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カナイと八色の宝石⑮

『チョット、カナイ。何ヲ言イ出スノヨッ』

 チチは、羽をばたつかせて抗議する。カナイは、目を伏せた。

 昨夜、初めて見たシュリの表情や、彼の母親の涙を、カナイには忘れることができない。もしもカナイが家族と離されたら、嫌だし悲しい。それは、きっとシュリも同じだ。

『私はシュリを助けたつもりだったけど、本当に正しいことだったのかな? 今、家族と引き離しても良いのかな?』

 カナイが疑問を口にすると、チチはおとなしくなった。うなだれるカナイとチチを、ネズミ達が交互に見上げる。

『とりあえず、坊ちゃんの所に行ったらどうだい? ここで考えていても、たぶん答えは出ないよ』

『そうだよ。それに、早く友達を助けにいかないと』

 脳裏にテンデとシスカの顔が思い浮かんで、カナイは頷いた。彼等は団長達に捕まって、昨夜のカナイよりも条件が悪い所にいるかもしれないのだ。

『デモ、ドウヤッテ戻ルノヨ。城ハ、水ノ向コウデショ? マタ、飛ブノ』

 首を傾げるチチに、カナイは顔をしかめた。できれば、チチの上に乗るのは避けたい。振り落とされるかもしれない恐怖を味わうのは、もう嫌だった。

 しかし、城は遺跡と同じように、池で囲われている。カナイだけなら泳ぎきれるかもしれないが、ネズミ達には遠すぎる。歩いて渡ることができる跳ね橋は、城側に上げられていた。カナイは城の人間に快く思われていないので、いくら頼んでも橋を下ろしてはもらえないだろう。

 カナイがネズミ達を見下ろすと、彼等は池を指差した。

『飛ぶのが嫌なら、池の主に頼んでみよう』

『池の主は、のんびりとした方なんだ。でも、さとい方でもあるから、きっと乗せてもらえるよ』

 ネズミ達は口の横に手を添えると、大きく息を吸った。

『おーい、主様ーっ』

『いたら、出てきておくれよっ』

 カナイ達が池を見守っていると、水面に泡が現れ始めた。緑色の丸い物体が見えたかと思うと、波紋を広げながら徐々に浮き上がってくる。黒い瞳と目が合って、カナイは口を大きく開いた。

『カメだっ』

 水底から浮き上がってきたのは、一匹のカメだった。カメの甲羅は大きくて、カナイの腕では半分も回らない。陸上に上がると、甲羅の高さがカナイの背丈をわずかに超えた。自分で甲羅の手入れができないようで、ところどころに緑色の藻が付いている。

 カメはしわだらけの首を伸ばすと、カナイに顔を近づけた。

『おや、見ない顔だね』

 カメは、ゆっくりと瞬きをする。その足元で、ネズミ達が飛び跳ねた。カメが一歩でも動いたら、踏まれてしまいそうだ。

『そりゃ、そうさ。別の世界から来たんだから』

『白い石を使ってね』

 カメは二度、頷いた。動作は、カナイがじれったくなるほど遅い。

『白い石か。実際に使われたのは、いつ以来だろうね』

『昔にも、使われたことがあるのかい?』

 アークが首を傾げると、カメは昔を懐かしむように目を細めた。

『ああ。もう百年も昔の話だろうか。この城の兄弟が争いを起こしてね。弟の方が、別の世界に飛んだんだか、飛ばされたんだか』

 カナイは、不意にシスカのことを思い出した。彼女の家を訪れて、黄色い石が付いた腕輪を置いていった人物は、その弟だったのかもしれない。

『正確には覚えてないんだね。百年前って、どれだけ長生きなんだよ、主様は』

『僕は、この城の人間に呆れたよ。百年前には白い石の効果を知っている人がいたのに、今はお譲ちゃんを誘拐犯呼ばわりだ。シヤークは僕達ばかり追っていないで、別のことを追うべきだよ』

