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カナイと八色の宝石⑬

 木の扉が開く音が、塔内に響く。カナイの耳にもしっかりと届いて、目を覚ました。上半身を起こすと、背中や腰が少し痛みを感じる。

 階段を上る足音を聞きながら、カナイは頭の上で両手を組んで伸びをした。両手を下ろしたところで、足音が止まる。

『起きていたか。父上がお待ちだ。ここから出ろ』

 シヤークは上着の中から鍵の束を取り出すと、一本の鍵を選んで鍵穴に差した。鈍い音を立てながら、鉄格子の扉が開かれる。立ち上がったカナイに、シヤークは護衛から受け取った柔らかい布を投げて寄越した。

『顔くらい、洗っていけ』

 カナイは水差しを持って水場に行くと、水差しに残っていた水を使って顔を洗った。水がめに入っている水は、いつ補充されたものか分からない。いつも新しい水が身近にあるカナイには、使うのに抵抗があった。結局、水がめの中の水は、用を足した時の始末と足を洗うくらいにしか使っていない。

 カナイが少しふらつきながら牢屋の中央まで戻ると、今度は護衛の一人が皿を差し出した。銀の皿の上には、しわしわの果実のようなものが十粒ほど乗っている。

『これは、干したブドウだ。食え』

 カナイの村では、果物は生で食べるのが当たり前だ。初めて見る食材は、口に入れるだけでも勇気がいる。カナイは、恐る恐るシヤークを見上げた。彼は眉を上げて、干したブドウを口の中に放り込んだ。

『毒は入っていない』

 シヤークが飲み込んだのを見て、カナイは干したブドウに手を伸ばした。目をつむって口の中に放り込み、勇気を出してかんでみる。潰れると、ねっとりとしたものが口の中に広がって、少し気持ちが悪い。しかし、少しの酸味と濃厚な甘さを舌に感じる。歯ざわりは苦手だが、食べられない味ではない。

 カナイは次々に干しブドウに手を伸ばし、十数秒のうちに食べ終えた。粒が小さいので腹は満たされていないが、眠気を飛ばすには十分だ。

『では、行くぞ』

 カナイはシュリの母親から貰った赤い布を肩に巻き直すと、鉄格子の扉をくぐった。シヤークはカナイの手首を掴むと、階段を下りていく。カナイの横には、鎧を着た護衛が付き従う。これではネズミが助けに来ても、助けようが無い。だいたい、いつ助けに来てくれるのかも聞いていない。

 不安に襲われるカナイをよそに、木の扉が開かれる。塔の外は、すっかり明るくなっていた。

『霧が出てきたか』

 渡り廊下に一歩踏み出したシヤークが、左右を見回した。彼の言う通りに霧が掛かって、森が影のようになっている。それでも、渡り廊下の向こう側にある木の扉ははっきりと見えるし、風も止んでいるので、昨夜よりも歩きやすいくらいだった。

 渡り廊下を歩き始めたカナイは、鳥が羽ばたく音がすることに気付いた。チチのような小鳥のものではなく、もっと大きな鳥の力強い羽の音だ。

 しかし、肝心の鳥の姿が見えない。カナイが鳥の姿を捉えようと体を動かすのが、手を通してシヤークにも伝わったらしい。シヤークはカナイを振り返ると、彼女の手首を掴む力を強めた。

『逃げようとしても無駄だ。だいたい、この高さから落ちれば死ぬぞ』

 シヤークに誤解されて、カナイは慌てて首を横に振った。

『違う、違う。大きな鳥がいるのっ』

『鳥?』

 シヤークが眉をひそめた瞬間に、頭上に大きな影が過ぎった。驚いて空を仰いだ彼の額に、固い木の実が落ちる。彼はカナイの手首を離すと、両手で額を押さえた。相当痛かったのか、その場にひざをついて、低いうめき声を上げている。

『今だよ、お嬢さん。手すりに上って』

 カナイが視線を廻らせると、右側の護衛の影の上に昨夜のネズミが立っていた。左側の護衛の影の上にも、同じようにネズミが立っている。カナイが渡り廊下の手すりに近付いても、護衛が動く様子は無かった。

 手すりの高さは、カナイの肩ほどの高さもある。手すりの幅も広く、カナイが手の付け根から中指の指先をしっかり置いても、まだ中指一本分の余裕があった。カナイは両手に力を込めると、自分の体を持ち上げる。途端に渡り廊下の下が見えて、思わずカナイは手の力を抜いて床に下りた。

『落ちれば死ぬ、と言ったはずだ』

 霧で見づらかったが、はるか下に池があるのは確かだ。シヤークの言う通り、打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。高い所から飛び込めば、水面が硬く感じることを、カナイは経験上知っている。

 カナイの足が、小刻みに震えだした。手すりから落ちるのも、裁判に掛けられるのも、どちらも怖い。頭の天辺から血が下がっていくように感じているカナイに、ネズミが大きく口を開いた。

『がんばれ、お嬢さんっ』

『早く上るんだっ』

 ネズミ達は、自分達が捕まるかもしれない可能性を背負ってまで、カナイを助けようとしている。カナイは大きく息を吸うと、気合を入れた。

 片手で額を押さえたシヤークが、もう片方の手を床に付けて、カナイにはい寄ろうともがいている。それを横目に、カナイは両手に力を込めて、自分の体を持ち上げた。石と石との間につま先を入れ、手すりに胴体を乗せ、歯を食いしばって足を手すりの上に掛ける。

 シヤークがカナイの足を捕まえようとする前に、カナイは手すりの上に立つことができた。ネズミが護衛の影から動き出し、シヤークの横を抜けて、木の扉へと走る。カナイを捕まえようとするシヤークと、ネズミを追おうとする護衛がぶつかって、三人は廊下に転がった。

『カナイーッ』

 チチの声にカナイが空を見上げると、青い鳥が徐々に迫ってくるところだった。しかし、見慣れたチチの姿ではない。カナイの肩に乗れる大きさのチチが、カナイが両腕を広げて五人並んだくらいの大きさにまで成長している。あまりのことに、カナイは目を見開いた。

 青い鳥は、カナイが立つ手すりの反対側へと近付くと、ぐんぐんと高度を下げていく。

『飛ンデ、カナイッ』



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