見出し画像

【連載小説】俺たちの朝陽[第2章]謎の女

【謎の女】
 餃子チャレンジ企画は、軽く7人前から始めた。最初は相手に花を持たせよってヤツだ。最初の記録樹立者は、もちろん持ち合わせのなかった永チンだが、聞きつけた常連客に続けて9人前、10人前とすぐに破られ、元がとれるどころか損ばかり。これも余興だと気張っていたが、さすがに12、3人前をやられてしまうとちょっとこたえた。16人前で止まった時は、正直ホッとした。15人前くらいでギブアップしてくれれば、売り上げはいくし、白菜も捌けるというものだ。
 ある日、能一が模型を作っていたのか、シンナーとセメダインの臭いをさせながら、店に入って来てから間もなくのこと。歳のころなら24、5。色白で髪を巻き上げた、コートの上からもくっきりと分るくらいふくよかな胸を際立たせた、洋助の好みにピッタリの女が入ってきた。場違いな女の出現に能一は戸惑っていたが、初めて女のいい匂いを嗅いだような気がして、マジマジと彼女の顔を見つめていた。
 メニューを探しているようだったので、あのォという女の声にかぶせて洋助が、
「うちは餃子だけなんです、ほかにはスープとお新香がありますが」と、機先を制したつもりで言ったが、どうも声が上ずっている。
「そうじゃなくって、あの記録を破ればいいのかしら」と、言う。
 壁に貼っている歴代のチャンピオンの名前と皿数が書いてある紙の短冊を指していった。
 これはツイている、カモネギというのはこのことだと洋助は思った。
「ええ、一応、時間は30分以内でということになってます」
「それじゃ、やってみようかしら」
「いいんですか、結構、ありますよ」と、心にもないことをいう。
「かまいません、作ってください」と、少し気色ばんで女が応えた。
 女は厚手のコートを脱ぎ、壁際に吊るされている木製の薄っぺらなハンガーにかけた。 洋助は、その揺れる乳房に目をやりながら小麦粉に塩と水を混ぜて練り始めた。
 どうもこの感触、やけに今日はリアルだな、いけねぇ、いけねぇ、白菜、白菜っと、いや、これもまた白いね。

 洋助ときたら、髪の毛は耳の上部辺から上は申し訳程度、太い眉の下に文字どおりドングリ眼が座り、店の名の通り、口に立派な髭をたくわえている。普段はいかつい風貌なのだが、こういう時の洋助の目は、瞼と涙袋の間に埋まって細く一文字に結ばれ、唇は丸く開けながらこどものような顔つきになる。
 解りやすいのは風貌だけではない。性格だって簡単にできあがっている。麻雀の時にそれはよくあらわれる。少し高い手でもテンパろうものなら、顔は紅潮しツモる指先に痛いほど力を入れているのが傍で見ていてもすぐ解る。役満でも狙えるとなれば、せわしなく髭に手をやりお茶をたて続けに飲み干し、目をギラつかせる。
「マスター、今度は、パイパン待ちの大三元かい」と、茶化されても、
「おう、そうよ、そうと思っているのなら、出してみりゃいいじゃないか」と、動じることもなく、手の内から発と中を3牌ずつ交互に見せたりもする。それだけ相手にすれば、組みやすいのだが、これがなかなか引きがいい。勝負強いのだ。思い込みの強さと相まって、その場を威嚇し自分のペースに持っていく。これは、船上生活をしていた頃に船員との博打で身につけたのか、それとも持って生まれた天性なのか。好きか嫌いか、勝つか負けるか、とにかく解りやすくできている。

 洋助はひとまず、皮を作るため、粉をボールの中で練り、丸めたものを勢い良く台に叩き付け、さらに念入りに練り直した。できあがったところで、それを製麺機にかけて、適当な薄さに引き伸ばす。それから、丸い型押し器を右手に高くかかげ、パンパンパンと一気に型を抜いていった。打ち粉をまぶした皮に、作り置きしていた自慢の具を冷蔵庫から出し、手早くナイフを使って詰め込み、油を薄く引いた鉄板の上に乗せ、まず4人前を焼いていった。
 女は、目の前で焼かれる丸い餃子を覗き込むように前屈みになり、
「あら、可愛いくて、きれいなのね」と言った。洋助は嬉しそうに頷いた。そんなことを言われることは、ついぞなかったからだった。ここの奴らには、味はもちろん、形の美しさなんか解りゃしないからな。
「はい、お待ちどうさん、スタートです」と2人前分をそれぞれ大皿2皿に、計4人前を同時に出し、
「そこの味噌ダレをつけて食べてください」と、いつものように出したつもりが、つい皿と皿が交錯して餃子が端に寄って落ちそうになってしまった。女がふっと微笑んだので洋助はまた舞い上がっていた。調子づいて、また4人前と焼いていこうとして、女の手元の皿を見て驚いた。2皿はそれこそ、あっという間になくなっていた。味噌ダレ用の小鉢には、ほんの少しのタレをつけた跡が残っているだけだった。慌てて4人前を焼き上げ皿に盛った。それもあっという間に平らげられた。まずい、追いかけられている。さらに8人前の粉を大急ぎで練り始めた。これを焼いてしまえば16人前、タイ記録になってしまう。
が、ここでいつもの作戦を思い出した。

