カナイと八色の宝石⑱
対してシュリは、カナイ達の反応に目を丸くする。
「ちょっと、みんな。落ち着いて」
シュリがその場をなだめようと両手を挙げた時、彼の背後から金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。シヤークの護衛達だ。鎧の音と、複数人の足音とが、徐々に大きくなる。
シュリは後ろを振り返ると、大きく息を吸った。
『兄上っ。父上も、母上も。申し訳ありませんっ。僕は、カナイと一緒に向こうの世界に戻りますっ』
カナイは目を見開いて、シュリの背中を見た。細いと思っていた幼馴染の背中が、一晩離れていただけで、とても大きいものに見える。
『向こうの世界にも、育ててくれた親がいます。年老いた両親を、放っておくわけにはいきません。友達も、助けなければなりません』
シヤークは、シュリの決意に気圧されたように足を止めた。シュリの母親も立ち止まり、口元を両手で覆う。シュリの父親だけは足を止めず、シュリの目の前に立った。
『それが、おまえの決意か。シユーリ』
シュリが大きく頷くと、彼の両肩に大きな手が乗せられる。カナイがずっと冷たいと思っていたシュリの父親の目が、細められる。口角を上げた太い唇は、どこか温かみがあった。
『育てていただいた老夫婦を、大切になさい。友に親切でありなさい。人との関係に重きを置くのは、我が家の家訓でもある』
『はい、父上』
シュリに頷く父親の隣りに、母親が立った。彼女は頬を濡らしながら、シュリにほほ笑んだ。
『どうか、私達のことも忘れないで頂戴ね』
『もちろんです』
シュリの母親は、シュリの頬を優しくなでると、物置の中を覗き込んだ。目が合って、肩に巻いた布を取ろうとするカナイに、シュリの母親は首を横に振った。
『それは、差し上げます。あなたのことは、シユーリから聞きましたよ。一番の友人で、恩人なんですってね。これからもシユーリのこと、よろしくお願いします』
深く頭を下げるシュリの母親にどうして良いか分からず、カナイは何度も頷いた。
『それでは、父上。母上。兄上。僕は、行きます』
シュリの父親が、シュリの肩を解放する。シュリは軽く頭を下げると、物置の中へ一歩下がった。途端に、シュリの胸元にある白い石が淡く光りだす。もう一歩下がると、光が強くなった。
『シユーリッ』
弟の名を呼んだシヤークが。涙を流すシュリの母親が。穏やかな顔でシュリを見守る、シュリの父親が。白い光の向こうへと消えた。
白い光は、瞬きを三回繰り返す前に、煙のように薄れてしまった。完全に光が無くなると、真っ暗闇が広がっていた。
『キャアッ、真ッ暗ダワッ。何ヨコレ、何ヨコレ』
『痛いよ、チチ。落ち着いて』
暗闇に驚いたチチが、カナイの肩の上で羽を大きく動かしたり、飛び跳ねたりする。その度に、チチの羽がカナイの耳や頬に当たったり、細くて鋭い爪がいつも以上に肌に食い込んだりして、慣れているはずのカナイも悲鳴を上げた。
『ちょっと待ってなよ、お嬢さん。それっ』
アークとオークの胸元から、夕日色の暖かな光があふれ出す。光は四方八方に飛び散って暗闇に溶け込むと、次の瞬間には部屋の中が昼間のように明るくなった。
『これが、橙色の宝石の力さ。一つの空間を明るくするんだ。部屋の中が、よく見えるだろう?』
カナイとシュリとチチが部屋を見回すと、部屋の様相が物置とはまるで違ったものになっていることを確認することができた。今カナイ達がいるのは、四角い大きな石で組まれた殺風景な部屋だ。床には、魔方陣が描かれている。でも、倒れた椅子も、壁の青い文字も、シュリの家族の姿も無い。
ほんのわずかな時間で、カナイ達は移動したのだ。最後に目を合わせたシュリの母親の顔を思い出して、カナイは胸が押しつぶされるような痛みを感じた。
「ねえ、シュリ。本当に、良かったの?」
「どうして、カナイが泣きそうなんだよ。僕が帰ったら、寂しいんじゃなかったの?」
「そうだけど」
目をうるませるカナイの頭を、シュリが優しくなでる。
「それに、僕はすぐに家族の元へ帰れるんだ。目の前にぶら下がっているのに、もう忘れちゃったの?」
胸元の白い石を指で弾くシュリに、カナイは目を丸くした。
「あ、そっか。白い石があれば、移動できるんだ」
『正確には、同じ図柄の魔方陣の間を行き来できる。それが、白い石の力なのさ』
カナイが見下ろすと、オークが得意気に胸を張っていた。
「じゃあ、遺跡とお城の両方に、同じ魔方陣を描いた人がいるってこと?」
『お嬢さんは鋭いな。確かに、そうじゃないと理屈が合わないよ』
オークは胸を張るのを止めて、あごを擦った。オークの顔を見て、アークが頷く。
『お嬢さんの世界と僕達の世界は、繋がっているかもしれない。これは、おもしろくなってきたぞ。お嬢さんに付いてきて、大正解だ』
「シュリも、世界が繋がってたら嬉しいでしょう?」
喜ぶアークとカナイの問いに、シュリは苦笑する。
「確かに、嬉しいけど。でも今は、テンデとシスカを探さないと。すっかり、夜になっているし」
シュリの言葉に、カナイは窓の外を見た。森は闇に包まれていて、深い紺色の空には輝く星がはっきりと見える。月の姿は無かった。こちらの世界では、新月なのだ。
「向こうの世界と、何もかも逆なんだね。もしかすると、まだ一日も経ってないのかも」
「そうかもしれない。カナイ、廊下は暗いから気を付けて」
シュリは廊下に出ると、手に持っていた縄を肩に掛けて、カナイに向かって手を差し出した。しわ一つ無い衣服に身を包んだシュリは、その仕草一つだけでも様になっている。
「やっぱり王子様みたいだよ、シュリ」
カナイは笑いながら、シュリの手を取った。ネズミ達は青い石の力を使って浮き上がり、ひらひらと宙を舞う。それをシュリがうまく捕まえて、自分の両肩に乗せた。ネズミ達は足を交互に揺らしながら、シュリの肩を叩く。
『みたいじゃないよ、お嬢さん。この坊ちゃんは、本物の王子様さ』
『あの、ネズミ嫌いのシヤークもね』
「あ、そっか。シュリの家は、城だもんね」
カナイは、石垣の上にあった城を思い出した。赤いじゅうたんが敷かれた廊下も、シュリや彼の母親の部屋も、普段は決してお目にかかれないような豪華なものだった。
ただ、カナイにとっては、物置だったり牢屋だったり通気溝だったりと、あまり良い思い出が無い。
「そのことは、忘れよう。僕の部屋だって言われても、落ち着けなかったんだよ」
シュリは苦笑いを浮かべて、歩き出した。つられて、カナイも足を動かす。シュリは空いている手を壁に付けて、慎重に歩を進めた。
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