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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話11

 おや、この年寄りの耳を擽るのは雲雀の声?いやいや、今は冬の真っただ中、しかも真夜中だぜ。雲雀なんか鳴いているはずがないだろう。いいかい、耳の穴をかっぽじってようく聴いてみるんだ。その鳴き声、窓の外から聴こえているのかい?違うだろう?その「ぴいぴい、ひゅうひゅう」という情けない声は、ほうら、そいつは私の胸のあたりから漏れ出しているじゃあないのか?

おお、いきなり胸に強い圧迫を感じる。何だ、何だ、一体何がどうしたってんだ?猿蟹合戦で大活躍するあの臼の野郎が私の胸に飛び降りてきたんじゃないだろうな?慌てて半身になり胸を押さえ、降霊中の霊にいきなり立ち去られたイタコみたいに、うう、苦しい、などと呻いてみる。

 毎夜毎夜に胸の奥から響いてくる音が、さまざまな彩りを伴ってくるようになった。もはやそれは雲雀の声どころではなくなった。まるで秋の虫さながらさ。コオロギ、鈴虫、松虫、馬追い、がちゃがちゃがちゃがちゃくつわ虫・・・「ああ、面白い、虫の声」。何が「ああ、面白い」だ。何一つ、面白い事などあるもんか。あるのはただ恐怖のみさ。何しろその正体が分からないんだ。その不気味な声の正体がさ。私の内臓は、内側から人食い虫どもに食い荒らされ始めているんじゃないだろうな。

 虫の声に混じって、何やらゼンマイでも巻くような怪しい金属音が鳴り始めた頃から、満足に歩く事ができなくなってきた。ともかく足が重いんだ。突然、足が地面に貼り付いたみたいに一歩も進めなくなる。もし、そこに運良く舗石でもあれば、よろめくようにそいつに腰掛け、絶望的な気分を宥めるように、すっかり薄っぺらになってしまった胸を撫で回しながら、再び足が動き出すのを待った。それが夜なら遠くに瞬く星を眺めながら。まるで家なき子にでもなってしまったような不安で胸を一杯にしながら。

 そろそろさ、「死」ってな言葉がちらちらと浮かんでくるようになったのは。いくら呑気な私でもさ。もはやこのままくたばる事に何ら抵抗もなかったが、それでも窒息死ってやつだけはごめんだった。紫色に染まった顔をぱんぱんに腫れあがらせ、自らの喉や胸を掻き毟りながら「く、く、苦しい・・・」などと呻きながらくたばるのだけはさ。今更何の贅沢も言えないが、どうせ死ぬなら、フランダースの犬とかいう子供向けのアニメの主人公みたいに、眠っている間に沢山の天使たちに抱き抱えられたまま天に昇ってゆくのがいいなあ・・・。いやいや、そんな優雅な死がこの私に似合うはずもなく、一旦はお人よしの優しい天使たちに抱えられたものの、天に昇る途中で「臭い」だの「重い」だのと、散々悪態を吐かれた挙句に手を離され、そのまま急降下、百舌鳥のはやにえみたいに電信柱か、とんがり帽子の時計台の三角屋根にでも串刺しになるのがせいぜい私らしい死に方だろうさ。

 

 口から泡を吐くように、終わりなく咳を吐き出し続けたが、その咳があまりに激しすぎて、ずきずきと痛む頭がどんどん膨張しているような気がした。咳、そいつがいちいち私の空っぽの頭蓋骨の内側に共鳴するんだ。こめかみがまるで中国の山間部に住む民族の頬骨のように盛り上がってきた。緊箍児という言葉を知っているかい?孫悟空とかいう名前の猿、そいつが戒めのために、お釈迦様から頭に嵌められた輪の名前さ。悪い事をするたびに孫悟空の頭をきりきりと締め付けるやつ。まるでその緊箍児とやらを私も嵌められてしまったんじゃないだろうかと疑いたくなるような頭痛が続いた。

 咳を一つする度に、鳩尾のあたりが大きく撓った。びくんびくんと。まるでバネ仕掛けのからくり人形みたいに。もし頭さえ痛くなければ、自分のその間抜けな姿に大笑いした事だろう。ともかく私は一晩中、胴体を撓らせながら過ごしたんだ。

 胸のあたりから漏れてくる虫の声はいつの間にか盛りのついた猫の声に変わっていた。ふうううう・・・ふぎゃああ・・・、その繰り返しだ。ああ、まるで鍋島藩のお殿様みたいに、とうとう私も化け猫にいつかれてしまったのか。

もう穏やかに眠る事などとうに諦めていた。東の空が白みかけた頃、ようやく症状が治まりかけたその隙をついて、慌てて眠りに逃げ込むのが常だった。といっても身体を横たえると、たちまち敵軍の総攻撃が始まるんだ。それで、うん、苦肉の策ってやつさ。胡坐を掻き、壁にもたれたまま眠るんだ。昔映画だか、漫画だかで見た即身仏とやらみたいにさ。呻き声も出ないほどぐったりとして、蒸し過ぎた饅頭みたいに頭からほかほかと湯気を立てながら束の間の眠りを貪ったんだ。

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