見出し画像

【連載小説】俺たちの朝陽[第1章]置き忘れられた町

[第1章]置き忘れられた町

【初めに】
 半世紀ほど前の出来事を読み物として書き残してみました。エピソードは多くが実話です(特にラストシーンは)。
 ケイタイは勿論、まだファミリーコンピュータなどは影形も無く、スペースインベーダーさえも我々が遊ぶ事ができるようになるには、あと数年待たなくてはならない時でした。それでも仲間たちと野球チームを作ったり、様々な遊びを見つけてその時々を謳歌していた、おおらかで穏やかな時代の雰囲気をお愉しみいたいただけたら幸いです。

【プロローグ】
1973年。
 この年は長嶋茂雄、王貞治、堀内恒夫らを擁したプロ野球の巨人が、V1から始まりV9まで延ばした連勝記録の最終年である。また、この間は日本の高度成長期とほぼ重なるが、秋にはオイルショックが襲いかかり、「終わりの始まり」という社会的な変動が起きたことを思い出させる象徴的な年でもあった。
 その数年後、そんな変革の予兆さえ感じられない別世界があった。

【置き忘れられた町】
 生卵をひとつ奮発してかけそばに落とし、その上に、たっぷりと唐辛子をふりかけ、一気にかき込んだ。立ち食いそば屋のカウンターには、ドアの隙間から木枯らしが吹き込んできたが、少しも寒いとは感じなかった。
 今日は、勝負なのだ。気合いを入れていかなくては。俺たちのチームを何がなんでも守らなくちゃならない。店を出た哲彌は、チームに入りたがっていた石坊を連れて区役所の一室に向かった。もうすぐ一年の終わりという日、群れ歩く人たちの間をふたりは黙ったまま身体を斜めにしながらすり抜けていった。

 餃子の店『ヒゲ』のマスターの洋助は、いつもの材料を買いに、近くのスーパー丸金へ行こうとして店の角を曲がったところ、二軒先でスナック『愛』をやっているマー姐ぇに思わずぶつかりそうになった。
「おおっ、危ねぇ、なにボーっとしてるんだ」 
「あ、ごめんね、いやちょっとつまらないこと考えててさ。そうだ、洋ちゃん、あのさ、いや、まあ、いいや」
「なんだよ、変なもったいつけてさ」
「後でちゃんと相談するからさ、お店閉めたら寄ってってよ」
 またいつもの思わせぶりな手かと洋助は苦笑した。
「寄ってってよ」も何も、俺は店の奥で寝泊まりしているのだから、相談事があれば、こっちへ来て、たまには自慢の餃子でも食えよ。それなのに、いつもこちらから行って飲めない酒飲まされてさ。これで結構騙されるんだよなぁ。
 鮨屋の信介が、昔、相当入れ揚げたあげく、女房に見つかり相当揉めていたっけ。それでも、こんな狭い路地の吹きだまりのような商店街で、不思議にマー姐ぇの悪口をいう奴はいなかった。 
 その言動にあまり計算がないように思われていたのか、信介の女房も、そりゃ、一時は荒れまくっていたが、元のサヤに収まってからは、何ごともなかったかのように信介と楽しそうに競馬の予想などしていた。 
 魚も自分にあった水があると生き生きと泳ぐが、同じように見えてもどうしても合わない水だと元気なくしちまうんだと、自称魚博士の信介はいう。マー姐ぇは、自分に合った水の匂いと水域を良く解っていて、賢くて、そして得な性分の女だと洋助も思っていた。

