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組曲Ⅱ 夏の夜の白い花12

「ねえ、どうしたん?最近のあんた、何か変だよ」

 俺の事を心配する綾は、何度も何度もそう問いかけてくる。変だって?ああ、そうさ。変なのは自分でも分かっているさ。でも何がどう変なのか、なぜ変になってしまったのか、そいつが自分でもまったくわからないんだ。突然、体をぶるぶると震えさせるほどの怒りが込み上げてきたかと思うと、いきなり悲しくて堪らなくなる。自分が何か大切なものから目を逸らしているような、そんな不安に襲われガキのようにいつまでも泣き続けた。俺の中で何かがみしみしと音を立てている、俺の中で何かが確実に狂いだしている、ああ、そいつは確かなんだ。

 綾は俺に優しかった。でも俺は綾が俺に見せる優しさの、その十倍以上もの優しさで常に綾に接しようとそう固く決めていた。でも、うん、どう言えばいいんだろう。これまでいつも体の奥から自然と湧き上がってきていた綾に対する優しさが、愛おしさが、そいつが出てこないんだ。どうしても体がついてこない、まさにそんな感じだった。いつの間にかすっかり年老いてしまったような気がした。いや、確かに俺は人生とかいうすごろくの、その半分を確実に折り返してしまっていた。

 壁にもたれ、畳の上にだらしなく座った俺の体に綾がもたれかかり、俺の手のひらに何か文字でも書くように指を這わせ、やがてその白く柔らかい指を、俺の硬い皮に覆われた武骨な指に絡めてくる。俺の指と指の間に自分の指と指をしっかりと絡め、口を閉じた貝のようにしっかりと繋ぎ合わせる。俺の胸に顔を埋めた綾の吐く息が俺の胸を擽るが、ああ、その息はどこまでも哀しげだ。綾もどうしていいのか分からない。ただはあはあと薄く開いた口から悲しく息を吐くだけだ。開け放した窓から、その網戸越しに権蔵の叫び声が聞こえてくる。どこか遠く、夜というフィルターの向こう側から聞こえてくる今夜のその声は、哀愁すら纏っていて、まるではるか遠い世界からの音信のようだった。

 綾の体を、ただ熱いとそう思った。その華奢な体を熱気そのもののように感じた。

「ねえ、どうしたん?本当にどうしたん?」

 膝立ちになった綾が、座ったままうなだれている俺の頭を正面から抱き抱える。自分の柔らかい胸に押し抱くように。左の手が子供にそうするように、俺の後頭部からうなじにかけてゆっくりと何度も行き来する。右の手が俺の肩甲骨のあたりを何度もゆっくりと擦る。無性に悲しくなった。いきなり俺の両の目から涙が溢れ出した。くそ、いったい何てざまだ。俺をひたすら慰め続ける綾には、なぜ俺が泣いているのかも分からない。そりゃあそうさ。俺自身にだって分からないんだ。俺は一人、知恵の足らない男となって綾の腕の中で泣き続けた。

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