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「Last Days」を見る

昨夜、放送された「坂本龍一 最後の日々」を見た。

 最初の方で「戦場のメリークリスマス」を晩年弾いていらっしゃる姿が映し出された。聴いていると一つ一つの音が優しく、思いを込めていらっしゃることが強く感じられた。もともと好きな曲で自分でも楽譜を持っているが、いつもより美しく感じられた。それは、坂本さんが残された瞬間、瞬間を大切にご自分の大切な何かを伝えようとされていたからだろう。

 坂本さんの癌の転移からの生きること~生を全うすること~の個人的な闘いを見せて頂いた。
私も昨年、思わぬ病気が見つかった。再発ではないが、手術に至るまでの繰り返される検査に4か月ほどかかった。MRIやCT、PET検査、ワーヤーを通して消化液を採集しての検査など、逃げたいような、助かりたいような、何に助けを求めたらいいのか? 私の場合は、仕事をしていたので、検査入院の後もすぐに職場に復帰して、そこで拘わることができる仕事や人とのやり取りと仕事に関わる私なりの調べて準備する時間全てに助けられた。
それは、精神的な支えにもなったし、体力の維持にもなった。
その後、私は科学的治療段階に入った。服薬の時点までは何とか良かったが、点滴で薬を入れた直後は、吐き気もなく大丈夫かと思ったが、全身が痒くなり点滴での治療はできなくなった。その時点で、病気の元は小さくなっているのか?大丈夫か?時々ふつふつと湧いてきた。後、どれ位だろう?
一人になると考えるようになった。ネットや本を読んで得た知識からは、手術をしても5年生存率が5.8%と低いことがいつも頭から離れなかった。

坂本さんが、抗癌剤の治療を決めるとき「取り合えずやってみて、良くなかったら止めよう」とか「安楽死」とか、考えていらっしゃった。私も同じような思いをもったことがある。
坂本さんがご自分の人生を最後まで愛で紡いでくださって、それを続く私たちに 見えるかたち聞くことのできる音といくつかの想いのエクリチュールを残してくださった。

 私は、今年の1月に手術を受けた。坂本さんの手術時間の半分ほどだったが、それでも術後目が覚めると、酸素マスクがかけられていて、沢山の管に繫がれて身動きができなかった。手術室まで歩いて行って、硬膜外麻酔をし点滴によって麻酔を入れてもらったのに。
その手術の間は、自発呼吸ができないので気管挿入する。麻酔を入れられて、30分経っただろうかと思うくらいで、声をかけられたという感覚だった。(そんなことはない数時間経過していた)手術直後から動くことはできなくなった。(よーく考えると手術中から動いていない)
背中から硬膜を通して痛み止めが入れられている。点滴からも。でも、ちょっとした動きでかなり痛いことが分かる。
坂本さんが苦しんだ「せん妄」。私は、手術した日の夜と次の日だったか辛かった。現実ではないのに夢のような世界のような中で私は、非難され続けた。その度ごとに、「私もできる限りのことをしたのよ。私だけが悪いの?」と延々と続くのだ。その状況が、もどかしく苦しいかった。

 私は、幸いにも経過がよく8日目に退院した。ひと月経過したころから仕事にも復帰できた。細胞検査に送った結果も悪くはなかった。
明日は、3か月目のCT検査である。
どちらにしても、・・・・・・・。

 なぜ、坂本さんの番組に反応したか?それは、私が手術を受ける前日の夕方まで坂本さんと福岡伸一さんの対談の本を読んでいたからだ。
私は、手術に向けて食事と散歩と胸筋ストレッチを欠かさず続けた。
私が手術の手技ーロボットと顕微鏡を使いパソコンで確認しながらのものーは、何一つ力になれない。私のできることは、自分なりに学んだことと先生の提示してくださる結果からどういう処置を選ばれるか、なるべくクリアにして、食事や運動を心がけるしかなかった。後はスタッフを信頼して。
だから、坂本さんの本に集中して余計な心配事で心を満たしたくなかった。
手術中どんな音楽だろう?と思いながら、坂本さんの本を読んだことで、どうであれ私の身近な音、呼吸と心臓の音があると。音と共にある。
坂本さんからのメッセージだった。一人じゃない。私のからだがある。
そうすると広がりがうまれ、先生方、スタッフの顔がしっかり見えてきた。

 坂本さんには、周りを大切に、シャンソンの音楽やピアノに合わせてのエアー演奏などお茶目で涙もろい熱いハートも見せてもらった。
孤独に読書に向かわれる様子も一人で、何百年の中に生きた友人の残した本を友として生きる。痛いほどわかる。ユング、フロイト、ラカン・・・柄谷幸人など挙げられていた。私も今も読んでいる本。「フィネガンズ・ウェイク」意味は理解できないけど、私の知っている深さに応じて開いてくれている。
あんなに遠く頂きを歩いた方なのに私の個人的な体験が、繋がりがあるように思えてならない。坂本さんの音楽や著書、TVを通して、細いシルクのような糸を垂らしてくださったのだろう。それが受容体としいての私のタイミングにとって受け入れられる何かがあったのだろうと思っている。

坂本さん、ありがとう。 とても美しく愛にあふれていました。
私は、これからどのくらい生きるのか?まだ、まだ坂本さんの音楽や
著書におお世話になりそうです。
音楽を聞くこともできないときは、雨音を聴きます。
「しあわせだった」という言葉     
       ありがとうございます。


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