 洋助の店の餃子は、丸くて一口で食べられる大きさのものが6個一皿で160円。豚バラの挽き肉、白菜、春雨、それにいわゆる特殊製法と称する臭いのしないニンニクで構成され、それを白味噌と赤味噌を合わせ、ラー油を混ぜた味噌ダレにつけて食べるという台湾人のコック直伝のものというふれこみだった。
 店の天井からこれみよがしに大きなニンニクが吊るされていたが、常連たちの話では、ニンニクを砕いたりすり潰したりするところを見た者がいないし、特殊製法とはなにかと問いただしても、
「そりゃ、製法上の秘密さ」というだけなので、どうも本当は入っていないんじゃないかというのが、もっぱらの噂だった。
 しかし、餃子の皮を作るため、小麦粉を何度も力を入れて練り上げ、特別に造らせたという製麺機から絞り出し平らに伸ばされた薄皮を調理台の上に置き、ここが見せ場といわんばかりに、丸い金型を右手に持ち、パンパンパンと大きな音をたて勢い良く切っていく姿に、誰もニンニクが入っていようがいまいが、どうでも良くなってしまうのだった。
 洋助は洋助で、この餃子の命は白菜だ。秘伝のうま味を出すには、この淡白そうに見えて、実はまろやかな甘味を醸し出す白菜に限るとこだわっていた。
 しかし、今年の冬は白菜の値が高く、洋助は餃子の中身に頭を悩ませていた。スーパー丸金の親父にどうまけさせようか考えていると、浪人中の能一が声をかけてきた。
「マスター、昼はちょっと早めにいってもいいですか」
「いいよ、11時半頃か」
「えへ、もうちょっと早く」
「その、えへ、っていうのはどうにかならんのか、おまえ、また東大受けるんか」
「えへ、受けろっていわれてるんで」
 能一は、大阪のある有名進学校出身だが、東大を2度も落ちている。洋助の店の裏手にある、古い木造アパートの部屋を借りて試験勉強に勤しんでいる浪人生だ。その玄関に入ると崩れかけた簀の子の上に靴や下駄が散乱している。靴箱兼各人の郵便箱には、時折、訳ありの電報が入っていたりする。
 そこから廊下を挟んで三畳一間の部屋が二列縦隊に並ぶ、二階の一番奥の部屋だ。金持ちの息子なのだから、もっといいところに住めばいいのにと洋助は思うのだが、能一の父親は、贅沢なところからは、懸命さも知恵も出ないという教育方針とやらで、能一はタコ部屋同然の場所で足掻いていた。なにせ夏は蒸し風呂、冬は冷蔵庫並の環境だ。そりゃ、2度も落ちるわけだと洋助は思うが、存外、能一は楽しんでいるようだった。
「何か用事があるのか」
「え、えぇ、ちょっと」
「はっきりしねぇ奴だなぁ。まあいいや、店で待っていろや」
 また模型屋へ行くのか。今度は何が入ったんだ。ソ連のミサイルか、アメリカの潜水艦か。
 能一が言うには、最先端の軍事用武器の情報は、政府の諜報機関や防衛庁、自衛隊などより早く模型屋が手にするのだという。まあ、いつの世も秘密やら機密とやらも金次第ってわけだ。模型屋にいったら最後、メシを食うのも忘れてそこの親父と軍事談義をしているらしい。有名な軍事評論家も常連だという。能一が東大を落ち続ける訳も、この軍事好きが講じてなのかもしれない。なにせ参考書のスペースよりも圧倒的に戦車やら戦闘機やらの模型の箱が多くを占めているのだから。親が知ったら怒るぜ。しかし、最近少し焦り気味だ。今度受からないと次は弟と一緒に受験する羽目になるからだという。
 でも、能一は洋助の店の大事な客だ。ビールはあまり飲まないが、下手すりゃ、週のほとんど昼、夜と餃子を食べてくれる上得意の客なのだ。
 ほかの常連客とくりゃ、ここを何だと思っているのか。ここは安上がりの集会場じゃない。中でも、拾い屋稼業のゲジマユの西原ときたら1本のビールで3時間は粘る。餃子なんか1年に1回注文するかどうかだ。その上この前は、
「マスター、ごはん」と、どんぶりメシだけ注文し、店のカウンターに置いてある味噌ダレをその上にかけて食べ、3時間もそれだけで居続けた。それで、
「マスター、今日はいくらかい」というので、
「今日も、80円」と、洋助がボソッと答えるのを聞いて、他の客の箸が止まりゲジマユの出す小銭を見つめていた。
 ゲジマユだけじゃない。次の日に現れたのは、地震測定器メーカーに勤める地金という男で、彼は生卵持参でメシだけ注文ときた。洋助もこれには苦笑(わら)うしかなかった。
 しかし、この辺りに流れ込んでくる者たちは、お互い知らず知らずのうちに寄り添って生きてゆく術を身につけているのだろう。
 その内のひとりゲジマユは便利な男で、欲しいものを言うと必ず調達してきてくれる。 
 椅子が壊れた時も、
「ちょうどいい丸椅子があったよ、マスター」と、言ってどこからか仕入れて来てくれた。仕入れるといっても、ただ拾ってくるだけだけなのだが。
 ただ、どこに行けば、いつ頃何が落ちているのかを良く知っている。オンボロの軽トラックを自在に操り、これまた拾った台車に乗せてソファやら冷蔵庫やらを運んで来てくれる。うちの常連の貧乏神たちも、かなりお世話になっているから、洋助は、その点は感謝はしている。ただ、酒癖は相当悪く常連達もかなり閉口していたが。
 その店に来る常連達もカスカスな奴ばかりで、育ちも環境も違うのに金がない一点で群れ集まってくる。冷蔵庫に入れるものが買えるくらいなら、たまには餃子を食えっていうんだ。まあ、無理だろうと洋助は諦めてはいるが。哲彌などは、家で冬は冷蔵庫の電源を切って物入れにしているだけだし、夏のあまりに暑い日は足を中に突っ込んで、クーラー代わりにするのがせいぜいだ。
「マスター、冷蔵庫って、何のためにあると思う」と、ゲジマユが言う。
「そりゃ、腐らせるのを遅らせるためだろ」
「違うね、俺の故郷の北海道じゃさ、凍らせないために冷蔵庫があるんだぜ」
 北海道の冷蔵庫には、温めるというスイッチがあると言い張る。
「だから、なんでも冷蔵庫に入れれば腐らないと思う奴は、少なくとも俺の村にはいないぜ」と、『三種の神器のひとつ』への信仰を批判し始める始末だ。
 もっとも言うことにも頷けることがある。洋助も最近の野菜には根性がないと怒っている。昔の野菜はちょっとやそっとでは、いまみたいにヘタりはしなかったもんだ。最近の野菜ときたら情けないくらいすぐ腐ってしまう。だからみんな冷蔵庫なんかに頼ってしまうのだ。田舎の父ちゃん、母ちゃんたち、がんばってくれよ。
 この町は、地図の上では日本の首都、大都市の中心にあるが、この一帯だけは取り残された過疎地帯のようである。置き忘れられた町といったところだ。いや、置き忘れたものが残っている町というべきかもしれない。
 ゲジマユのような連中には、この町は居心地がいいのだ。それは彼らが、癖はあるが明るく暮らす術を知っているからだろう。ただ、金がないだけなのだから、何事も解りやすい。それに金などかけずとも、何ごともできるのだ。いくらだってやろうと思えば、なんでもできるさ。危なっかしい方にいかなければ、だが。
 ゲジマユに『東京拾い物地図帳』を作らせれば結構売れるかもしれない。週刊誌で、『今週の拾い物』という連載コラムを、誰か企画しないものか。ゲジマユなら完璧にこなすのにと洋助は思う。欲しいという依頼者のもとに速やかに届ける拾い屋ゲジマユ。
 その、ピョコたんピョコたんと変なリズムを刻んで歩く、背丈はないが、風貌はさながら成子坂のソクラテスといったところ。獲物を鋭く見分ける眼力は確かだ。使えるか、使えないかを、軽トラックの開きもしない三角窓から一瞬にして見分ける。そして、必要なものを必要な時に調達することをモットーとし、余分なものは拾わない。どこかの狩猟民族の末裔がごとき誇りを胸に秘めている。決して商売気を起こさない、拾い屋なのだ。

