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【連載小説】俺たちの朝陽[第13章]「ダラ監」哲彌の改革

【サインは個々の自己責任で】
 区の早朝野球大会で2位になった2年目が終わってまもなく、監督の地金が結婚するというので河川敷で練習をした後、みんなで祝おうという事になった。面々の事だから、まず普通の式を考えるものはいない。型通りの挨拶が終わるや否や、みんなが隠し持っていた豆腐を地金に向けて浴びせるという、手荒い祝福の洗礼だ。
 ビールかけならぬ豆腐かけだ。数少ない上下のユニフォーム保持者の地金は、それが豆腐でぐちゃぐちゃになっても嬉しそうに顔をほころばせていた。
 結婚したら、今まで通りには早朝野球はできない。選手は続けるが監督は引退、その儀式も兼ねていた。
 そこで、次期監督に洋助が指名したのが、哲彌だった。
「え、俺はエースピッチャーでいたいのにな」と、哲彌は少し不満だった。監督をすると、「先発は俺」とはなかなか言えなくなる。洋助の狙いは、若返りだったのかもしれない。俺だってまだ20代なんだけどな、と思ったが監督兼ピッチャーというのも悪くはないと思い直して承諾した。

 遅刻の多い哲彌は、信介によってダラケた監督という意味で、「ダラ監」と命名されてしまっていた。
 それでも哲彌は、監督をするにあたって、自分たちで考える野球ができないものかと思っていた。もともと野球経験のない面々に、あーだ、こーだと言っても始まらない。サインを決めたってプロだって100%実行できるわけではない。ましてや、経験がない面々がほとんどのチームで、それにもまして一筋縄ではいかない奴ばかりなのだ。
 そこで、哲彌は思い切ってサインを個々人に任せる事にした。スターティングメンバーを発表した後、前後の打順のバッター同士でサインを決めさせる事にした。一番バッターは、九番と二番とでサインを決め、二番は一番と三番とでサイン交換するという具合にだ。 そうすると俄然やる気が湧いてくるのだった。何事もやれと言われるより、自分で決められる事の方がやりがいもあるし、責任感も出てくるというものだ。洋助などは、一塁にランナーがいる時は、2球目に必ずヒットエンドランでいくことを公言していた。一塁に出たランナーは、2球目には必ず走らなければならないのだが、これが結講上手くいくのだった。 
 また試合が進むにあたって、試合前に決めなくても大体のサインはみんな解っているので、少し遠い打順同士でも、そこはアウンの呼吸というやつで、なんとかなってしまうのだった。ま、複雑なサイン交換ができるわけもないので当然なのだが。
 3年目は、オダチンと柄モンの両輪が健闘し、三橋や三輪田の出番が少なくなったが、ふたりとも思ったほど気にはしていない様子だった。
 哲彌はというと、やっと自分で先発を決めて投げた時のこと。二日酔いながらも好調に1、2回は、パーフェクトに抑えてベンチに戻った。マッサージ嬢の由美ちゃんに肩を揉んでもあげると言われ、ベンチでうつ伏せになっていたところ、何か肩が軽くなったような気がした。
 ところが、3回のマウンドに立ち練習球を投げようとして右腕を振りかぶったところ、ボールを握った感触が無い。気がつくと、ボールがキャッチャーに届いていない。どうしたんだと思う間もなく、なんとボールはセンター方向に抜けて行っていた。握力が無くなり、腕を下から上へ持ち上げた時、ボールが手から離れ逆方向に放物線を描いて飛んで行ったのだった。肩が抜けたんだと思った。マッサージを受けるのは、初めてだった。慣れないことはしないほうがいいということかもしれない。一ヶ月間は、ピッチャーができず、監督に専念せざるをえなかった。

