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05 設計ノート1 初めての設計

これは学部2年の話。

「原点にして頂点」という言葉がある。僕の場合、頂点というべき建築は未だにできてないけど、最初の作品で自分の方向性がほぼ決定した。してしまった。

トンガリコーンの由縁
無意識に事を起こしているほど、人をイラだたせるものはない。渋滞の先頭に立つものは、どうやって自分を認識するだろう。前を向いて走っているのだから、後ろは見えない。ルームミラーでもせいぜい1、2台。

まさに、2年生の僕だ。建築のケの字も知らない奴。
でも、「みんなとは違うことをしたい」とボンヤリ考えていた。

課題は、”5m立方内に『空間』を作れ。敷地はどこでもいい。”というもの。一般的には、立方を傾けたり、球体にしたり、綺麗な草原にたて、川につっこんだりと退屈なものだった。

まずは敷地選び。

自然の中で行える最高のパフォーマンスは、フランクロイドライトの落水荘で終わった。もう、誰も勝てないからだ。

ほんなら、僕は汚い路地裏を狙う!

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名古屋にある大須商店街を歩く。そこで一本裏に入った、いい感じに昔が残る場所に決めた。調べてみると2階が空き家で、それをコンセプトにしようと考える。

1階段部分は残して、2階だけを使う。そうだ!ピロティのような形式なら、これが可能だ!

近代建築しか知らない彼は、飛ぶように嬉しかった。かっこいい一昔前の建築と、現実が接続したのだから。コンセプトと形態が一体となって飛躍した瞬間だった。

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でも、この路地の幅はわずか2m。5mは入らんぞ。
「よし。家々を切り開くしかない」

5m立方の穴がポッカリあいた。都市にヴォイドが現れる。なんて、グロテスクな断面なんだ。

傷口にガーゼをあてるように、白い近代建築を挿入した。

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講評会当日。

「これは、建築を作らない方がよかったねえ」

Y先生にエスキスの時からいわれていた。でもその真相はよく分からなかった。続けて先生は言う。

「課題は、『空間』を作れ。と言っている。これは、切開した時にもう完成しちゃってたのだよ」

”5m立方内に『空間』を作れ。敷地はどこでもいい。”

この課題文は、ポジじゃなくて、『ネガ』を欲していたのだ。でも、みんな建築を作る。何十年間、生徒も先生たちもそれを疑おうとはしなかった。この提案が課題に対するアンチテーゼだということを、後天的に知らされたのだ。

建築と空間の違いの他に、もう1つ学んだことがある。

アンチテーゼ。その字面に興味はないが、ただ、その姿勢に快感を覚えたのである。一度やると、忘れられない。みんなとは違うことをする。権力に対して反抗する。これを正義だと思って振りかざす。

建築はそれだけではない。と思ったのは、3年後期だろうか。あらゆるものを面白がる。融和と共存をテーマにしだした。しかし、その頃から僕の建築は突如、色を失った。

スピードも失った。

その話は、おいおい話そう。

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P.S.

敷地模型の作りすぎ
この課題で問題になったことは、もう1つある。それは、敷地模型の方が本模型より凝っていることだ。

どうりで、先生たちは敷地の写真ばかりを撮っていたのか…

確かに、敷地は一週間かかったが、本模型は5時間弱だった。まあ、そのおかげで敷地と白い建築が対比されてよかったが。

でもここで、敷地の重要さを学んだ。建築がなんであろうと、敷地の力が建築の力であると。落水荘だってそうだ。水と森を最大限利用して、名建築になった。「よっしゃ、敷地から作る建築家になろう!」

この半年後、彼は敷地と解散する。お互いのために

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