09 子安浜オデッセイ 序章
この建築は、学部 2 年で制作した自邸。それを新人戦、台湾で行われたアジア新人戦、院試のポートフォリオで、何度もなんども自問自答しながらブラッシュアップしたものである。未だにこの建築は、 作った自分でも説明不可能な事象が多く、言葉にすればするほど迷宮に入る。
この建築の一番魅力的な部分は、僕の言語力では表現できない。論理的に分解するほど、建築自身とは乖離していくのだ。
でも、そこがいいのではないかとも思う。この距離感が、建築の本来の姿であると。みんなにもこの迷宮で、ぜひ混乱して欲しい。
そして、コイツと旅に出た日記を、12~14の『台湾記』で書く予定だからそちらもよかったらどうぞ。
では、迷宮の旅、スタートです!
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序章
窓から建築を作る
index
特異な敷地
窓=部屋
窓×路地
窓のネットワーク
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特異な敷地
課題は自邸で、敷地は子安浜という漁村を選んだ。例の如く自分で探した。ネットで見つけて凄い惹かれたのである。
奇妙なことに、その港は埋立地と高速道路によって塞がれている。海は見えない。目につくのは、石山修武が建てたマツダの研究所と汚い煙ばかりだ。
そんなところに果たして漁港があるのか。そんな興味だった。すぐに現地調査にいった。
子安浜に着いた。
すると、すぐに驚きの光景に出会った。
船小屋では、おばあちゃん達が楽しく会話している。そして、のんびり釣りをするオジサン、船上で戯れる猫がいた。みんな自分の世界に没頭している。
なんて素敵な空間なんだ
…ここだけ時間が止まっている。
近代化に取り残された場所。
社会の亀裂というか、明らかに時空が歪んでいた。
全ての悪条件を受け入れている。そんな環境の中に、不思議な豊かさを垣間見た。この現象こそが子安浜の重要な要素だ。この町に棲み着いた、蠢く何かがいる。一体何なんだろう…
この敷地に対する感情が、建築の推進力になった。
「町の構造が強いのではないか」
これは、ゲストクリティークで来た門脇さんもらった言葉だ。
港町というのは、海へ向かう動線が支配してしまう。単調な軸線は、町を退屈させるというのだ。これを弱めたらどうかと言う発言だった。
下図は、それを調査したもの。黄色が、海へ向かう路地を表している。ただの路地だけではなく、建物を削ったりして不思議な空間を作っていた。
そこは、モノが溜まる「くぼみ」としても機能していた。
しかし、人はサッサッと通り過ぎてゆく。
猫もスルスルと走り去っていった。
ポテンシャルがあるのに生かされていない。
路地には、気持ちのよい風がふいていた。
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窓=部屋
時はロマネスク時代。石造りの簡素な教会が流行っている。
ゴシックのように細くない。物凄く分厚い壁で建築が建っている。窓を開けるのも一苦労。おかげで、ほんの一握りの光しか内部に入ってこない。だけど、その光は非常に美しい。
この時に生じているのが奥行きの深い窓。いわゆる異常な「抱き」を持つ窓。もはや、部屋である。
人が座ったり、本を読んだりできる。何とも気持ちよさそうだ。
そうだ、この窓を住宅の基本構造としよう。
窓を起点として居場所を作ろうと考えた。
ひとまず、その光の美しさを探ることから始めることにしよう。
あてもなく、寝室の窓を見ていた。あれ?同じ感じだ…
ただのマンションなのに、なぜ?
決して、かっこいい訳ではない。普通のアルミサッシ。
でも光は美しい。
奇跡的に、抱きと壁が連続していたのである。だから光が何の障害もなく、ゆるやかに壁へ流れて出ていたのだ。
これは大発見だった。
この視点をゲットしてから世界中の窓を見た。そうすると、バラガン邸や堀部安嗣の伊豆高原の家などもこれではないかと思った。
更に思考は進む。
深い抱きを拡大解釈すれば、窓自体が本当に部屋になる。壁を作るのは、抱きを作る行為と同じなのだ。壁を作れば家が建つ。ならば、窓を作れば家は建つのだ。
これで、美しい窓の家ができる。
大満足した僕は、ひとりベッドの上で飛び跳ねた。
窓をみると、モノたちが日向ぼっこをしていた。
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窓×路地
ここで子安浜の話に戻りたい。
路地は、モノが溜まる「くぼみ」として機能していた、と言った。
寝室の窓と、どこか近しい。
門脇さんの「町の構造が強いのではないか」を思い出す。
単調な路地に直交するように「深い窓」を設ければ、人もモノも動物も滞在する「くぼみ」になるのではないか。
だって、美しい光と気持ちのよい風がふいていたら、それだけでみんな集まるでしょ?
窓の光と、路地の風。
この2つの力に、僕は賭けることにした。
結局23個の窓を計画することになった。
それらを結合する。壁を立てるように、窓を組み立てて行った。
普通の家作りとは真逆のプロセスである。
外形を考えて…平面図を書いて…部屋を割って…素材を考えて…窓をつけて…ではない。
「 光・風 → 窓 → 素材 → 壁 → 部屋 → 家 」である。
人間はその空間で過ごしている時、家の全体像を考えるだろうか。肌に触れているのは、素材であり、光や風の粒子である。そこから始めるのが自然ではないか。
まあ、全体性がないという批判はたくさん受けた。当然である。しかし、その前にやらねばならないことが一杯あった。
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ただ用心深い僕は、全体性獲得の準備は整えておいた。一応。
さっき、「美しい光と気持ちのよい風」この2つに賭けると言った。ここでもそれを使わせてもらおう。
窓のネットワーク
窓が光や風、そして時間を伝えあう。窓を通して、家全体と敷地周辺を繋げる。RC 造の厚い窓 (3,4,6,10,14,16,20) をハブとし、居場所となる小さな窓を付属させる。
そして、ハブとなる窓達を1つのサークルにした。
そうすることで、違う場所にいても同じ光や空気を共有でき、 なんとなく家族や地域の人を感じられる。
ゆるやかに皆んなと繋がっているのだ。
結局頼るところは、太陽であり、この地域がもつ不思議な魅力であった。
うんうん、何とかうまくいった。そう思っていた。
しかしながら、少し困ったことがある。敷地の奇妙さを、この建築が超えてしまったのである。ヤリスギタ。ここまでくると周辺関係ない。
そう、浮いているのだ。皮肉にも。
レム的にはfuck contextかもしれない。でも、この建築は敷地調査から始まっている。ワラエナイ。
この頃から、敷地とはお別れしようと思った。君に寄り添っているはずなのに、僕らは無意識に旅に出てしまう。
「君には迷惑をかけたくないんだ…」
よく聞くセリフ。僕らは、無責任にもそう言わざるを得なかった。
振り返り
当初、2年生の講評会では「窓はコンセプトにならない!」と言われ、その後の新人戦では案が紆余曲折することもあった。
でも、最初に考え始めてから3年。 今では、窓がこの建築の核となっている。光や風の粒子、肌に直接触れる床や壁の素材という小さな物質が、建築や地域のパワーに変えられることを示したかったのだと思う。少しルイスカーンと繋がることができた気がする。
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子安浜オデッセイ
10 建築新人戦 in 大阪
11 売れない理由
台湾記
12 異国発表
13 逃走記録
14 夜市の奥に
最終話
15 子安浜大破ス
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