 アークとオークは顔を見合わせて、肩をすくめた。そんな彼等を、カメが交互に眺める。

『ところで、何か困りごとかね』

『さっすが、主様。話が早いや』

 ネズミは飛び上がると、カメの鼻の先を軽く叩いた。主様と呼ぶ割に、ネズミ達がカメを敬っているようには見えない。

『僕達を、城まで連れて行ってほしいんだ』

『なんだ、そんなことか。お安い御用だ』

 カメは二度頷くと、後ずさりして体の半分を水の中に入れた。地面の上に、あごを静かに置く。

『首を伝って、甲羅の上に乗りなさい。通気溝まで連れて行ってあげよう』

 ネズミ達は慣れているのか、滑るようにカメの甲羅を上っていった。カナイはカメの首を踏んで、甲羅の筋に指を入れる。カメの甲羅は凸凹だらけで、多少濡れていても滑る心配は無さそうだ。それでも、壁という方が適しているほど急な斜面になっていて、カナイが上るには苦労しそうだ。

『上るのが無理そうなら、反り上がった部分に足を乗せとくと良いよ。たぶん、ひざまで濡れるけどね』

 頭の上から掛かるネズミの助言に、カナイは素直に頷いた。甲羅のふちは反り上がっていて、カナイはそこに両足を乗せる。チチは甲羅の天辺に降り立ったが、フクロウは眠ってしまったようで枝から動く様子が無い。

 カナイは甲羅の天辺を仰ぎ見たが、ネズミ達は首を横に振った。

『じいさんは、放っておこう』

『主様、よろしくお願いします』

『うむ。落ちないように、しっかり捕まりなさい』

 カメが更に後ずさると、カナイのひざの辺りまで水の中に沈んだ。池の水は澄んでいて、泳ぐ小魚の影も見える。池をよく見渡すと、城の背後が水路になっていて、そこから川の水を引き込んでいるようだ。

『あそこに網を掛けたら、魚がいっぱい獲れるね』

『その通りだ。昔、この城の主が子どもだった頃は、よく魚を釣っていたものだよ』

 カナイは、太い眉と立派なひげを持っていて、自分を見るなり眉をひそめたシュリの父親を思い出した。どうにも子どもの頃が想像できなくて、カナイは首をひねる。

『それでは、動くよ。みんな、気を付けておくれ』

 カメはヒレのような足で水をかいて方向転換すると、城に向かって進みだした。カメが泳ぐたびに浮き沈みして、時にはカナイの太ももまで水がくる。それでも泳ぎが得意なカナイは、気にならなかった。むしろ、水の上を風を切って進むのが、心地よく感じる。

 カナイは甲羅に背中を預けて上体を反らすと、城の上の方を見上げた。いつも水底にあったとんがった屋根が、今は青空の下にある。チチにしがみ付いていた時は余裕が無くてできなかったが、空の上から見ると、きっとカナイ達が見慣れた城の角度と同じものが見えるのだろう。

 カメは城に沿って、跳ね橋の真下まで泳いだ。城は石垣の上に建っていて、上げられた橋の下も同じように石が積まれている。カナイの顔の高さのところには、四角い穴が開いていた。小柄な人間なら、楽に入れるほどの大きさだ。

『これが、通気溝だよ。私の頭を踏み台にして、入りなさい』

 池の主は、壁に頭を付けた。四角い穴からは、カナイのひざ下の長さ分ほど下の位置だ。ヵメはカナイが上がりやすいように、気を配ったのだろう。カナイは申し訳なく思いながら、カメの頭を踏んで、通気溝の中に入った。

 カナイの後を、二匹のネズミが軽々と付いてくる。チチは穴の中で飛ぶのをあきらめたのか、通気溝に入るなり、カナイの肩にとまった。

『ありがとう、主様』

 カナイは通気溝の入り口に両手を着くと、深く頭を下げる。カメはほほ笑んだかのように、目を細めた。

『ああ、お嬢さん達も気を付けてな。何か困ったことがあれば、いつでも呼びなさい』

 カナイが頷くと、カメは頭を水の中に付けた。ヒレのような足を大きく動かして、池の底へと潜っていく。カナイは、池の主の姿が見えなくなるまで、だまって見送った。



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