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【連載小説】俺たちの朝陽[第4章]スポーツって何だ?

【スポーツって何だ?】
 まだまだ、傍若無人の貧乏神たちは往く。卓球に出たのは、哲彌だった。哲彌は高校で硬式野球部に所属していたが、部室の近かった卓球部のひとりと試合をして、1セットを取ったことが自慢だった。鮨屋の信介とふたりでチームを作り、参加した。昔の覚えがなまじあるために、無謀にも練習らしきものもせず、その日を迎えた。
 会場へ入って驚いた。
 彼らを除き全員がピチッとしたユニフォーム姿で身を包んでいるのが目に飛び込んできた。会場内の十数台が並ぶ卓球台の上を、ピンポン球が規則正しく左右を往復している。しかも、途切れることがなかった。しまった、来るんじゃなかった。早くも哲彌は後悔したが、信介は能天気に女子選手の品定めをしていた。
「あのオネエちゃん、いいねぇ」
 何をしに来ているのか解らない。しかも、着ているものといったら、長ズボンに子どもから借りて来た体育館用の室内履きだ。掃除のおじさんにしか見えない。
 哲彌の方も借りてきた来たラケットのラバーが剥がれそうなのを大会の役員に注意され、慌ててセメダインを借りて貼り合わせる始末だった。
 相手はと見ると実業団のチームだった。会社名を記したゼッケンが誇らし気に揺れていた。しかし、試合はやってみなければ解らない。なんとか点を取ってひと泡ふかせてやる。

 いざ、出陣。まず哲彌がコートに立った。 
 グリーンの盤上の先には、細身のいかにも卓球選手らしい27、8の青年が、シェイクハンドスタイルのラケットを構えていた。ジャンケンでサーブ権を取った哲彌は、慎重に体勢を整えた。しかしその瞬間、どうピンポン球を上に上げて、どうラケットを球の下に滑らすのかまったく解らなくなり固まってしまった。そして、見事に左手と右手が交錯してぶつかり、空振った。
 盤上に軽い空虚な音が鳴り響いた。
 無理もない。高校の卓球部の選手とやってからというものの、一度もラケットを握っていなかったのだから。
 しかし、そんな哲彌を見ても相手は笑わない。真剣なるスポーツマンだった。運動部出身の哲彌は、微かに申し訳ない気持ちが沸いてきたが、ここは、国体の場所ではないのだ。区民の健全な娯楽としての体育大会なのだ。と自分に言い聞かせていたが、何の慰めにもならなかった。
 そして、1点も取れずにサーブ権は移ってしまった。対戦相手は、器用に手の平に乗せた球を高く放り上げ、ラケットを持った右手の手首を鋭く折り曲げ振り抜いた。そのサーブの凄いこと、尋常ではない。向こう側から繰り出された白色の球は、ネットに到着するまでに大きく右に曲がり、目でそれを追い掛けていると、ネットを越えた時点で、消えていた。あっと思ってラケットを振ろうとしたら、球が喉元を狙って飛び込んできた。
 こりゃ、とてもじゃないが打てない。
 目と手をバラバラにされてしまうのだ。次の哲彌の番のサーブもいとも簡単に打ち込まれ終わった。そして、相手のサーブ。いくら目をこらしても見えないものは、見えない。やっと見えたと思ったら今度は手が言うことを利かない。もう一度繰り返して終わった。 
 1点も取れず20対0、スコンク負けだった。21点先取なのに野球のコールド負けと同じなのだ。2セット目も同じ事だった。さすがに気が滅入った。
 

 次は、信介の番だ。
「情けねえな、1点くらいは取らんかい」と、ケツでも蹴っとばされるか思ったが、周りを見渡したところ、その姿が見えない。係員がハンドマイクで信介の登録番号を呼んでいる。
 野郎、ズラかったな。
 急いで目を体育館の出口あたりにやると、いた。すーっとすり抜けていこうとしていた。後を追いかけていき、横に並んで歩いた。お互い言葉がない。そのままどれだけ歩いただろうか。
「このまま、餃子屋へ帰るのもなあ」
「汗もかいてないのにビールも旨かぁないしな」
 タラタラ歩いていると、ふたりを呼び込むように目の前に卓球の練習場があった。顔を見合わせてから、どちらともなく頷いて、そのドアを開いて中へ入っていった。
 ピンポン球だけを借りて、始めた。哲彌はペンフォルダー型のラケットをシェークハンドのように握り、たったいま見てきた魔球を試そうとしたが、似ても似つかぬサーブになった。あの手首の動きの真似事をしてみるのだが、どうにもうまくいかない。
 信介はまたまた隣の台で練習をしている女子学生に目をやっている。それでもラリーに誘うと、いままでになく真剣に球を打ち返してきた。ふたりとも無言で打っていると、最初は、2、3往復しかできなかったものが、結構続くようになっていた。しかも、お互い熱くなって、鬱憤を晴らすかのようにスマッシュを打ち込んだりしていた。1時間ほどやって汗をビッショリかいたところで、ようやくわだかまりが取れたような気がして、ようやく笑うことができた。
「やりゃ、できるじゃないか」 
 レベルのことなど、すっかり忘れて哲彌はトレシャツの袖で汗を拭った。
「まあ、今日はこんな日さ」
 さて、餃子屋へ帰るとするか、ふたりは卓球場をあとにした。
 

