見出し画像

【連載小説】俺たちの朝陽[第6章]楽しくなけりゃ草野球じゃない

【楽しくなけりゃ草野球じゃない】
 哲彌は、伊勢のお父が営むレコード店『衆音堂』の中で交渉していた。パチンコで取ったレコードを買い取ってくれと言うのだ。
「え、何があるの」と、お父。
「ええと、井上陽水の『夢の中へ』、りりィの『私は泣いています』、郷ひろみの『よろしく哀愁』、キャンディーズの『危ない土曜日』、森進一の『襟裳岬』、西城秀樹の『傷だらけのローラ』、それに殿さまキングスの『なみだの操』もあるよ」
「まあ、一応売れ筋だけれどね。でもこのシールは剥がしてね」
 シングルレコードを覆っているビニール袋には、パチンコ屋『MIYAKO』の名前と一枚のレコードと交換できる個数が印されたシールが貼ってあったのだ。
 定価は同じはずなのに井上陽水140個、りりィ150個、森進一130個など個数はバラバラだった。パチンコ好きの連中の曲の嗜好を読んだ、『MIYAKO』独自の格付けらしい。
「さすがキャンディーズ、170個だ」
 哲彌は嬉しくなったが、もう手元に置いておけないと思うと少し淋しかった。
「正真正銘、一度も針を落としていないからね。勉強のほどよろしくッ」
「金が欲しいんなら、その場で換金してくりゃよかったのに」と、お父は値踏みしていた。
「聴こうと思っていたんだけど、いまグローブが買いたいんだ。その足しにしたいのさ」と、哲彌。
「そうか、俺もマスターに誘われて入れてもらうことにしたんだ」と、お父。
 お父も昔は高校まで野球をやっていたらしく、本人が言うには結構しぶといバッティングをするという。
 しかし、その身長165センチ、体重100キロを超そうかという体型と、区大会の走り高跳びで見せた姿のせいで、誰ひとり信用してはいなかった。それが悔しいと密かに素振りを繰り返しているらしい。酔っぱらった信介が見たと言うが、それも酔っ払いの言うことでと、無視されていた。

 哲彌は哲彌で酔っぱらった末に、 
「俺の球を捕れるキャッチャーがいたら、参加してやる」と、大言壮語してしまったらしい。後でそのことをコバから聞かされて、内心動揺していた。
 そう言ったからには、5人の自称エースたちを全員退けなければならない。しかし、ボールを握るのさえ7、8年ぶりだ。高校時代のように投げられるか不安がつのる。先輩から昔教わった濡れたタオルでのシャドウピッチングを試みては見たものの、感覚がつかめない。それもそのはず、泊まるところがなく転がり込んだ亀ちゃんの三畳一間の部屋の中での練習だからだ。まだ外でやるには恥ずかしかったのだ。また亀ちゃんがその姿を褒めてくれるものだから、余計照れくさくなって20球あまりのウォーミングアップで止めてしまった。
 その部屋の上では2階に住む能一がせっせと模型づくりに励んでいた。能一もマスターに誘われていたが、なにせ運動とは生まれてこの方まったく縁がなかったので、スコアを付けることで勘弁してもらおうと考えていた。    
 しかし、それはあのマスターのギョロ目が許すはずもなかった。洋助の真夜中の特訓に付き合されたのだった。竹バットを折ってしまったので、まだ珍しかった新品の金属バットを一本買い込んだ洋助は、地金の理論闘争のライバル、綾ベーのいう練習方法に取り組んでいた。それは、白菜を包んでいた新聞紙を丸めてボールに見立て、トスバッティングをするというものだった。そのトス役として能一にお声が掛かるのだ。
 壊れたブロック塀の前に、堅く固めた新聞紙を麻紐でぐるぐる巻きにしたものを打つ。しゃがみながら、下からゆっくりと洋助のベルトあたりをめがければいいのだが、能一は、トスバッティングの経験など勿論無いので、どこに放ってよいのかも解らず、洋助の脛のあたりや胸のあたりに投げては怒られる始末だった。
「ほら、ちゃんと放らないとお前のメガネが吹っ飛ぶぞ」
 そう脅されるものだから、ますますストライクを放ることができない。身体にあたりそうなボールが来るたび、洋助の金属バットは空を切るのだが、その音がまた凄まじい。能一は洋助が塀を壊した時には居合わせてはいなかったが、地金から、その衝撃音の凄さに向い側の店の客が飛び出してきたとか、竹のバットが塀に突き刺さったまま取れなかったとか、嘘か誠か、散々聞かされていたので、なおのこと恐くなりボールの行方が定まらなかった。いつでも逃げられるように腰を引いたままだったからだ。洋助も新聞紙ボールのあまりに手応えの無さに戸惑っていた。バシャッという音はするもののせいぜい数メートルしか飛ばない。しかも力を入れれば入れるほど飛ばないような気がする。
「綾ベー、こんなので練習になるのか」
「飛ばそうと思えば思うほど、飛ばない。飛ばすにはボールのスピードを逆に利用して、はじき飛ばさなければならない。剣道をやっていた割には、古武道の極意が解ってないなぁ」と、綾ベー。
「でもさ、この紙ボールにスピードなんかないぞ」
「重力がいかに掛かっているか解るのに最適な練習方法なんだ。何ごとも重力を見極めることが重要なんだよ」と、綾ベーが理論の一端を披露するが、洋助にとっては、なかなか理解することが難しかった。
「この緩い軌道で落ちる紙ボールの真ん中をを打ち抜くことができれば、時速150キロのスピードも恐れるに足らずだ」
 精神主義者らしい綾ベーの講釈だったが、次の瞬間、能一が放った紙ボールは、洋助の誇る驚異的なパワーにより麻紐が解け、粉砕されてしまった。精神的重力理論さえも打ち砕いてしまったのだった。

