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雑記16 ガキの頃猿のように山を駆けまわる友人がいた

 ガキの頃、私にも親友と呼べるやつがいた。私が生まれ育った街は少しおかしな形をしていた。平地は少なく、その少ない平地は商店や官庁に占められていた。海から内陸に向かって少し歩くと、ほら、もうそこは山の麓さ。そんな訳で多くの人間が山の斜面にへばりつくように住んでいた。もちろん私もそうさ。山の中腹、いや、その少し上ぐらい。そういう訳で足腰にはいささか自信があった。

 我が親友A君はというと、とんでもなく山の上に住んでいた。一度だけAの家に行った事があるのだが、そこはAの手引きなしには二度と行く事ができない、いや、行きたいとも思わない、そんな山の奥にあった。家?いや、それだって家と呼ぶのは烏滸がましい、どう見たって小屋だろう、うん、手作り感満載の掘立小屋だった。

 われわれは生粋の山のガキだった。猿のように山を駆けめぐる。岩を伝い、蔓にぶら下がり、湧き水で喉を潤し、果物や木の実で腹を満たした。山中の至る所に罠を仕掛け、野鳥や蛇を捕まえては遊んだ。その点ではAは私の師匠だった。山の中の事は何だって彼が教えてくれたんだ。獣道を、いや、それすらない森の中をAは飛ぶように走った。後を追いかけながら見る彼の後ろ姿は、うん、ちょっとしたハードル選手だったね。私の方はというと、鋭い刃物のような夏草や、棘のように飛び出した低木の小枝に足を、腕を引っ掻かれ、ああ、散々な態で彼の後を追い掛け続けたんだ。

 週に何回かは山頂に遊んだ。森を抜け、広々とした山頂には立派な展望台や、レストハウスがあり、休日には観光客で賑わっていた。時には観光でやって来た都会の若いお姉さんたちからカメラのシャッターを頼まれたり、老夫婦に道案内して駄賃を貰ったりもした。
一日山頂で遊び、陽が傾くとあたふたとわれわれは山を降りた。うん、一旦日が暮れてしまえば、あたりはたちまち真っ暗、山を歩く事は不可能になるんだ。

 山頂から少し下った森の中、夕闇が独特の重さを感じさせながらわれわれを取り巻き始めた頃、Aは「じゃあね」と私に一声掛けた後、藪の向こうへふと消える。その藪の向こうに多分Aの家が、いや、小屋があるのさ。それにしてもその別れ方を何と表現すればいいのだろう?すとんと消えてしまうんだ。不思議な余韻を残して。そうして私はというと、一人になった不安から、自分の家を目指して飛ぶように駆け出すんだ。

 ガキの頃は別に何も思わなかった。ガキなんてそんなもんさ。あるものを疑いもせずそのままに受け入れて。実はAは何とも不思議なやつだった。そんな事を思い始めたのは、随分と後、大人になってさまざまな記憶が、老い始めた私の脳味噌の中で輪舞を始めてからだ。ああ、Aとはいったい何者だったのだろうか?

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