02 言葉の解体2 解剖学
「面白い人は最初に言葉がない」
「手を動かしていくうちにだんだんと見えてくる。それまでは感覚的に作るしかない。一旦やりきった後に、客観的に見ることで言葉が生まれるのだ」
「ただ、それを人に伝えるときは、再び言葉を忘れた方がいい」
これは前回紹介した青木淳の発言である。
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このブログはタイトルにある通り、自分の設計言語を破壊してゆく事になる。それは使い慣れた武器を捨て、裸体で戦場にでるということで、勇気がいる行動だ。だがその前に、自分の失敗談を少し聞いて欲しい。
名前をつけること
僕は、卒業設計の前にゼミの後輩と団地のコンペに参加した。応募要項は、寂れた団地の再生手法を求めている。なんとなく団地を歩きにいこう…そこで僕らは、ヨーロッパの窓のような素晴らしい鉢植えや凄い物干し技術を目撃する。(しかもコノ窓、北面…)
「これぞ団地特有の価値を生み出せる希望だ!」
そんなな勢いで様々な団地の知恵を採集した。てゆうか、採集ってこんなに楽しいんだ。笑
そして、団地を隅々まで使いこなす人々に、”ダンチ職人”と名付けた。
さて、彼らの知恵をどう活用しようか。まず見つけた風景をジェスチャーという動詞によって分類した。拡張して『干す』方法だったり、人目から『隠す』、廊下にはみ出してモノを『共有する』方法など。更にこれらを団地の価値に転換するために、収納・プライバシー・コミュニティという3つの属性に分けた。次にジェスチャーから家具などのパーツを作り、グリッドの壁を挿入した室内に埋め込んだ…
しかし、コンペは無残にも負けた。知り合いの先生が審査員だったので話を聞くと、もう少し設計して欲しかった。と
確かに僕らは収集で力尽きていた。笑
だが、ここで一個収穫したことがある。それは、名前をつけることだ。
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解剖学
たまたまこのコンペをやっている時に、養老先生をNHKで見かけた。何やら解剖学の始まりの話をしている。昔、『バカの壁』を読んだこともあり、養老先生のことは好きだった。
「解剖学は名前をつける行為である」
消化器官は、口から肛門までひと繋がりのチューブでできており、酸を出す細胞が存在するか否かで機能が変わる。そこを切り分け、食道と胃と名付ける行為こそ解剖学である。と
この発見は決して0から生まれている訳ではない。AとBという元からあるものに差異を見つけ、名前をつけ、切断する。これこそ新しさの始まりなのだ。当時の僕は、とても共感した。
次回、卒業設計で七転八倒。バイバイ
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