「白菜、なんとかならんのかね」
「こっちだって、いつもいつも文句ばっかりいわれてさ。ちっとも儲かりゃしないのに」
「安い時は、潰したりしていて値段調整してさ、高い時はそのままかよ。商売道ってものがあるだろうに」
「それは、川の上の方に言ってくれ。それに、道ってほどのものは、あいにく持ち合わせちゃいないよ」
 洋助が白菜を1ダースまとめ買いする代わりに、ニラ1束とシイタケ1袋を分捕って帰ってきた。白菜を腐らせる前に餃子にして売ってしまわなければならない。そのために新記録の挑戦者を、さて誰にしようかと考えていた。
『ヒゲ』では、1人前6個の餃子を何人前食べられるか。記録保持者の数を抜いたらタダというチャレンジ企画をやっていて、いまは、16人前がチャンピオンなのだ。12、3人前くらいまではスイスイとタダ食いもされてしまったが、16人前までは稼がせてもらっている。挑戦してみるかと水を向けると、丸くて小さいため、タカを括って挑む若者がいて、結構カモになっている。新記録達成には6個×17人前、計102個を平らげなければならない。ひとつひとつはそんなに大きくないが、なかなかのボリュウムで、苦しくなって来ると、
「マスター、中身を多くしちゃダメだ」と、泣き言を言うものも多かった。丸い型をコッソリと大きいものに取り替えて皮を大きくし、具をたくさん詰め込んでいるのじゃないかと疑う奴さえ出てくる始末だった。苦しくなってくると、1個1個が大きく見えてくるらしい。もちろん1個でも残して記録を破れなければ、お代はきっちりといただく。
 洋助の作戦はこうだ。最初は3、4人前を素早く作り、味噌ダレにつけて気持ちよく食べてもらう。味噌ダレは、生まれ故郷の信州信濃の親戚から送ってもらう赤と白の味噌に、横流ししてもらっている松本は善光寺の唐辛子を摺り込み、あとはラー油と、営業上の秘密の例のアレを混ぜて完成させたものだという。この丸く薄い皮の餃子に味噌ダレが絡んで旨いのだ。ゲジマユが、この味噌ダレをメシにかけて食いたいというのも、むろん解らないことではないと洋助は思っている。
 そして7、8人前を過ぎた頃から少し作るペースを落とし、ゆっくりと味わってもらう。唐辛子とラー油の辛味がジワジワと舌、喉、食道、胃袋を刺激していき、コップの水に手が伸びていけば、シメタもの。餃子の皮は水で膨らみ、中身もゆっくりと胃袋を心地よく占領していくのだ。自分でも10人前までがいいところだと洋助は思う。16人前はちょっと無理だ。 
 まあ、罠を仕掛ける猟師のようだが、言い訳を許してもらえるなら、これは自分から言い出した企画ではない。昔からの友で、いまはゴルフのレッスンプロをやっている、永チンが言い出したことなのだ。
「何かさあ、商売だけしてたって面白くないだろ。客だって食うだけじゃ、能がないしさ」というのが、彼の理屈だが、言い出した時、ちょうど持ち合わせがなかっただけらしかった。

