自分不信、人間不信。

下書きにあったものを少し読みやすくしただけ。
病的なことを言っているなー、と自分でも思っています。


もう、人間不信と言うべきか、被害妄想と言うべきかわからないが。

その人を信用する以前に、その人は信用するに値するという判断をした自分のことを信じられない。そんなくだらない理由で人の言動を無碍にするのも申し訳ない。しかし、結局信じられずにいるので、申し訳なく思うのもきっと免罪符を得たいがためのもので、本心などではないだろう。免罪符を得たいということは、罪悪感はあるはずなので、どこが境目なのかがわからない。

人の言動を無碍にすることに対しての罪悪感はない。が、それでも悪い事をしているというのは嫌なので、罪悪感を発生させて勝手に悪い事への償いをした気になっている?
もしくは、別のことへの罪悪感を置き換え、よりわかりやすくして情状酌量の余地を少しでも増やそうとしている?
後者だとしたら、根本的に何を許されたいのか誰に許されたいのかがわからないし、そもそも許された/許されてないの判断の基準はどこにある?
ルールがあって裁かれるものじゃないのであれば、予防線を張ったって結局それを罪だと認識した対象によるものだから意味はない。
なので私は、異常だとされる自分の部分、存在に対しての共感や肯定、本来否定されるであろう相手に否定されない、などの承認を得て正当化を図っているだけでは?
なんにもならないのに。

それでも、個人情報を教えるなど、信用している場合と同じような行動をとることは多くある。
その行動は、この人になら人生を壊されても諦めがつく、といった理由でなされている。
そもそもの人生が壊れているので、これ以上壊されても大して変わらないという自暴自棄もある。

メンヘラであること、なってしまったこと、嫌で嫌で仕方ない。その原因を憎まずにはいられないし、自分でも小さなきっかけを積み重ねてきたことへの後悔も尽きない。
でも、これに関してはメンヘラでよかったかもしれない、かもしれない。

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