フェルメールの故郷デルフトを訪ねて~ゆかりの地をご紹介!
はじめに
フランス、ベルギーを経て私はいよいよオランダにまでたどり着いた。
私がオランダへ来たのはジョージアへの飛行機に乗るためであったのだが、何と言っても大好きなフェルメールに会いに行くこともその大きな目的だった。
私がフェルメールにはまるきっかけとなったのは『デルフトの眺望』という作品だった。
このリアルを超えた現実感、不思議な魅力に私は一発でやられてしまったのだ。
フェルメールは1632年にこのデルフトの町で生まれ、生涯のほとんどをこの町で過ごした。いわばデルフトは彼の故郷であり、画家としての本拠地であったのだ。
そのデルフトに私はこれから向かおうというのである。
デルフトはオランダの首都アムステルダムから電車で一時間ほどの距離にある小さな町だ。
私はというと、ブリュッセルからロッテルダムで乗り換えし鉄道でここまでやってくる予定だったのだが、ロッテルダムから先がまさかのストライキ。鉄道がすべてストップしていた。
そのためなんとかバスを見つけてここまでやって来たのである。やれやれ、ヨーロッパの公共交通機関はこれが怖い。
デルフトは運河が有名。町の中心部のほとんどあらゆる場所がこうした運河で繋がっている。
では、これからフェルメールゆかりの地をひとつひとつ紹介していくとしよう。
フェルメールの生家、空飛ぶキツネ亭
フェルメールの生家。父が経営していた居酒屋兼宿屋。ここでフェルメールは1632年に生まれた。もちろん、今は元のままのお店ではないがこうしてフェルメールの生家として残されている。
フェルメールが育った家、メーヘレン亭
生家からフェルメールの家族が移り住んだ家。生家からは徒歩数分もかからぬ距離。町の中央のマルクト広場に面している。フェルメールは9歳の頃からここに住んでいたそう。現在はお土産屋になっている。
フェルメールが洗礼を受けた新教会
フェルメールが洗礼を受けた新教会。町の中央のマルクト広場にどんと立つ巨大な教会。遠くからでもはっきり見えるデルフトのシンボル。『デルフトの眺望』でもこの教会が描かれている。
フェルメールの家兼アトリエ
マルクト広場や新教会から目と鼻の先にあるフェルメールの家兼アトリエ跡。
現在は教会の施設の一部となってしまっているため当時の状態とは異なっている。
『デルフトの眺望』モデルの地
『デルフトの眺望』が描かれたのは1660-1661年頃。当時からはもちろんその景色は変わってしまっているがところどころ面影を感じさせるものは存在する。
私が撮影した日は天気がイマイチの日ではあったが、それにしてもこの風景をあの美しい絵に変換してしまうフェルメールの画力にはやはり驚くしかない。絵を描くというのは単に目の前の風景をそのまま写し出すのではなく、そこにいかに画家の目や技量が付け加えられているのかということを改めて実感した。
ただ目の前の風景をリアルに写し出すだけならカメラが最強のツールだ。だが絵画だからこそ表現できるものがある。その美しさを際立たせるために何を付け加え、何を削るのか、そうした取捨選択も画家の腕の見せどころなのだろうとこの景色を見ながら感じたのであった。
『小路』モデルの地
フェルメール美術館
ここはかつてデルフトの絵画ギルドの拠点として使われていた。フェルメールも当然このギルドに所属し、その理事も務めていた。
今はフェルメール美術館としてこの建物は利用されていて、これが非常におすすめなスポットとなっている。
というのも、ここではフェルメールの全作品のオリジナルサイズのコピー画が展示されていたり、彼の生涯や絵の特徴なども初心者にもわかりやすく解説してくれる。
絵の具の材料だったり彼の使っていた道具はどんなものだったのかという展示は非常に興味深かった。そして上の写真はフェルメールの絵に描かれている光の効果がいかに高度なものだったかを実体験できるブースだ。絵と同じような光を実際に身をもって体感することでその効果を実感できる。フェルメールがいかに光に敏感な画家だったかがよくわかる展示だった。
そしてこの美術館の中で私が最も嬉しかったのがこの展示だ。これはカメラ・オブスクラという道具で、フェルメールが実際にこれを使って光の研究をしていたとされている機械だ。
カメラ・オブスクラは写真機の走りのような機械で、外部の世界をレンズを通して見ることができる。肉眼で見る世界とはまた違った世界がそこには映し出されるため、当時の画家や科学者の間で話題になった装置だ。