 区が住民懇親の名目で主催した陸上競技は、さらに悲惨だった。走り高跳びでは、予選に5人出場し、『27時』は、団体としては最多出場者を抱えていた。しかし、他に、実業団所属が4人と自衛隊所属の若者が3人出場しており、見るからに強敵というか、自分たちでは太刀打ちできそうにないと、餃子屋の近くでレコード店を営む伊勢のお父(とう)は思った。
 一応、準備体操をしていると、予選通過基準記録が1メートル40センチと発表されたのだった。これには、『27時』の面々がざわめいた。この設定は、地域住民が気軽に参加し親睦をはかるための、健全なスポーツとして楽しめるものではないというのが彼らの言い分だ。何のことはない。全員が跳べないだけのことだ。しかし、なぜか言い分が認められ、1メートル20センチに下げられた。
 それでも、3人が跳べなかった。伊勢のお父もその巨体を振り切るかのようにバーに向かったが、バーを胸ではらっただけだった。バスケットにも出場し、その汚名挽回とばかりに参加した『27時』唯一の大学生、ミッチャンこと三橋は、1回目の試技で正面跳びで挑み、後ろに敷いてあるマットレスにバーごと飛び込んで、固定用の網に足を引っ掛け捻挫した。
 それにしても、いまどき正面跳びである。居酒屋の店員のシマンダこと島田は、それでもベリーロールを試みたが、踏み切りを間違え、バーを頭で打ちつけ、跳ね返って来たバーで腹を打つ始末だ。朝は築地の仲買いの手伝い、昼は喫茶店のウエイター、夜は居酒屋の厨房に立つ働き者の勘太と、写真の現像をしている元カメラマンのナリのふたりが辛うじて予選突破した。
 勘太もベリーロールだったが、密かに自信はあった。体育だけはいつも5だったし、小学校時代には確かに見事な放物線を描いて跳んでいたからだ。しかし、予選の試技の時には、踏み切った足と振り上げる足とのタイミングが合わず、不様に手から落ちていった。 
 本番の一回目は同じく両足の動きがちぐはぐで、バーをマットに叩き付けた。もともと身体は堅かったのだが、二十歳を過ぎてから、さらに前屈が苦しくなっていた。2回目は、踏み切りの位置がもっとバー寄りだったことを思い出し、思いきって手から飛び込み、バーに触れたものの、バーは微笑むかのように微かに揺れながらも留まり、なんとか成功した。
 ナリはナリで、はさみ跳びだ。背面跳びは、見て知ってはいるが、なかなかやれるものではない。
 若い選手はみな背面跳びで、練習を見ていると今日出場する実業団や自衛隊の選手は全員そうだ。
 だが背面跳びは、はさみ跳びが、ある日突然変異したものだという。スポーツも自然界の事象に倣うのだろうか。けれど、ナリは昔身につけたものを、なかなか捨てられない。
 はさみ跳びは、右または左斜め方向から助走し、左または右足で踏み切り、右または左足を大きく振り出して越えるという原始的な跳躍スタイルだ。ナリの1回目は、踏み切りを間違えバーを手で持ってしまった。それでも、
「踏み切る場所を確認したんだ」と、言い張った。
 2回目の前に勘太から
「ナリさん、バーにぶつかるぐらいのつもりでいかないと」と、言われ突っ込んでいったら、足が滑りそうになったのを懸命に堪えていたが、見事に背中から落ちていた。しかし、背中にバーの感触はなかった。 
 キョトンとしていると、自衛隊員が大きな拍手をする。どうもそれは思いがけず背面跳びになっていたらしい。背面跳びを初めに成功した選手もド素人もきっかけは変わらないのだろうか。しかし、ナリはどう跳んだか覚えていないのだ。恥ずかしそうに手を上げた。物事は偶然によって進化するのかもしれないと勘太は思った。
 他のエントリー組は、全員が当然のようにパスする。そう、この高さは、『27時』の面々へのサービスなのだ。
 次はバーを10センチ上げられての1メートル30センチ。ベリーロールの勘太は迷っていた。自分の力では、この高さは無理だ。たった10センチ高くなっただけだが、とてつもなく大きい壁のように感じていた。
 ナリのようにはさみ跳びの方が可能性は高いと思われたが、勘太もまた頑固だった。小学校からベリーロール一筋の男だ。女房のサッちゃんと、女房の前の旦那との子の花子に男らしいところを見せてやりたいと気負っていた。跳びたいが、自分を曲げたくない。揺れる心に、係員が、
「時間になります」と、非情の声をかける。
 エイ、ママヨとばかり、少々芝居がかったひねりを入れて助走に入ったが、足を滑らせ、その高い壁をいとも簡単に破っていった。が、破ったのは空気だった。バーにぶつかりながら、マットの上に手から落ちていった。
 ナリもその壁に恐怖すら感じていた。ええい、こんなものと思いはするが、バーがことさら威圧してくる。幼馴染みのスミちゃんと遊んだゴム跳びだと自分に言い聞かせても、足がスタートをきれない。拍手を受けた跳び方も、もう解らなくなっていた。結局、踏み切る足を間違えて胸でバーをはらっていた。
 前座は終わった。
 国体レベルの戦士たちの闘いは、静かに始まろうとしていたが、貧乏神たちの舞台の幕は、あっという間に降ろされてしまった。〈つづく〉

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