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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話14

 普段は温和で明るいアマンダも時には癇癪を起した。私には想像もつかないような事で。人種の違いか、あるいは年齢の差か、それとも性別の違いによるものなのかは分からなかったが、ともかくアマンダが怒り狂っている事だけは確かだった。興奮したアマンダは、何事かを御国の言葉で捲し立てるが、もちろん何を言っているのか私にはさっぱり分からなかった。言葉も通じない年寄り相手に怒鳴り続けても埒が明かないと悟ったのか、アマンダは家を飛び出してゆく。そうして小一時間ほどもすると、決まって「何トカナルヨ」と呟きながら笑顔で戻ってくるのだった。いつ、どこで、その「何トカナルヨ」という日本語を覚えたのかは知らない。ともかく「何トカナルヨ」、アマンダをご機嫌にする魔法の言葉、それは遠い異国に生きるアマンダの大切な呪文だった。

 

 アマンダの獣じみた体臭に、私は土に還る前の人間が放つ独特の鉱物臭で対抗した。生き物が土に還る直前に放つ、湿った土や、苔むした岩の臭いを思い起こさせるような体臭。生というものの対極にある死そのもののような臭い。その二つの臭いが混じり合い、また新たな臭いを作り出す。もはや家の隅々までが、何と言っていいのか分からないような不思議な臭いに満ち溢れていた。何しろ国境、民族の境を越えたという程度のやわな臭いじゃない。そいつは生と死の境を越えた臭いなんだ。

 

 庭には立派な一対の大王松がその威容を誇っていた。別れた妻がたいそう気に入っていて、季節の変わる折々には庭師を呼んで手入れをさせていた松だ。すっかり苔むした太い幹がそれぞれ別の方向にうねり立つその姿は、まさに巨大な盆栽のようだった。ある日、縁側に立ってその松を眺めていると、あれ、一体何だろう?二本の松を不思議な物体が繋いでいる。注連縄?いや、それにしてはあまりに太すぎる。目を凝らしてよく見ると、それはハンモックというものだった。そのハンモックに寝そべったアマンダが、私に向かって屈託のない笑顔で手を振っている。ハンモックの網からはみ出したアマンダの豊満な肉体。ああ、まさにロースハムそのものじゃあないか。私は堪えきれずに笑った。私が何を笑っているのかもしらないまま、私の笑いに誘われて上機嫌になったアマンダも声を出して笑った。別れた妻が愛し続けた古き良き日本の情緒など、すっかりぶち壊されてしまったが、もちろんそんな事はどうでもよかった。最初は家中の変化に戸惑った私だったが、そのうち戸惑った事も忘れてしまった。今では、戸惑うというその言葉の意味すらすっかり忘れ去ってしまっていた。

 

 アマンダが時折、自分と同郷の、はるか南米の御国から海を越えてこの日本へとやって来た友人たちを連れてきた。素朴で元気の良いお嬢さん方さ。さあ、皆でどんちゃん騒ぎだ。「ドンチャンッテ何?」そんな事どうでもいいから、ともかく騒ごうじゃあないか。もしかするとご近所さんたちにはいささかご迷惑だったかもしれないが、私自身にはうるさいという事はなかった。そもそもうるさいというのは、耳の奥に不愉快な音が溜まってゆく事なのさ。私?今の私はただの空洞だ。その空洞をあらゆる音はただ素通りしてゆくだけなので何ひとつ気にならないんだ。

 この家にはCDプレーヤーなどというものがなかった。その代わり父の代から愛用しているステレオがあった。レコードだって数えきれないほどある。SPレコードから、十七センチのEPレコード、三十三センチのLPレコード、果ては両面を聴き通すのに半日はかかる九十九センチ超LPレコードというものまであった。その中から古いタンゴのレコードを引っぱり出し、その音楽に合わせてアマンダは元気の良い友人たちと踊ったが、その姿は盆踊りを楽しむ日本の少女たちとほとんど変わる事はなかった。古いレコードには随分と盤面に傷が入っているらしく何度も針が飛んだ。そのレコードの針飛びが面白いらしく、音が飛ぶたびに自分たちもぴょんと飛び上がり、そのたびにけたたましく笑った。友人の一人が「私モココニ住ンデミタイ」と思わず漏らし、その言葉を耳にした別の友人は満面の笑みで何度も頷いた。ああ、住みたきゃ勝手に住めばいいさと、私はそう思ったが口にする事はなかった。もしそうするなら私が完全に死んでしまってからにしてくれないか。せめて最後は静かに死にたいからね。アマンダひとりに看取られながらさ。

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