教育界に傑出した人物が登場しないこと

夏休みに向けて、森信三先生の修身https://amzn.asia/d/eMzMjeh
を読み返そうと思い、読み進めているところです。

第17講ー一道をひらく者(Ⅱ)で、義務教育に従事した人で「この人を見よ!!」と言い得る人を私は知らないのであります。
と、叙述されています。
昭和の初期でこう言われており、現在をや。

強いて挙げれば、蔭山先生であったり向山先生であるのでしょうか。
これも人によって賛否が分かれるところかと思います。
先日読書記録でも書きましたが、向山先生の基本的な考えは賛同出来ますが、全てが素晴らしいかと言われると・・・、です。

しかし、松蔭先生や福沢先生のような人物が教育において「この人を見よ」という人物が既に100年以上現れていないことも事実ではないでしょうか。

では、なぜ現在はこの様な状況なのか。
自分の足りない頭を使ってっ考えて見ますに、色々と原因は思い浮かぶのですがその中でも自分としては、教員の検証の無さのせいではないかと思い至りました。

いくつかの研究授業や、研修に参加しましても上述の通り検証がされていないと思うことが多くあります。
その授業の中で、「どうだった?」は研究会でも話題に上りますが、ではそれがその子供にとって高校入試にどう生きたのか、大学入試には生きたのかまでは全く検証されていません。
その場その場だけでしか見ておらず、継続的な視点を持った研究をされている方を見たことがありません。
筑波の研究会でも、学芸の研究会でもやっていることはそのときの授業の議論で終わってしまっていました。

と言って、授業で入試を意識したことをすると叩かれるようなムラ社会です。
受験のために勉強させるのでは無いと、いつかの研究授業の提案で言われたこともありました。
では、なんのために授業をされているのかと尋ねるとモゴモゴ・・・。

私的には、結局受験制度が変わらない以上入試で点数を取れるようなことをしてあげることが、その子達の選択肢を広げてあげられると考えています。
選択肢を広げることで、自分のやりたいこと、ひいては世のため人のためになれることに携われる用になって行けるのでは無いかと考えております。
ただそれだけでは、人間的につまらないので、塾長の本に書かれていることだったり、天皇陛下や皇室についてのことだったりを少しでも伝えて、自分のやりたいことをして世の中の一員として巣立っていってくれればいいのかなぁと思っております。

とてもまとまりのない文章になってしまいまして、大変恐縮ですが最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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