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ROJIURA CHEMISTRY

出逢いは風の中 恋に落ちたあの日から
気づかぬうちに心は あなたを求めてた♪

木枯らしに抱かれて by キョンキョン

木枯らしに抱かれた覚えはありませんが、なんとなくこの歌詞が浮かびました。

あの日からあなたを求めていたのでしょうか。
あなたが私を求めたのでしょうか。
※あなた=魔法の言葉



感想文を書きます。
私が出逢ったのは「なんのはなしです課」通信、1通目の頃でした。

私のフォローも紹介も何にもいらないです。楽しんで書いて欲しいです。
noteに三年いると、居なくなる人多いです。好きで書いていても、他の方と比較したり嫉妬したりばっかりです。私は全然noteの中心にもいませんので、何かを企画しようとか共同マガジン主催しようとかも全くありません。

「なんのはなしです課」通信


この記事を読んで、何か一筋のひかりのようなものを感じました。
なんだかおもしろそう。三年もいる方でもこんな風に思うのかと。ここで出逢えたということは、何かの導き?今思うと路地裏からの叫びだったのかもしれません。かすかに聞こえたような気がしました。
さっそく出そうか迷っていた記事にこの言葉を入れてみました。自信がなかったので、タグを使わずにしれっと書きました。
さすが魔法の言葉だけあって、記事もなんだかおもしろくなったように感じました。ワクワクしました。

迎えた次の日。何事もなく普通に過ごしていました。
すると、一通のコメントが。びっくりしました。だってそれはコニシ木の子さんご本人からだったのです。
かくれんぼで見つかった気分でした。でもかくれんぼは見つかる前提のゲームなので、きっと見つけて欲しいとテレパシーを送っていたのかもしれません。ここにいるよと。

おったまげたのと、ここで私は完全に落ちました。というか気づいたら落ちていました。落とし穴?恋?路地裏?どこ?きっとこの記事を読んでいるみなさんはもうご存知かと思われますので、言及は致しません。
はたして、そこが本当に存在するのかも知りません。

ちゃんと受けとってもらえた気がしました。そのままでいいんだと。なんとなくだったり、未完成のままだけど「なんのはなしですか」とボールを投げたら、コニシ木の子さんがどんな球であろうと変な方向に飛んで行っても、どっかの家のガラスを割ってしまったとしても、庭に落ちてすぐにはみつからなくても、受けとってくれるんです。こんな安心感はnoteを始めてから初めてでした。

こうして広がったのは、こういうやり取りがあったからだと私は思います。記事を書いているのは一人の人間だからです。その思いと想い、おかしな人とおかしな話をするお菓子?な人々。必然的に反応は広がっていきます。あちらこちらでパチパチと音をたてはじめます。

あとは全て、私が何とかします。

「なんのはなしです課」通信


こんな風に言える人、まわりにいますか?私にはいません。
覚悟しかありません。尊敬しかありません。
キン肉マンの「へのつっぱりはいらんですよ」からの「言葉の意味は分からんが、とにかくすごい自信だ」の展開です。カッコいいです。
注:言葉の意味はちゃんとわかっています。

「なんのはなしですか」という言葉とともに、ラブレターでも送っているような気分でした。言葉の魔力というよりもコニシ木の子さんの魔力というか。とにかく引き寄せられていきました。
その答えがこれです。熱いです。こうなるのは必然のことだと納得しました。

「努めて冷静に」「なるべく私情を挟むな」「自分がのめり込むな」「強制するな」「全て受け入れろ」「タグ以外の人様の記事には触れるな」そして「書いてくれた人に対して徹底的になれ」です。

三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。


自分なんてちっぽけな点でしかないけれど、たくさん集まれば、続けていれば、何かカタチになるのではないかと思っています。みんなで「なんのはなし」かわらかないけど、楽しんでいたら「ちょっとあの店賑わってるな」「あ、ここ並んでるよ」「おいしいのかな」「気になるな」「ちょっと便乗してみようかな」てな感じで、人が人を呼ぶ気がしています。

路地裏のお店ほど人気あったり、賑わっていたりしますよね。自分だけのお店を見つけて、たまに立ち寄っていたらいつの間にか常連に。たまたま隣に座った人がいて、仲良くなって、その人に会いたくて毎日通う。お店に行きたいのか、仲間に会いたいのか。どっちだって良いんです。だって大人だって遊びたい。本気で。これからもそんなふうにどんどん線で繋って行くような気がします。

こうして今しか書けないことを書いて、楽しむことが次へのバトンになると信じています。

「書けなくなりそうな時に最後使ってみようかな」で踏みとどまっていただけたら幸いです。

「なんのはなしです課」通信:もう少しやってみようと思った瞬間でした。


この言葉がなかったら、もうここにはいなかったかもしれません。巻き込んだような、巻き込まれたような、そんな物語です。どちらにしても、ここにいて、いられてよかったと思っています。
出逢いから、ここまで走馬灯のようでした。(死ぬのか?私)

最後になりましたが、踏みとどまってみた感想です。

ここ、ふんごむ。




なんのはなしですか







お立ち寄りいただき、ありがとうございます。