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雑記10 知らないうちに本当の別れを済ませていた

 どんなに実力があろうとも、決して歴史の表舞台には現れない、古い年表の黄ばんだ紙にぽつりぽつりと浮かび上がる小さな染みの一つのようにしか生きられないやつらがいる。誰からも顧みられる事などない。暗いところから明るいところはよく見えるが、明るい場所から暗いところを覗き込んでも何も見えない。何やら蠢いている不吉な影の存在を感じるぐらいさ。多分緒方はその影みたいに生きていたんだ。その影が不吉に見えるのは人間の真実と社会の矛盾を正確に体現しているからさ。

 かろうじて世の荒波を渡り、のうのうと長生きした私は、ふわふわとした老後の生活を楽しんでいる。そんな私が、ある日、昔の友人から突然飲まないかと誘いを受けた。友人は某ピアニストのバックバンドのメンバーとして、私が住んでいる街に来ているらしかった。会うのは二十数年ぶりだろうか。駅前の居酒屋で、まだ日があるうちからだらだらと飲み始めたわれわれの話は、ふたりの共通の知り合いの近況に終始した。

 何某は孫ができただの、別の何某は痛風に苦しんでいるだの、また別の何某はとうに音楽をやめて焼鳥屋を開いただの・・・。そんな事は別にどうでもよかった。私は恐る恐る聞きたかった事を訊いてみた。緒方、最近どうしてるか知ってる?友人はえっ?と間抜けな顔で私を見返した。その顔はお前知らなかったの?と語っていた。

 「緒方なら、もう十年以上も前に死んだよ」えっ?どうして?友人は少し芝居がかった声で答える。「ん、自殺」えっ?どんな風に?という声を私は慌てて呑み込んだ。首吊り、入水、電車に飛び込み、睡眠薬、練炭・・・、いや、具体的な姿など思い浮かべたくなかった。

 友人は緒方に関する噂話を幾つか聞かせてくれた。自分よりも年下の知人に拾われ、その知人が経営する音楽教室の講師として働いていた。たまたま家のそばをうろついていた、親子ほども年の離れた家出少女と同棲していた。もう人前でサックスを吹く機会はほとんどなかった・・・。うん、もういいよ・・・もう、いいんだ。

 緒方の事を書くのは一体何度目だろう。何故、私は彼の事を書くのだろうか。死んだ人間の事を書くと、いつも最後は嫌な気持ちで一杯になる。書いているうちにすべてが嘘臭く思えてくるんだ。他人の人生を、自分がでっち上げた物語の中に無理矢理押し込めてしまっているような気持ちになる。ああ、それでもやはり書かずにはいられない。ならばせめて、うん、嘘でもいいさ、精一杯の餞に、少しでも綺麗な言葉で、死者の姿を美しく浮かび上がらせたい。その為に自分は言葉を覚えたのだとでも言いたくなるぐらいにね。

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