 洋助と永チンとのつき合いは長い。その昔、洋助は小笠原の島に行こうとしたが船代がないため、しかたなく貨物船に忍び込み、船底に隠れていたところ船員の永チンに見つかってしまう。それがふたりの出会いだ。洋助を簡単に乗せるわけにはいかないが、かといってまさか海に落とすわけにもいかず、コックの下働きでもして船賃を払えということになったのだった。 
 しかし、その船は、小笠原行きではなく、台湾、香港、インドネシア、フィリピンと、いつ帰れるのかも知れない怪し気な船だったのだ。洋助は、結局1年も船上生活するハメになったが、そこで港で知り合った台湾人から餃子の作り方を教わり、日本に帰ってきてから、店を開くことができたのだ。人生なにが幸いするか解らない。
 それも、もとは永チンのお陰なのだが、洋助より四つ、五つ歳下のこの男にはいつも驚かされていた。いつぞやも甲板員だった永チンは何を思ったのか、甲板の上で船を造り始めたのだ。屋上屋を架すという、無用なことをするという言葉はあるが、船上船を造るとは。
 台湾を出航してからクワラルンプールに着く頃には、立派に4人は乗れるものに仕上がっていた。
 これには船員一同呆れていたが、実際には艀(はしけ)として大いに役立ったものだった。また外国船にその船を使って忍び込み、食い物を盗んできた事もあったらしい。世が世なら海賊になっていたかもしれない。
 永チンはジッとしていることが嫌な性分なのだ。しかし、乗っているものに飽き足らず自分で乗り物を造るのだから少々度が過ぎている。船乗りで船大工、永チンの頭の中では当たり前なのかもしれないが。
 1年間にわたる船上生活を終えて、洋助は永チンにこれからどうするのかを聞いた。
 すると、
「俺は、ゴルファーになる」と、言う。
「なんでまた」と、洋助。
「俺はさ、賞金稼ぎになりたいんだ。チマチマした博打打ちじゃなくてさ、ほら、西部劇でもいるだろ。悪漢を追いかけて追いかけて追い詰めて仕留める。その計画性、その緊張感、そしてその後の解放感、俺の憧れの職業さ。その上、莫大な賞金をいただける。こんないい商売ないだろ。夢だったんだ、小さい頃からのさ」
 いつも永チンは単純で解りやすい。
「でもどうして、ゴルフなんだ」
「今どき賞金稼ぎたって極悪犯捕まえるってわけにもいかないしさ。奴らハジキ持ってるかも知れないし。それにサツってケチだろ、ボンとは稼がせちゃくれないしさ」
どうもよく解らないが、永チンが続ける。
「競馬、競艇選手になるには俺は身体が大きく、また重すぎる。野球選手だっては年俸を月で割って貰うんだっていうじゃないか。俺は気が短いんだ。その日その日で金が決まる。それがいいのさ」 
 結構考えてはいる。
「ま、ゴルフも4日かかるけどな。そして、アメリカへ乗り込みたいのさ。アメリカが日本から巻き上げていった金を分捕って来たいのさ。とにかく賞金稼ぎは、アメリカが本場。日本はせせこましくていけない」
 そういえば、酔うと必ず唄うのが童謡の『赤い靴』とテレビドラマの主題歌『図々しい奴』だった。『赤い靴』は異人さんに連れられて海の向こうに行くが、自分は海外へ賞金稼ぎに行くつもりなのだ。赤い靴を履いて。
 しかし、酔いが過ぎると歌詞が赤い靴のところで空回りして、何度も何度も赤い靴履いてさ、赤い靴履いてさ、と繰り返すものだから、なかなか船に乗れないのだが……。
『図々しい奴』は、その歌詞にある、一に押し、二に押し、三に押し、押してもダメでも引いてみな、は永チンの唯ひとつの人生訓なのだった。
 そうはいうものの、存外押しは弱く、実際永チンも、その目標だった全米プロ選手権はおろか日本オープンにも出場はできなかったのだが……。
〈つづく〉

#俺たちの朝陽 #連載小説 #朝陽 

https://note.com/hashtag/連載小説


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?