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無職として過ごした8か月

2020年4月8日から2020年12月7日まで私は無職として過ごした。
その中で4月から7月までの間に、デジタルでのマンガの練習も兼ねて描いていたのが『無職ごはん』だ。ちゃんと継続できなかったことは大きな反省なのだが、ここではフリーターとなった現在の視点から『無職ごはん』を読み直していき、無職であった時間について語っていきたい。

無職生活の始まり(4月)

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2020年4月8日、大学を卒業し新天地に居を移した私は無職として新たな生活を始めた。

「せっかく良い大学を卒業したのに」

そのような言葉に対峙すると「へへ……」と卑屈な微笑みを返すことが多い。私自身には特段の後ろめたさや勿体なさといった自覚は無いのだけれど。ただ何となく。

就職活動を一切しないことを決めたきっかけは、友人からのシェアハウスの提案だった。3回生の冬頃のことだろうか。もともと「企業に勤めた状態で長年の目標に向かって何かを行う」という程の器用さが自分には無いだろうと感じていたことも大きいが、背中を押してもらった形になる。

無職の箱庭(5月)

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無職生活を始めて2か月が経った頃、大学時代の貯金を切り崩しながらマンガのネームを描く日々を過ごしていた。新たな土地に越してきたというのに、緊急事態宣言などの影響もあり、なかなか外出できない日々が続いた。行ける場所といえば近所のスーパー、コンビニ、ドラッグストアとそれらを繋ぐ道。少しずつ息が詰まっていった。

「描けないな~」
この頃はそんなことを思いながらただひたすらに時間を浪費していた自覚があった。かといってアルバイト等を始めるでもなく「このご時世だから……」という言い訳に縋っていた。

今振り返ると、この言い訳が世間の早さに対する意識をどんどん鈍くしてしまっていたのだろう。新たな出来事を日々語ってくれる同居人に対して、目新しいトークは返せないのだから。
ただ時間だけはやたらとあるので、過去の引き出しを整理するしかない。
まだ披露していないおニューのアイテムは何かないだろうか。

引き出しをひっくり返してみたが、出てきたのは穴の開いた靴下だけだった。

無職と電波と夜ふかし(6月)

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この頃は聴くものが増えた時期だった。10年以上前から好きな音楽やラジオ番組を聴きながら作業を行う習慣が身についていたが、作業時間が増えたことで普段から聴いているジャンルの音楽やラジオ番組以外にも手を伸ばす余裕が出てきた。

音楽のサブスクリプションはとても有難く、「少し気になる」くらいの軽い興味で様々な音楽に触れる機会を与えてくれる。新たな音楽に触れるハードルを下げてくれていて大変重宝している。TSUTAYAで「旧作〇枚1000円」の時にCDの並ぶ棚を睨めながら、カゴに入れるものを真剣に選んでいた中高時代。最近になって、当時カゴに放り込む勇気が出なかったCDを聴くことも多い。何か長くなりそうなのでこの辺の話はまた別の機会に。

聴くラジオ番組が増えたのは週の楽しみが増えて良いことだが、無職故にリアルタイムで聴くことが出来てしまうのが難しいところだった。生で聴くのは深夜ラジオの醍醐味ではあるが、番組のタイムスケジュールに従うようにして生活リズムがどんどん崩れていった。「駄目だな~」と思いつつもつい夜更かしをして遅い時間に起きてしまう。そんな暮らしでは良い案もなかなか浮かばず、気持ちを切り替えることが難しくなっていった。

駄目さを許容してくれるのが深夜ラジオの良いところでもあるのだけれど、頼りすぎるのも問題かもしれない。

"無"職という名の宙ぶらりん(7月~11月)

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外出自粛のムードも少し緩和され、自転車を手に入れたこともあって少しの遠出をする機会が増えた。鴨川沿いには上裸のおじさんが沢山おり、妙にホッとしたのを覚えている。前々から気になっていた出町座にも何回か映画を観に行くことができ、何だかんだ充実していた。相変わらずマンガはまったく上手いこといっていなかったが。

『無職ごはん』を描いていたのはこの時期までとなる。まだまだ色々とご飯ネタは考えていたのだけれど、どうにも描く気力が保てなかった。というのも、無職生活が続くにつれどんどんと焦りばかりが先行してどうにも身動きが取れなくなっていった。目に見えて減っていく貯金残高、上手く進められないネーム。「いや、働けや」と思われてしまうだろうが、ここまで来たら上手くやってやりたいという意地があったのだろう。
今だと自分でも「いや、働けや」と強く感じる。

とりあえず描いてはいるものの「これは駄目だろうな……」と思うネームを編集さんに見せることもできず、無為に日々を過ごしていた。一番やらなければいけない時期であるにもかかわらず、ここ数年間で最も進捗が無かったといえる。
「以前は深く考えず、ぱっと描けていたのにな。」
そんなことを思いながら、大学時代に描いた原稿を順番に眺めてみたことがあった。恐らく完成原稿400p~450pくらいだろうか。
4年ちょっとでこしらえた厚みを前に感じたのは「滅茶苦茶ヘタだな。」ということ。驚くほど描けていなかった。今でも全然描けていないのだが、それどころではない程に乱雑だった。それなのに何とかなるだろうと考えてやっていた時期のことを思い出し、少し安心した。

無職を振り返って

11月に入ると本格的にアルバイト先を探し始め、12中旬から働くことに。こうして私の無職生活は終わり、フリーター生活が始まることとなった。
働き始めてからひと月ほど経つが、ようやく長い引っ越しを終えたような心地でいる。

なんにせよ就職活動をそもそも行っていないのでネガからの出発ではなく、前向きな選択としての無職だったという訳だ。ESの書き方は無論、見たことすら無い。
勿論学生生活の環境を与えてくれた両親には感謝してもしきれないが、卑屈さを出す必要はないのではないだろうか。
これからは自らの選択に対して誇らしい返答を考えていこう。無職であったことは誇ることでは無いが。
何もない、何でもない時間だったかもしれないが、今後「何かあった」時間として振り返ることが出来るかもしれない。できなった場合は「本当にあの時何もしなかったな」と笑えるように努めたい。

そんなこんなで無職という選択をしたことを私はそこまで深刻に捉えていない。ただ私自身が未熟で新卒の重みなんかを理解していないだけなのかもしれない。
時間が経つにつれ後ろめたさや勿体なさが膨らんでいくのだろうか。
膨らまないように善処していくつもりだが、膨らんでしまったらどうしようか。

もしそうなった時は「へへ……」と返すことにしよう。

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