなってその酒を買い込んだ。 

 アマンダは今、この街のどのあたりを歩いているんだろう、縁側に敷いた布団に横たわったまま庭に降り積もる雪を眺めていた私は、ふと外が恋しくて堪らなくなり、そっと硝子戸を開いてみた。ひと吹きの風が、綿のような雪を部屋の中へと運んできた。わたしは肉体をそのままに、心だけを気体に変え、ふわりとアマンダの元へ飛んだ。上空から街を見下ろすと、頬を赤らめ、凍る息を吐きながら家へと続く坂道を登ってくるアマンダが見えた。私はそっとアマンダの前へ降り立つ。気体になった私を、アマンダは見る事ができない。アマンダは凍り付いた坂に足を取られ、何度もよろめくが、雪に足を取られる事すら嬉しいらしく笑顔を浮かべている。アマンダにとって、うん、雪は初めてなんだ。何度目かに足を滑らせ、大きくよろめいた時、こつんと音を立ててぶら下げていた一升瓶が地面に当り割れた。たちまちこぼれた酒が雪の色を変えてゆく。お使いの途中で財布を無くした子供のように、アマンダの目から涙がこぼれた。しばらく俯き、ふと顔を上げたアマンダは笑みを浮かべていた。「何トカナルヨ」そう呟くアマンダ。私はアマンダが愛おしくてたまらなくなり、そっとその頬を見えない指で突いてみた。何らかの気配を感じたのか、擽ったそうに目を細めるアマンダに私の姿を見る事はできない。アマンダは左右をきょろきょろと見回し、それから真上を見上げた。いつの間にか止んでいた雪がまた降り出していた。立ち止まったアマンダの頭に、肩に、たちまち雪が降り積もる。アマンダはじっと空を見上げている。私もアマンダの目を通して空を見上げた。鉛色の空から、その鉛色を真っ白く塗りつぶしてしまうほどに白い雪が静かに舞い落ちてくる。

 鉛色の空の欠片が、微かな汚れもない真っ白な雪に姿を変えながら落ちてくるのはどうしてなのだろうかと、アマンダは言葉にする事なく心の中で思ったが、私にはその気持ちが、やはり言葉としてではなくしっかりと伝わってきた。

 アマンダが雪を眺め、そう思いながら立ち尽くしていたちょうどその時も、私の肉体は硝子戸を開け放した縁側で横になったままだった。暖かくも冷たくもない、ただただ心地良い。雪はすべてを覆い尽すように降り積もる。縁側ごと雪に埋もれてしまった私は、死んでいるのか、生きているのか、もう誰にも分からなかった。ただ雪になってしまっただけなのかも知れない。

 

                  完                      

 


あとがき

 とろりとろりと絶え間なく溢れ続ける水を、両の手で受け止め、器に注ぎ込んでゆく。そのように淡々と言葉を書き続けた。休むことなく書き続ければいつか言葉の連鎖は作品として生まれ変わる。それにしても言葉を書き続けるというのはどういう事なのだろうか。自身の底に横たわる無意識を曝け出す行為?ともあれ作品を仕上げる事によって何者でもなかった私を、ようやく私にならしめる事ができるのだと実感している。

 この組曲という連作で、私は駄目な男たちの救いようのない恋歌を描いた。誰もがそうするように人生を春夏秋冬、四つの季節になぞらえ、それぞれの世代を生きる四人の男を主人公とした四つの物語を書いたのだ。ああ、それにしても駄目な男たちの哀れな姿を描く辛さよ。それは果たして嫌いなものを描き続ける辛さか、あるいはどこか自分自身も秘かに隠し持っている駄目さを垣間見る事の辛さか。

 若い頃からずっと人生とやらの崖っぷちを歩いているような気がしている。いつ転がり落ちてもおかしくないであろうそんな自分が、かろうじて崖の上に留まるためには、やはり文字を書き続けるしかないのだと思う。今日も書く。そうして・・ああ・・ただただ大らかになりたい。書き続ける事によって敬愛するラブレーや、セルバンテスに一歩でも、いや、半歩でも近づける事を願って。

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