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宇治から草津へUターン!上津屋橋と草津宿本陣を行く【上津屋橋編】

前回は草津に関するウンチクを書き連ねて終わってしまったので、今回は具体的な時系列で旅行の事を書き記していこうと思う。


Uターン

まず、記事のタイトルにしているUターンという意味がピンと来ないと思うので、そこから説明するとしよう。
百聞は一見にしかずということで、地図で経路を見てもらうほうが分かりやすいだろう。

どう見てもVにしか見えないが、あくまでもイメージなのでUターンという表現としておく。

一宮から関西方面に向かう場合、宇治よりも草津の方が手前にあるので、先に草津へ行く事も出来たのだ。
しかし、あえて今回は先に宇治へ行ってから草津へ戻るという行程とした。
そのため、巨大なUターンをしたと表現したわけである。

先に宇治へ行った理由は色々あるが、その理由の一つは京滋バイパスの無料区間を走行してみたかったというものだ。
下図の青線部分が当該区間にあたるのだが、単純に帰宅するだけならば瀬田東JCTから名神高速の名古屋方面へ向かうことになるため、この区間を走行する機会は無かったためである。

行きと帰りでこのように走行してみたかった

また、草津宿本陣が国道1号を挟んで西側にあるため、名古屋方面から進入する場合は右折進入することになり、これを嫌ったという理由もある。
京都方面から走行すれば国道1号で左折進入出来るため、煩わしくないのだ。

自動車専用道路区間たる京滋バイパス終点から道なりに進めば良いという好立地もポイント

上津屋橋

数多くの時代劇の撮影で使用され、その構造から「流れ橋」の異名を持つのが上津屋橋こうづやばしである。
鬼平犯科帳をはじめとした時代劇が好きな私は、時代劇を感じられると聞く本橋をかねてより見たいと思っていたのだ。

時代劇で使用されるほどの橋となれば、さぞかし古い木橋なのかと思っていたのだが、その竣工は昭和28年と存外新しいことに驚いた。
また、古くに架橋され、その後幾度となく架替えがなされてきた歴史をもつ古橋たる瀬田の唐橋渡月橋などとは異なり、本橋は架替えがなされたわけではない。
架橋されるまでは渡船が運行していたと言うから、橋としての歴史自体は浅いのだ。

流れ橋と言われる所以は、河川(木津川)が増水した際にあえて水流に耐えられるような設計とはせず、橋板が流れる造りになっているためだ。
橋板はワイヤーロープで橋脚と接続されており、ワイヤーロープを手繰り寄せることによって橋板を再利用できることから、経済性にも優れている。
また、強度を上げて水流に耐えられるようにした場合、濁流によって運ばれてきた流木等が橋脚の間を塞ぐ恐れがある。
流木等により河川が堰き止められてしまうと、堤防の決壊等の二次被害をもたらす可能性が生じるので、これを防ぐ意図もあるそうだ。

とりあえず八幡市側にある観光客向け駐車場に車をとめ、徒歩で上津屋橋を目指した。

堤防上にある石碑
南側(京都府八幡市)より
周辺には茶畑

さて、いよいよ現物のお出迎えだ。
私に時代劇を、Edo periodを感じさせてくれると思い、ワクワクしながら河川敷に下りて眺めてみた。

…?
…おや?

時代劇の撮影に使用されるということは、当然木橋のはずである。
そう思っていた私の眼前に現れたのは、露骨に茶色で着色されたコンクリートの塊だった
目立たないように工夫されているが、あれは紛うことなくコンクリート構造物であり、断じて木材などではない。

実はこの上津屋橋は平成27年に主たる橋脚を木製からコンクリート製へ変更された上で改修されており、橋脚が木造だった頃の姿を見ることは出来なくなっていたのだった。

概ね3年に1度程度という高い頻度で被災して橋板が流されている本橋は、時に橋脚そのものも大きな被害を受けることがあったようだ。
そのため、橋の耐久性の向上が求められたことによりコンクリート製に変更されるに至ったようである。

そもそも橋梁は交通手段としての用をなす必要があり、耐久性や経済性と言った点は考慮されて然るべきものだから、このような改修は当然の事ではある。
しかしながら、いち観光客としては江戸時代のような木橋を見たいという思いをもって足を運んでいるので、率直に言えば残念だったと言わざるをえない

同時に、景観に合わせてコンクリート製の構造物を着色した点は、観光という点を考慮した英断だったとも思う。
白色のコンクリートでは興ざめだった事だろう。

北側(久世郡久御山町)より

最後に、南側に意外な人物の名前が刻まれた石碑を発見した。
寄贈と刻まれた石碑には、はぐれ刑事純情派剣客商売などで有名な俳優の故藤田まこと氏の名前が刻まれていたのだ。
氏が関西人であることは知っていたが、まさかこのような場所で目にするとは思っていなかったので、これもまた驚きだった。


今回のメインの一つである上津屋橋まで書き上げたところで程よい文量となったので、残りの草津宿本陣の記録は次回以降の記事で書き連ねることにしよう。

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