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離れて暮らす母が亡くなり、ようやく実感した時のこと


2ヶ月ぶりの実家に来た。
母が急死して4ヶ月半が過ぎ、実家の街を大急ぎで自転車で走りながら「本当に母はこの世から居なくなったのだ」とやっと実感が湧いた。

2ヶ月前に比べると、目の前の事をこなすだけでなく、自分の視野が広がっている。自転車で走りながら、日曜日なのに人がまばらな田舎街の空気を感じとり、、、、。今から何を買おうか?だけでなく、夕飯を買って帰った後の事まで思いを馳せてしまい、美味しそうに食べる母は居ないのだと思うと、涙が出てきた。自転車で猛ダッシュで買物へ行くという行動は2ヶ月前と変わらないのに、なぜ今更?とは思うものの、バタバタするのが少し落ち着いて来た証拠かもしれない。

いとこのお姉さんは、父親が亡くなった時には1年間は涙が止まらなかったらしい。朝ドラでは、父親が亡くなり家族全員で大泣きしていた。しかし私の場合は、そういった親の死のイメージとは全く違った。

両親とは500km離れて暮らしていたので、側に居ないことに慣れていた。そのせいもあるかもしれないし、残された事の対応が大変だから、かもしれない。大好きな母が亡くなったのに、淡々とアレコレこなして行く自分は、ちょっとおかしいのではなかろうか?と思っていた。しかし、この世に居ない寂しさが時差で来る人もいるのだ。いつの間にか始まっていた「母の日の売場」を見て小走りで去る。とりあえず、自分は冷たい人間ではないらしいとわかり、少しほっとした。

写真は、母が亡くなった次の日、実家へ向かう途中で寄ったペットホテルで撮ったもの。よく晴れた日で、雲の形が何だか犬や列車のようなものが嬉しそうに走っているように見えた。母が亡くなった状況とは矛盾するものの、もしかすると母は晴れ晴れとした気分で生き切ったのではなかろうか。

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