01 言葉の解体1 忘却とキメラ

大学院の新しい友とオンラインで顔を合わせる日々。リモートはどこか寂しい。

でも、その悲観的な態度はよくないのかな。こんな状況でも頑張ろうとしている世の中に、僕はおいてかれている…と自分を惨めに感じた。

しかしながら今、いつになく建築業界が活気づいている。本来聞けなかったはずの講演会も参加できちゃったりして、お得な気分になる。

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先日、藝大の学部向けの講演会があり、外部も参加できた。住宅課題前という事で、青木淳が企画したのである。

発表者は修士で母の家を設計し、卒業して翌年には完成させた人。僕のような端くれ学生からすると、非常にかっこいい憧れの存在なのだ。

「傑作を建てれるのは一番初めか、晩年の仙人的な境地に達した2回のチャンスしかない」と、

青木淳は会の冒頭で言った。石山修武の幻庵や、コルビュジエのロンシャンを思い出す。それは固定概念がない若い時期か、全てを悟り、様々な足かせが外れた老年期の特権だそうだ。

そこで彼女が発表者として選ばれた。本当に傑作だと思う。敷地の淡路島によくあるビニールハウスの形式を使い、それを住宅に変容していく姿が美しい。

いや、変容ではなく、アナフィラキシーに近い。ビニールハウスの鉄骨が、木造と組み合わせられるのは初めての試みで、大工さんたちは試行錯誤の連続だったらしい。でも、その衝突による新しさや、奇妙さが設計者の優しさで包まれている。挑戦や葛藤が建築の力に転換され、ディテールに溢れ出ていた。

そしてなんといっても秀逸なのは、作品名だ。半分が麦わら、半分がバンダナの農業用帽子があり、その名がつけられている。全然違う形と素材のものがキメラのように組み合わさり、未確認生物がまさに誕生していた。でも、決して対立する物質同士が殺しあうことはない。丁寧に縫いつけられ、少しづつ細胞に適合し、現実に建っていた。

これ以上の話は、いつか淡路にいった時にかいた方がよさそうだ。

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さて発表が終わり、興奮覚めやらぬ僕に、青木淳の言葉が畳み掛ける。

「面白い人は最初に言葉がない」

「手を動かしていくうちにだんだんと見えてくる。それまでは感覚的に作るしかない。一旦やりきった後に、客観的に見ることで言葉が生まれるのだ」

発表者の彼女も悩んでいるさなか、あのタイトルをホームセンターで偶然みつけたと言っていた。

「ただ、それを人に伝えるときは、再び言葉を忘れた方がいい」

…。人は内容が予想の地平外から来た時、脳が停止する。

自分の卒業設計の戦犯がわかった。誰もそんなこと言ってくれなかった。自分の使い古しの武器は、必要なかったんだ。モヤモヤしていた気持ちが一気に晴天へ変わる。やっぱり一流の発言は、鋭い。

この話の続きは、次回。






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