 哲彌の相棒はキャッチャーのコバだ。バッターボックスでの格好がいいので四番に置いとくだけで、ピッチャーへの圧力になるため打たなくても、いるだけでいいということで『置物』と揶揄されているが、哲彌にとっては信頼できる相棒なのだ。
 哲彌の自慢の速球を、相手のバットがボールの下側を擦ると、プロが使う硬球よりは、軟球はボールが多く歪むため、キャッチャーから後ろに少し下がった、ほぼ1メートル上に挙がる。それをコバが素早く体を反転させて、キャッチャーミットを上に向け、飛び込むようにして見事に捉える。その身のこなし方は哲彌がマウンドから見ても惚れ惚れする。あまりに度々見せつけられているため、相手チームからトレードの申し込みがあったくらいだった。

 新外国人のホセは、外国語学校でスペイン語を教えているが、何より日本の居酒屋が好きなのだ。それは多種多様の惣菜が、選ぶのに苦労するくらいあること。またそれが旨くて、とても安いというのが気に入っているらしい。
 ホセの母国スペインでもカウンターで立ち飲みするスタイルのバールという呑み屋がある。焼き魚や、煮物、ナッツ、チーズ、ソーセージなどがカウンターに並べてあり、それを肴にワインを気軽に楽しめるらしい。そこでは堅苦しさはなく、ピーナッツの殻などは床に捨ててよいのだという。その殻の多さが繁盛店の印ということらしい。
 色々な肴が小皿に出て来るスタイルは、スペインと日本くらいだという。『ヒゲ』では餃子しかないのだが、カウンター越しに亭主が調理しているところが気に入っているらしい。特に、平たく伸ばした餃子の皮を、丸い金型で勢いよくパンパンパンと型取っていく姿がいいのだそうだ。
 ホセは野球は素人だ。バットを握った手と手の間が開いてしまうし、スイングの動作もおぼつかない。が、スペインではサッカー少年だったので、足は速い。ボールをバットに当て転がすことさえできれば、内野安打が望める。しかも左打ちなのだ。左のバッターボックスから一塁までは右のそれよりは近いので、右打者よりは半歩くらい有利なのだ。
 そこで、バントを覚えさせようと地金は考えた。だが、ドラッグバントは難しい。バットの芯に当たると飛びすぎてポップフライになったり、内野手の正面にいってしまったりする。バットの芯を外して転がさなければならない。俗にいうボールを殺すという技だ。プロでも、なかなかその名人技を持っている選手は少ない。
 四号地で練習するが、そこは整地がされていないため、バットに当たったボールが下に落ちた後、小石に弾かれてホセの顔面を直撃して唇を切ったこともあった。
 でも、熱心に練習するうちに徐々に上手くなっていく。サッカーで、ボールが足元に来た瞬間、わずかに足を引いて止めるトラッピングに似ているらしく、器用に捌けるようになった。ボール競技は、どこか共通の極意みたいなものがあるのだろう。これなら使えるかもしれないと地金は、思った。
 この年、オダチンと柄モンが競う様に投げ合い、順調に勝ち星をあげていった。彼らは結構スピードボールがいいのだ。哲彌も投げる時は、彼らに負けじと三振を取るかピッチャーゴロかキャッチャーフライを打たせることに全力をあげた。バックの守備は当てにならなかったからだ。

 問題は、20人は集まるメンバーをフルに出場させることだ。これはは至難の技だ。勝敗は二の次、楽しむことが第一、とはいうものの勝つことが望ましいので、悩ましい。勝たないと出られない面々だって面白くないだろう。
 けれど、案ずるより産むが易し、案外試合に出られなくてもみんなは楽しんでいるみたいだった。それは、試合後、『ヒゲ』で朝からビールを飲みながら、試合の結果をあれこれと喋り合うのが楽しいからだ。試合に出ていないメンバーの方が雄弁になる。決勝打を打った選手や、三振を取った投手の話題には触れない。そこがこのチームの良いところ、勝者には何もやるな、の精神だ。
 それに加え、納得のいかないプレーをした選手には主力メンバーでも容赦はしない。たとえ、その試合で優秀選手賞が与えられそうな選手に対しても、ちょっと気が抜けたプレーをしようものなら、矢面に立たされるのだ。話の肴になれば、それで良いということらしい。
 また、誰もが守備には自信がないが、打つだけは打ちたい。しかし、凡打すると容赦無いヤジが飛んで来るので、みんな真剣だ。
 そのため、試合のない日の自主練習は、各々隠れてやっているらしい。区民体育大会での惨めな思いは二度としたくない。
 

