見出し画像

卵巣のう腫手術後の奮闘記②(入院3日目、手術翌日)

夕方16時過ぎに体拭きの時間を迎えました。看護師さんに手伝ってもらいながらホットタオルで全身を拭いていきます。あぁ〜生き返る。死んでいたわけではないけど、生き返った感じがしました。でもその時、ショッキングな光景を目撃してしまいました。

先日、書き忘れたのですが実は手術が終わって数時間後に傷口から出血があったのです。看護師さんの見回りの時に発覚して、バタバタと小騒動くらいにはなってました。私は自覚がなかったのですがけっこう出血していたようです。

先生が来るまでに止血用のティッシュは数回取り替えられましたが、どれも真っ赤に染まっていました。先生の到着までに数分かかり看護師さんも少しイラついているようでした。でも私を心配させまいと、「大丈夫ですよ。出血はしてるけど、時々あることなんです。もうすぐ先生来ますからね。」と優しく声をかけてくれました。

そして先生が小走りでやって来ました。出血がひどい?ので結局縫うことに。
(え?!今も痛いのにさらに縫う…?!しかも今は意識があるのに!ヒェー!!!)

傷口付近に3回ほど痛み止めの注射を。これがすごく痛かったです。あ、でも、もしかしたら痛みは大したことなかったのかもしれません。傷口からの出血、そしてお腹への注射に怯えて、痛みが増していたようにも思います。縫われるのは、痛みを感じることもなくあっという間に終わりました。…痛みはないものの、お腹を糸でチクチク縫われる感じは分かって何だか不快というか…とにかく変な感じでした。

(『おおかみと7匹のこやぎ』のオオカミはこんな気分だったのかな。え、あのオオカミは寝てる間に腹切られたんだった!それで石ころ詰められて縫われたのか!恐ろしい…麻酔もしてないのに。そういえばガザの病院では麻酔せずに手術したってニュースで言ってたな。安心して病気を治せないどころか、もっともっと不安で深刻な中で病と向き合ってる人がいるんだよね__)
とあれこれ考えてまた落ち込んでいました。

__長くなりましたが、本題に。そこで見たショッキングなものとは血に染まった手術着です。傷口の近くから背中にかけて赤くなっていました。掛け布団やシーツにも付いていたようですが、それは出血直後に看護師さんが取り替えてくれていました。改めて出血の痕跡を目の当たりにして固まっていると「大丈夫!もう止まったから!着替えましょう!ね?」と苦笑いで看護師さんが元気づけてくれました。出血を見て、手術失敗?!なんて恐ろしい考えもよぎりましたが、心が弱ってるせい!と頭をブンブン振ってその考えは退治しました。

体はホットタオルで拭いてスッキリ!心は何だかジメジメ沈んで夕飯の時間を迎えました。夕飯、これもまた私にとっては難関でした。なぜなら、尿管を抜いた後はベッドの机が撤去されてしまうのです。あの机はずっとあるものだと思っていました。しかし数に限りがあるのか、尿管を抜くのと同時に持ち帰られてしまいました。まだ起き上がると気持ち悪さがある私にとってこれは非常事態です。ベッドサイドの椅子まで行かなくてはならないのですから。

意を決して起き上がり徒歩一歩の椅子まで行きます。冷や汗まではいかないものの、痛みと気持ちの悪さはやはり襲ってきました。でも、痛み止めの力もあって今までで1番長く座っておくことに成功しました!

この日の夕飯はこちら↓


金平ごぼうをパクリ。
「お、おいしい!味濃い〜!!」
久しぶりに美味しさを感じられる食事!気持ちの悪さが少ない中での一口ということもあってか、味を強烈に感じました。続けてご飯もパクリ。
「あ、合う〜!!ごはんときんぴらおいし〜」
小鉢のきんぴらは全て食べることができました!ごはんも1/4程度食べることができました。

お腹的にはまだ食べられそうな感じがあるのですが、どうしても座位を保つのがしんどくなり、ここでダウン。少しの気持ち悪さと、少しの自信?手応え?を感じながらすぐに目を閉じていました。尿管を抜いた後は食べ終わった食器を自分で廊下のワゴンまで下げなくてはなりません。それが気がかりでしたが、一旦横になってエネルギーを蓄えないと到底、病室から外へなど出られそうもありません。気にはなりつつも眠気には勝てませんでした。

ガサッベリッ
血圧を測ってもらう音で目が覚めました。1時間ほど眠っていたようです。看護師さんの見回りの時間になっていました。

「ふふふのふさん大丈夫ですか?下膳できそうですか?」

「い、痛くてちょっと無理そうです…すみません」

「大丈夫ですよー。じゃあしておきますね!」

と、心配していた食器の返却は看護師さんがして下さり、ホッ😌

しかし、ここにきてまた不安が芽生えてきました。わたし、明後日には退院なんです!こーんな状態で退院なんて出来るのでしょうか?歩けるようになったとは言ってもまだ数歩。入院初日にもらった入院診療計画書によると今日は病棟内を歩いてリハビリとあります。明日は病棟の外に出て歩く、とあります。そりゃそうですよね、明後日退院なんですから。

食器を片付けるのを任せてしまったことを後悔しました。これでは回復が遅くなってしまう!と急に焦りが込み上げてきました。何とも感情の起伏が激しくて、自分でも戸惑う1日です。

さぁ、ここで私の談話室までの旅が始まります!
歩いた方が良いと計画書にも記されています。
恐る恐る、そしてヨロヨロと談話室まで向かって行きました。お茶2の正体を確かめたいところだったのですが、コップを持って歩くのは無理だったので断念。

「痛い、痛い、気持ち悪い、痛いよ〜」と呪文の様に頭で唱えながら談話室まで、このイラストのように進んでいきました。↓


い、行けたーっ!!!!!談話室までどれくらいあるんでしょう。きっと20mくらいなんですが、5分はかかったと思います。やっとの思いでたどり着いたら、その達成感ですごく元気が湧いてきました。が、痛みと気持ちの悪さはやはりあります。そこでグルリと談話室を見渡し、何をするわけでもなく、早々に部屋に帰りました。部屋に帰るころには足どりはますます重くなっていましたが、心は軽やか!談話室まで歩けたという喜びで何とか行って帰ることができました。

こんなに気持ちがコロコロ変わったのは人生で初めてです。私、卵巣のう腫が発覚するまで恥ずかしながら何事もそんなに考えずに生きてきました。仕事に追われ、自分の気持ちそっちのけでただ日々をこなしていたんだと思います。なので、こんな風に自分の気持ちに丁寧に?寄り添って?あげることはしてこなかったです。自分の気持ちを一々聞くって大変!コロコロ浮き沈みがあって1日付き合ってあげるだけですごく疲れました。

でも普段もこれくらい分かりやすく心や体が悲鳴を上げてくれたら大変だけど、私みたいに気持ちそっちのけの人には良いんだろうな。まぁ、まずは自分の気持ちに耳を傾ける、そんな機会を意識して作っていかないとな!なーんて今まで考えたこともないことをボンヤリ考えたりしました。(皆さん、されていることなんでしょうが…遅ればせながら…笑)

術後の痛みや吐き気に加え、心の揺れも出現し非常にしんどい1日でした。よく眠れるだろうと思っていた夜も痛みで何度か目覚めて、熟睡とはいきませんでした。でも、歩くという大きな一歩を踏み出した手術翌日でした!

奮闘記②終わり。長〜い奮闘記にお付き合い頂きありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?