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友と呼ばれた冬~第30話

 家に帰りクローゼットに押し込んであった茶色の革製のトランクを引っ張り出した。
 ソファーに座りテーブルの上にトランクを置いて開けた。中には盗聴器、広帯域受信機、コンクリートマイク、アッテネーター、小型カメラなどのかつて愛用していた道具たちがきれいに収まっている。


 俺はその中からマグネットの付いたキーケースを取り出し、ケースを開けて中からGPS発信器を取り出した。
 新しい単三電池を入れて電源を入れると数年ぶりに緑色のランプが点灯した。

 携帯電話にアプリを入れ直して作動させてみると問題なくGPSは作動していた。携帯電話の画面には俺の自宅の位置がほぼ正確に表示されていた。誤差は10mと言ったところだ。

 梅島から聞いた話では、新宿営業所の労使会議は10時から12時の予定で開かれる。俺の家から新宿営業所までは電車で約40分。ようやく陽が昇って来た今、出掛けるにはまだ早かった。発信器が作動することを確認した俺は朝食を取ることにした。

 淹れたてのコーヒーの豊かな香りが部屋に充満した。長年の使用で取っ手が滑らかになった欠けたマグカップに湯気の立つ液体を注いだ。タバコに火をつけると、紫煙が澱んだ室内にとどまった。

 窓を開けると少しずつ動き出した街の音が流れ込み、入れ替わりに煙が流れ出していった。非常階段に一匹の猫が身体を丸めて座っていた。その黄色い目はまるで秘密を共有しているかのように俺を見つめている。
 しばらく我慢比べをしていると猫は興味を失くしたようにゆっくりと階段を降りて行った。

 目玉焼きと一枚のトーストを焼き、パソコンに向かいながらトーストをかじった。バターも何も塗っていない、ただ腹を満たすだけの朝食だ。卵の黄身が少し流れ、忘れられた手がかりのように皿を染めるのを見た俺の頭に、また同じ疑問が沸いてきた。

 いったいどうやったら特定の客が乗った時の映像を、複数のドライバーの乗車記録の中から集めることが出来るのだろうか?
 
 俺はもう一度、大野のクレームの映像を見てみることにした。
 改めて映像を見ると、初めに大野の前に飛び出してきたホスト風の男の行動がやはり気になった。結局この男は、成田と女に自分が止めたタクシーを横取りされた形になる。

 その背景のビルのエントランスに女が立っている様子が映っていることから、俺はこの男が店の黒服で客の成田と女のためにタクシーを止めたのだろうと考えていたが、本当にそうだろうか?

 強引にタクシーを止めるほど成田と女が急いでタクシーに乗らなければならなかったのなら、乗車後に行き先も言わずに戯れ合っていることが腑に落ちなかった。
 慌ててタクシーを止めなくても、歌舞伎町なら空車のタクシーは掃いて捨てるほど走っている。

 客のためにタクシーを止めたなら、発進するまで見送ってもおかしくない。まして客と店の女が暴力沙汰に巻き込まれていたのをただ黙って見ているはずもなかった。

 改めてこの男の姿を探してみたが成田と女が乗り込んだ後には、後方カメラにも映っていなかった。
 程なくして後方に現れた黒色のプリウスの車番は、明るすぎるヘッドライトと画質の粗さから読み取れない。

 鳴らされるクラクション、大野の焦った表情。

 プリウスから降りて来た二人の男の人相も残念ながらはっきりとは映っていない。カメラの死角を周り込むように左右から近づいていたからだ。

 大野と女が引きずり出され、成田が車から飛び出す。女は戻らず、大野と成田だけが乗ったタクシーが発進する。梅島の話では女は近くの店に逃げ込んだと顛末書に書いてあった。

 区役所通りの渋滞に大野の車が約1分間、合流できずに立ち往生している。プリウスは追いかけてはこなかった。後方カメラを見るとプリウスは左の路地へと入って行った。

 何かがおかしかった。

 すり抜けの出来ない狭い一方通行で、大野のタクシーにクラクションを鳴らしたと言うことは、大野の停車位置よりも前に行きたかったということだ。

 俺はもう何千回と通ったこの道を頭に思い浮かべた。

 成田と女が出てきたビル。大野の停車位置。プリウスの停車位置。そして最終的にプリウスが左折して行った路地。

 頭から見直しても俺の記憶通りだった。プリウスが左折した路地はビルの手前、つまり路地に左折するのであれば初めから大野の車両はまったく邪魔にはなっていなかった。

 急に行き先を変えたのだろうか?それとも思いがけず暴力沙汰になってしまったために、区役所通りには出ずに路地に逃げたのだろうか?

 もう一度大野と成田が発進したあとの後方カメラの映像を改めて見た俺は目を疑った。

 どういうことだ?

 二人の男が大野のタクシーから離れてプリウスに向かい、それぞれ左右から乗り込むと車内ランプが点いてほんの一瞬、車内が照らされた。

 プリウスの後部座席に着物姿の女が乗っていた。

 女は近くの店に逃げ込んだのではなかったのか?

 映像を巻き戻してコマ送りで再生をし、プリウスの車内が明るくなったところで停止した。

 成田と乗って来た女に間違いなかった。銀座と違って和服の女性は歌舞伎町ではあまり見かけない。上半身だけしか見えないが着物とその髪型は特徴としては充分だ。
 襲ってきた男達の車に女が自ら乗るはずはない。残りの映像も改めて見直した俺は、あることに確証を持った。


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