 ホセの母国スペインでは、野球はサッカー人気には遠く及ばないが、スペイン領だったプエルトリコや、同じカリブ海のドミニカ共和国などは、野球選手の「名産地」としても知られる。スペイン語圏では割と人気のスポーツだという。メジャーリーガーにでもなれば金を稼げるからだ。 
 実力的には、欧州内ではオランダ、イタリアに次ぐ3番手だというが、哲彌は、スペイン滞在中に野球場を見たことはなかったし、特に冬場だったせいもあって、キャッチボールをしている少年にお目にかかったこともなかった。ホセもボールに触ったことがないという。
 マラガは地中海に面し温暖な気候のイメージがあるが、冬の寒さは日本とそう変わらない。
 哲彌もスイサの住人たちとムール貝を取って、その場で食べようと近くの海に行ったことがあった。小さな岩が突出したところまで泳いで行った時、凍えそうになった。岩にこびりついているムール貝を取って来て、浜でそのムール貝にワインを掛けながら炙って食べた時の美味しさは、その寒さを忘れさせるくらいだったというのだが。
 マラガでの寒さを少しでも逃れようと、哲彌は、アフリカの西側に浮かぶスペイン領のカナリア諸島へ船で行った時、寒さがより厳しい北欧の人たちが、避寒地として大勢押しかけていた。そこは日本人が考えるハワイのような暖かさはないのだが、彼らにとっては十分に避寒の役割を果たすのだろう。北欧の厳寒さはちょっと想像できそうもない。ソ連もそうだが、ウオッカやジンなどの強い酒を呑まずにいられないのだろう。
 スペインの闘牛士たちも、寒い冬は客を求めて皆メキシコに出稼ぎに行く。それで人々の関心は、冬にピークを迎えるサッカーに集中する。
 サッカーは、何しろボール一つあれば楽しめる。グローブやバットも要らない。そこにいくと野球は道具が多過ぎる。ボール、バット、ヘルメットは共用できるが、グローブなんかはキャッチャーミット、ファーストミットは勿論、、野手用、外野手用、投手用と分かれ、ユニフォームに至っては、上下一式の他、アンダーシャツ、ストッキング、アンダーストッキング、スライディングパンツ、そしてスパイクなどなど、費用がかかり過ぎる。これでは親だって野球よりサッカーを勧めたくなる。

『27時』の初代ユニフォームのような簡素化したものにしないと野球人口が減るばかりだ。ユニフォームなどの上下一式のほか、ストッキングまで一体化したものにしたりするなど、野球界やメーカーは考えた方がいいと、哲彌は思っている。世界的に見ても圧倒的にサッカー人口が野球を大幅に上回っている。
 子供たちだって、坊主頭にされる日本の高校野球の慣習は時代遅れだと思っているに違いない。哲彌も高校時代、東京都の予選大会の前に坊主にされ恥ずかしい思いをしていた。中には、一度坊主にしたが、それから生えて来て五分になったと言い訳して難を逃れようとした者もいたけれど。
 なので自分たちが3年生になった時、いわゆる運動部的な慣習はできるだけ止めようとした。 
 上級生が下級生に、
「そこの柱に飛びついて蝉のように鳴いてみろ」とか、
 対外試合で25対3で大勝したにもかかわらず、
「そんな弱い相手を選んだお前たちが悪い、罰としてグラウンド25周!」とか、訳のよく解らないシゴキはしないということだ。そのため、古いOBたちとの間に、わだかまりができた。
 それでも、根性をつけるためだと言って、「ウサギ飛び100回、手押し車で塁間往復10回」とか、「練習中は水を飲むな」とか、精神論的なことを無くする事は難しかったが。〈つづく〉

#俺たちの朝陽 #連載小説

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