 そうだ、こっちのペースでいかなくっちゃ。冷蔵庫から出した中身の具をゆっくりと捏ねていく。女は、もうそんな製造行程には興味がないのか、外を寒そうに歩く人を眺めるでもなく、ぼんやりと視線を送っていた。しかし、洋助がたっぷりと時間をかけて作った餃子が鉄板に上がるやいなや、女の目に精気が戻った。脇で能一が心配そうに洋助を見ていた。どうみても、これまでの挑戦者と勢いが違う。何人もの挫折者を見ている能一には、それがよく分かった。まだ、マスターはそれに気づいていないと思った。あの手の色香にゃ滅法弱いからな、しょうがないか。
 今度も、2人前ずつ2皿に。女は目の前に置かれるやいなや、味噌ダレにちょこんとつけてから2個いっぺんに口の中に放り込んだ。それをリズム良く続けると1皿が空になった。もう一皿もその上にすぐさま重ねられた。これで12人前だ。普通はこの辺でアップアップしてくるはずだ。大食いを自認していた、常連客で今はプータローのコバも、記録を破ったとたん12人前であえなくダウンした。水を飲み過ぎたのだ。この女は、これまでにちょこっと喉を湿らせただけだった。恐るべき唾液と胃液の持ち主だと、能一は感心していた。
 洋助は、もう一度2人前を2皿出した。彼女のペースは揺るぎなかった。同じリズム、同じスピードで口に運んでいった。そして、タイ記録達成。ここであと1人前を食べれば新記録達成で、お代はタダということになる。普通はここで止めておく。食べられる余裕があってもだ。
 1センチずつ記録を伸ばしていく棒高跳びの選手のように、その都度新記録を達成する。お楽しみを延ばしていくのが戦略的だ。次の18人前は、この分では確実に思われた。
 しかし彼女には、そんなことはどうでも良かったらしい。
「もう少しよろしいかしら」とさらっと言った。敗北は明らかだった。洋助が、
「あと何人前、焼きましょうか」と尋ねると、「そうね、今と同じくらい」という。
 え、4人前! 新記録も新記録、20人前だあ!  
 もう、こうなりゃ面白いや、いけるとこまでいってやれと、大損のことなど忘れて洋助はかえって気持ち良くなっていた。型押し器を持つ手を勢い良く翻した。
 彼女はその4人前も軽く片付け、さらにワンラウンド、2人前に挑戦した。そして彼女がそれも征服したその時、能一は思わずコップの水を飲み込もうとして、はげしく咽せた。彼女がこう言ったのだ。
「マスター、おいしさも、ここまで」
 ええッ! 無理をして飲み込んでいた訳ではなかったのだ。彼女なりに深く味わっていたのだ。そうだったのかと、これには洋助も心底ビックリした。
「どうします、終わりにしときますか」
「でも、せっかくですから、お口直しにあと4人前。それとスープをお願い」
 ギョッ、今度はスープに挑戦かい! 
『ヒゲ』では、スープのチャレンジもやっていたのだ。普通のコンソメにニラ、シイタケ、ピーマン、それにワンタンを入れたシンプルなものだが、これも16人前がトップだった。時間は同じく30分以内。おいおい、ダブルチャンピオンの誕生かい。洋助は驚くよりも呆れ果ててしまうところだったが、さすがに、
「いいえ、一杯だけで結構です」
 能一を始め、その場にいた客は同時にフウゥとため息を吐いた。 
 新チャンピオンとして短冊に記すために名を聞くと、西園寺君枝といった。
 女が帰った後、
「何者なんだろうね、彼女は」
 名前からしてお忍びで来た貴族の末裔じゃないかとか、いやいや、本名かどうか怪しいし、普通こんな路地に入って来るか、単なる腹を空かせた詐欺師じゃないのと言う奴さえあらわれる始末で、暇な連中には十分に半年はもつ話に仕上がっていた。
 まあ、この記録は破られそうにないから、この短冊を貼るのはどうしようかと、洋助は思案していた。まず、破れるのは彼女しかいないだろうし、その彼女もまた来るかどうかも分らないからだった。そうすれば、誰も挑戦などしなくなるし、無意味な短冊になってしまう。

 それ以来、タダ食いしようという輩はいなくなったが、ひとりだけまんまと代金を無料にさせられた男がいた。胸の大きい女優が好きという洋助の弱点のひとつを巧みについたのだ。劇団のマネージャーをしているその男に、洋助好みの女優を連れて来たら、1人前を半年間タダにすると約束してしまったのだ。
 後日その男は、ある有名な女優を店に本当に連れて来てしまった。
 その時の洋助の喜ぶ顔といったら、それこそ破顔一笑という言葉がピッタリだったという。
 半年間の損のことは、どこかにおいて彼女との会話を楽しんでいた。〈つづく〉 

#俺たちの朝陽 #連載小説 #朝陽     

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?