このカメラ・オブスクラについては「F・ステッドマン『フェルメールのカメラ 光と空間の謎を解く』写真機の先祖カメラ・オブスクラとは何かを知るのにおすすめ!」の記事で紹介したのでここではこれ以上はお話しできないが、その実物をこうして見ることができたのは私にとって非常に嬉しいものであった。しかも実際にこれを使ってカメラ・オブスクラの映像がどんなものかまで体験することができたのだ。
窓に向かって取り付けられたレンズ。そしてそのレンズを通して箱の中に映像が映し出される。カメラ・オブスクラの重要なポイントはレンズを直接覗くのではないということ。箱の中に映像が映し出されてそれを私たちは見ることになる。その映像の上に薄い紙を置けばたしかになぞり書きができそうであった。
フェルメールはこういう映像を見て絵を描いていったのだということをリアルに想像することができた。
この美術館はフェルメールのすごさを知る上でもとても役に立つありがたい存在だ。ぜひぜひここはおすすめしたい。
フェルメールのお墓がある旧教会
町の中心マルクト広場から5分もかからない距離にある旧教会。ここにフェルメールのお墓がある。
ただ、ここでややこしいのが、この教会にはフェルメールの墓石がふたつあるということだ。
上が元々あった石で、下が新しく作られたフェルメールの墓石となる。
この写真のようにキリスト教の教会では床の石に墓碑銘が刻まれていることがある。この教会も人が歩くその足元にこうして墓石がある。しかも墓石がかなり密集して置かれているのでその上を歩いていいのか正直とまどってしまうほどだ。
そして先に紹介したように今やフェルメールの墓石は二つある。わざわざ改葬したわけではないので、そもそもフェルメールがその石の下に埋葬されているかもわからない。この教会のどこかに眠っているのだろうとしか言いようのないものなのかもしれない。
だが、仮にそうだとしても墓石があるというのはやはり大きな意味がある。その石の前で手を合わせお参りするとき、何らかの印となるものがなければ私たちはどこに向かってお祈りすればいいのかもわからない。そういう意味でもここにしっかりと墓石があるというのはやはり大切なことだと思う。私もフェルメールのお墓参りをこうしてさせてもらったのである。
動画で見るフェルメールゆかりの地
以下の二つの動画は私が実際にデルフトの町を歩いて撮影したものだ。レーウェンフックについては次の記事で改めてお話しするが、この動画ではフェルメールの生きた生活圏がいかにコンパクトなものだったかに驚くと思う。
おわりに
そしてデルフトの美しい運河を眺めながら歩いていたとき、私はふと気付いたことがあった。
この運河沿いにある木の葉っぱはまるで点描のように細かい。そしてよくよく考えてみればこの町の建物の壁もそのような色合いだ。
『デルフトの眺望』も近くでよく見てみると、フェルメールの絵の描き方もそうした点描のような細かいタッチをたくさん用いていることがわかる。
そしてデルフトに滞在した2日間、あいにくの曇天が続いたのだが、そもそも地中海などのラテン地域と違ってオランダは曇りの日が多い。だからこそたまに日の光が差し込んだ時にはそれに敏感になる。フェルメールが光に注目したのもそうした光に対する敏感さがあったのではないかと思ってしまった。
そしてまた運河の話に戻るのだが、この運河が「本当に流れているのか?」と思うくらいピタッと止まっている。そのためまるで鏡のように周囲の景色が映ることになる。ただ、ほんの少しの風や様々な変化によって見え方や光の加減が変わってくる。こうした運河を毎日目にしていたフェルメールだからこそものの見え方や光に対する感性というのが養われていったのではないだろうか。
環境が画家に与える影響ということを考えさせられたデルフトでの滞在であった。
今回の記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。
この元記事ではフェルメールと同じ年にこの町で生まれたレーウェンフックについてもお話ししています。顕微鏡で微生物を発見したことで有名なレーウェンフックですが、あのフェルメールとご近所さんだったというのは衝撃でした。次の記事で改めてレーウェンフックについてお話ししますが、この元記事でもお話ししていますのでぜひこちらもご覧頂けたらと思います。
以上、「フェルメールの故郷デルフトを訪ねて~ゆかりの地をご紹介!」でした。
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