 コバは、悩んでいた一年前のことを考えていた。
 その当時、洋服の販売会社に野球の選手として採用され、二番手キャッチャーとしてだが、全国大会に準決勝まで行き、これからはお前の時代だとも言われていた。しかし、これからも実業団で野球を続けていていいのだろうか。プロへの憧れはもちろんあったが、プロの実力は良く知っているつもりだった。コバが初めてプロの選手に憧れたのは、高校時代、野球部の練習休みの日の後楽園球場のデーゲーム、親父と一緒にライトスタンドで見た王と長嶋だった。 
 特に王には圧倒された。王がバッティング練習をしている時だった。打った瞬間、自分の方へ目がけてくるのは直感で解ったが、ちょうど「ホームラン弁当」を食べている時だったので、一瞬弁当に気を取られ落とすまいと左半身を斜めにした。が、その時すでにボールはコバの左肩あたりを襲っていた。なんという打球の速さだとコバは、左肩の痛みと足元に散らばってしまった弁当のことを忘れて呆然としていた。
 その時、王がライトスタンドに向かって、「悪い」という風に手を上げたことだった。確かにそう見えた。
「あんな遠いところから見えるんだ」
 初夏のほんとうに真っ青に晴れた日だったので、ほとんどの人が白いシャツかブラウスを着ていたから、バッターボックスからはボールと一緒になって普通は見分けがつかないはずだろう。それが見えるんだ……。そして、ファンのことを気にかけている。少年の目にその光景は焼き付いて離れなかった。
 次にプロ野球の凄さを実感したのは、高校の先輩が大学の野球部に進んでまもなく、母校に来た時のことだった。当時、大学二年目を迎えようとしていた先輩が、春休み目前で見せてくれたピッチング練習を見た時、深く記憶に刻まれたのは、その先輩の投げるボールのスピードとカーブのキレの鋭さだった。
 高校時代、その先輩は、コントロールは素晴らしかったが、いまひとつスピードと変化球に物足りなさがあったように思われた。それがどうだ。ネット裏でみたその先輩の見違えるような姿に強いショックを感じていた。鋭く曲がるカーブ、上からなだれ落ちるようなドロップ、そしてなにより驚いたのは、ストレートの速さだった。
 しかも、そのボールを大学の二軍でさえコントロールが悪ければ、簡単に打込まれるということだった。その先輩も一年目は練習試合に投げさせてもらったのは、数試合だけだったという。大学野球のレベルでさえ、そうなんだ。ましてや、プロ野球とは、どれだけ凄いんだ、とコバは思った。 
「コバ、野球は深いぞ」
 その言葉が耳について離れなかった。
 コバは、先輩捕手を押し退けてまで出ようとアピールできない気の良さが災いしていた。いまひとつ決め手に欠けているということは、自分でも良く解っていた。しかしこのままいけば、いつか力が衰え、実業団の野球でさえ引退しなければならない。野球で採用されていた自分にいる場所はあるのか。これからも野球を続けていていいのだろうか。二十代前半にして、早や人生の岐路にたっていた。
 そんな時に、ちょうど独立し会社を立ち上げた上司に誘われるままに転職した。しかし、運の悪い時はどうしようもなく、半年もしないうちに大口の取引先の倒産にあい、あっという間にその会社も立ち行かなくなってしまったのだ。次の仕事のあてもなく、喫茶店で時間をつぶしていた時に、同郷の地金に『27時』の野球チームに誘われたという次第である。やることもないので、一も二もなく、馳せ参じた。野球を忘れられなかったのだ。
「ポジションはどこ」と、地金に聞かれ、
「高校からずっとキャッチャーです」と、言うと、
「それは良かった、誰も俺のボールを捕れないだろうというピッチャーがいるので、そいつの球を受けてやってくれないか」
 哲彌のことだ。不安にかられている幻の豪腕投手だ。ボールを捕れない、コバはそんなことは信じられないと思ったが、後日、初練習を見た時にそれは氷解した。捕り手のレベルが低すぎたのだ、そういうことだったのだ。

 そんな面々の集まりだったが、監督の地金は、結構真面目に悩んでいた。地金という名の通り性格は硬く、良く言えば一途だが、ちょっと融通が効かないのだ。
 ほんとうにリーグ戦を一年間やっていけるだろうか。その日だけの競技会ごっことは訳が違うんだから。まだ見ぬ対戦相手を前に、そんな不安を抱えつつ、それぞれの夜明けを待っていた。 
 洋助は洋助で、子供の遊びだと思っていた野球が、やってみると大人でも夢中になれるんだなと感じていた。そして、もともと子供の遊びなんだから楽しくなくちゃいけない。どうも日本ではプロ野球をはじめ、野球を堅苦しくしてしまっていけない。それは、テレビとか、新聞とかの煽り方の問題かなと思った。日本プロ野球といえば日本最高のレベルなんだから、やっている本人たちは、打ったり打ち取ったりしていたら、楽しいに決まっている。打てなかったり、思うように投げられなかったりした時は、少しは落ち込むだろうが、こんなもので、お金が貰えたりするのは幸せなことだと感じているに違いない。 
 マスコミに求められるままに、しかめっ面しているだけかもしれないのだ。洋助は、グローブさえ買えるお金さえあれば、子供時代に楽しくやれたかもしれないと思うと少し悔しかった。でも逆にがんじがらめのセオリーとやらに縛られて、その魅力を味わえなかったかもしれないと思い直した。
 草野球なのだから、とにかく楽しくやろうと決めていた。〈つづく〉

#俺たちの朝陽 #連載小説


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?