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祈雨(小説)

 日照りは三十日ばかり続いていた。村の真ん中を流れる小さな川の水かさは日ごとに減っていく。これから実りの時期を迎えようという田畑のものは、暑さにうだり生気をなくしていた。
 村人たちも喉の渇きに苦しみ、困り切っていた。このままでは、秋になっても作物を得ることができない。全員が飢え死にしてしまう。何とかよい方法はないものか。
 長老たちが集まり話し合いが繰り返される。しかしよい答えは得られぬまま、また日々が過ぎていった。
 彼が村にやってきたのは、ちょうどそんなときだった。若くて美しいその男は、ユハと名乗り、自分は呪術師だといった。
「お望みなら、皆さんのために雨乞いをいたしましょう」
 ユハの言葉に長老たちは目を見合わせた。
 雨乞いならば一度、やはり通りすがりの呪術師によって行われていた。
 十日前のことだ。藁にもすがる思いで、村の僅かな蓄えを渡したのだ。祈祷の翌朝、呪術師は姿を消した。そして雨は、未だに降っていない。
 この村には呪術師がいないので真偽のほどはわからないが、おそらくあれは偽者だったのだろう。他人の不幸につけ込む輩は、どこにでもいる。
「頼みたいのはやまやまだが、我々はあなたに礼をすることができない。僅かな蓄えも、この日照りで尽きてしまった」
 最長老の言葉に、ユハは笑みを見せた。
「ならば娘でどうです。幸い、大勢いるようだ。たとえば、ほら、そこの彼女」
 ユハが目で示したのは、最長老の孫のミトだった。この村で一番美しいと評判のミト。扉の陰に隠れて男たちのやりとりを見ていたのを、目ざとく見つけたらしい。
 最長老は眉をひそめた。しかし背に腹は代えられぬ。このまま雨が降らなければ、村が滅んでしまうかもしれないのだ。
「わかった。では頼む」
 最長老が小声でいうと、長老たちも、周りに集まってきた村人たちも、皆息を呑んだ。
 ユハはまた微笑んだ。では少し時間をくれ、という。自分は特別な儀式はしない。ただ一人になって祈りを捧げるだけだ。
 村の端の小屋を選ぶと、ユハはそこへ籠った。
「すまない。勝手な約束をして」
 ユハが小屋に消えた後、最長老はミトに詫びた。
 ミトは首を振った。呪術師に礼として渡される、というのがどういうことなのか、ミトにはよくわかっていなかった。しかしユハはひどく美しかったから、ミトは別に構わなかった。
 はやく雨乞いの儀式が済めばいい、とミトは思った。もっと近くでユハを見てみたい。話をしてみたい。
 しかし、三日経ってもユハは小屋から出てこなかった。
 日照りは続き、村人たちは苛立ち始めた。最長老が小屋まで行き、声をかける。まだだ、もう少し待ってくれ、とユハはいった。同じ会話が、翌日も翌々日も繰り返された。
 黙って見守っていた村人たちの腹立ちは、そこで限界に達した。普段は気のいいものたちだが、喉の渇きと先への焦り、一度騙された怒りなどのせいで気が立っていた。長老たちがとめるのも聞かず、村の男たちの数人が小屋の扉を叩いた。
「いつまで待たせるつもりだ。こっちは乾いて死にそうなんだぞ」
「畑の作物だって干からびてしまう」
「静かにしてくれ。祈りの邪魔だ」
 はやる男たちとは対照的な、のんびりしたユハの声。それがますます彼らの怒りをかきたてた。
「何が祈りだ。雨なぞ降る気配もない」
「そうだ。貴様まさか、俺たちを騙そうというのじゃないだろうな」
 男たちは扉を開き、中へとなだれ込んだ。
 誰にも、とめられなかった。男たちがユハを引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加えるのを、皆が身を強張らせて見ていた。長老たちも一言もものをいわなかった。狼藉はしばらくの間続いた。ミトが駆けつけたとき、ユハは既に骸になっていた。
 変わり果てたユハの姿を、ミトは呆然と見下ろした。あんなに美しかったのに、今はその影すらない。立ち尽くしていると、誰かが彼女の腕を掴み、そばから引き離した。
 ユハの身体はそのまま放っておかれた。蛮行の後、誰もが気まずくなって、ひっそり家に籠ってしまったのだ。
 夕方、気になって小屋へ出かけた最長老が、一番最初に空気の変化に気づいた。
 冷えていた。夕刻のせい、ではない。空気に湿ったにおいが混じっている。まさか──雨か。雨が近いのか。
 辺りは暗くなりつつあった。それも夕方のせいではない。最長老は空を仰いだ。雲が急激に押し寄せていた。村人たちも気づいたようだ。あちこちで声があがっていた。
 雨はすぐに降り始めた。乾いた地面が濡れて色が変わる。ユハの身体の血も洗い流されていく。最長老はずぶ濡れのまま、それを見ていた。いつの間にか、村人たちも周りに集まっていた。
 激しい雨に煙り、ユハの姿は生きていたときのように美しく見えた。人垣を割ってミトが現れ、ユハのそばに跪く。今度は、誰も引き離そうとはしなかった。<完>