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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話5

 深く眠っていたって訳でもない。ふと目覚めた私は、その寝覚めがいつもとはまったく違う感覚を伴っていた事に戸惑った。いつもの遅い午後のうたた寝から目を覚ました、ただそれだけのはずだったのだが、開け放した窓から覗く秋晴れの乾いた空も、吹く風に揺れ騒めく枝々も、まるですべてが初めて目にするものであるかのように新鮮に映っていた。別に夢など見ていた訳じゃなかった。いや、それどころかすべての感覚が麻痺していたかのようだった。麻痺だって?いや、その言葉も何だかそぐわない気がする。ともかくすべてが失われていたそんな世界から、いきなり引き戻されてしまったような気分で目を覚ましたんだ。突然開いた目を呆けたようにさ迷わせている、そんな私の顔をアマンダが心配そうに覗き込んでいた。

「アナタ、今、シバラクノ間、ウウン、五分グライカナ、死ンデイタヨ」

 えっ?そうか・・・死んでいたのか・・・。なるほど、それで寝て起きたという感覚がなかった訳だ。アマンダが生まれ育った南米の山奥にあるというその村では、老人たちはふと死んでしまい、死体をそのままにしておくと、まるで死んでいる事に飽きたとでもいうように、またすぐに生き返るそうだ。低い生垣でも飛び越えるように、生と死の境をひょいひょいと気軽に行き来するらしい。眠っている顔と、死んでいる顔では表情が違っているので、一目で見分けられるとアマンダは言った。どういう風に違うのかという私の問い掛けに答えるアマンダの言葉は彼女の御国のもので、何度聞いても私にはさっぱりわからなかった。アマンダの語彙の少なさか、それとも元々同じ意味を持つ日本語が存在しないのか、ともかく私はアマンダの言葉に黙り込むしかなかった。それから生と死を飛び越える事の秘密についてアマンダは熱っぽく語り始めたんだが、話が込み入ってくるとたちまち彼女の言葉はかたことの日本語から彼女の御国の言葉へと変わっていった。

「死ヌトイウコトハ、エエト、エエト・・・パララテラウスイムダカラ」・・・えっ?・・・ぱららてらうすいむ?「ラ、エスカルトトレーム!」・・・えすかるととれーむ?「サムレ、シムレ、シリョーネ、パラララララララアーーーント!!!」・・・さむれ、しむれ、ええと・・・。アマンダが何を喋っているのかはまったくわからなかったが、熱を帯びた口調と、その真摯な表情から、喋っている内容の素晴らしさが伝わってきて、私は何度も「素晴らしい」と繰り返した。アマンダはまだ「素晴らしい」という日本語を知らなかったが、私の表情から「素晴らしい」という言葉の意味を悟り、その都度満足気に頷くのだった。

 

 死ぬ回数は次第に増え、という事は生き返る回数も増えて行ったという事になるのだが、自分の意思でそうする事はできなかったものの、ともかく私は生と死の境を行き来する事にだんだん慣れてきたのだった。それにしても私はいつ、何を契機に生と死の境を意識するようになったのだろうかと、いや、元々は生の世界に厚かましく胡坐を掻いていた私が、どのように死の世界へと引き寄せられていったのか、あまりに細く、今にもぷつりと音を立てて切れてしまいそうな自分の古い記憶の糸を手繰り寄せてみた。

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