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シン・オーストラリア体験記⑧(20240731)

今日はあのカウラです。
そうみなさんはカウラ事件をご存じですか?
私がカウラ事件を知ったのは、2008年に大泉洋さんと小泉孝太郎さんのW主演のTVドラマ『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった〜カウラ捕虜収容所からの大脱走〜』でした。

カウラ事件とは、Wikiさんの情報によると…

カウラ事件(カウラじけん)(Cowra breakout)は、第二次世界大戦時の1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本軍捕虜脱走事件。捕虜収容所の脱走事件としては、史上最多の人数(日本人収容者数1,104名の内、545名以上)と見られる。死者数235名(オーストラリア人4名、日本人231名)、日本人負傷者数108名。

と、いうもので、ジュネーブ条約で捕虜の生活が保障されていたものの、日本の戦陣訓の教えなどから集団心理が働き、捕虜たちが脱走をして多くの犠牲を伴った事件と解釈されます。

そんなカウラですが、バサーストからでも車で約1時間30分の長旅でした。
カウラに着くと、まずはビジターセンターでカウラの収容所についての説明を聞き、そこからすぐにバスで移動をしてカウラ日本庭園に訪れました。

カウラ日本庭園も有名ですね。中島健さんがカウラ事件の追悼のために建築した回遊式庭園ですが…普通にすごいです!
私もよく回遊式庭園に行きますが、かなり見事な庭園でした。
個人的には浜離宮とかが好きなのですが、それに匹敵するレベルでした。

また、その後カウラの収容所跡地や日本人墓地、そして平和の鐘などを見学しました。

実は、2024年8月でカウラ事件からちょうど80年となります。
来週には、交換留学をしている某S蹊高校さんの生徒さんたちや、記念式典のために500人以上の方が訪れるということで、その直前の準備の忙しい最中にご案内をしてくれました。

ただ、なんというか「戦跡」を打ち出した雰囲気はあまりありませんでした。個人的には、広島や長崎のような雰囲気なのかと思いきや、どちらかといえばそのあたりをあまり打ち出す雰囲気ではありませんでした。
バサーストで読んできたカウラのガイドブックにも、カウラ事件のことはそう表立って紹介されていませんでした。

しかし、カウラ事件自体がオーストラリア人の方々にとっては、おそらく理解がなかなか難しいものだと思いますし、何よりそんなカウラ事件を起こした日本人をこうやって迎えてくれていること自体ありがたいことだと個人的には思います。
ただ、「戦跡」の取り扱い方については、日本に戻ったら、大学院の仲間でそのあたりを専門的に研究している方がいるので、カウラを例にとって話をしてみたいなぁと。また、今回のバサースト(&カウラ)の旅を歴史総合と日本史探究のクラス別問題にしたいとも悪だくんでいます(笑)

個人的には、日本人墓地が一番印象に残りましたが、生徒にとってはカウラという土地がどう映ったんでしょうね。そして、案内してくださったご老人は何を思って、案内をしてくださったんでしょうね…。

解散後は、またもやスーパー散策です(笑)!!
もう、そのあたりのオーストラリア人の方よりもスーパーには詳しくなってきたように思えます。と、いうのも2大スーパーのコールスとウールワーズが、水曜日でセール品の入れ替えなんです。
そのようなわけで物色、物色…そろそろスーツケースが大変なことになりそうなので、品物は厳選しましたが、とても良い買い物ができました。
また、何より今週は私自身も夕食でオーストラリアのものを購入して、自炊してみているので、そういう意味でも勉強になります。

さて、明日と明後日は地元のハイスクールに伺います。
また、明日は本校生徒のプレゼンも実施予定です!!
この2日間も、本校生徒にとって実りあるものになりますように…

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