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【奇譚】赤の連還 5 赤い砂

 赤の連還 5 赤い砂

 そうだ、多分、あのとき、レイラは心に決めたのだ。
 実際、自分が掟を破ったのはダンナ様のせいだといわんばかりに、彼女はあくる日から、一言も口をきかなくなった。
 相変わらずこまめに働き、食事の用意も忘れなかった。だが、その口は閉ざされたままだった。
 犯した罪のつぐないか、一日の礼拝は一度も欠かさなかった。床にゴザを敷き、ひれふし、正座し、立っては座り、座っては立ち、それを何度もくりかえす。その間、口では休みなく、なにかを唱え続けるのだ。経なのか懺悔なのか、ただ傍で見ているだけのオレに、分かるはずもなかった。
 オレは、自分のしたことを反省しようとした。成長が早いとはいえ、相手は十二才になったかならないかの小女だ。拒まなかったからといって、犯した罪は大きい。だが、

「レイラは、本当に怒っているのか…」

 オレは自問した。
 彼女はたしかに口をきかなくなった。その様子は、しかし、理不尽な迫害をうけたことへの怒りとは、とても思えない。時たま非難めいた視線でこちらを見るが、それも、深く傷ついた心のなせる業とはおもえない。ともすれば、こちらの気を引くための媚とも挑発ともつかない、怪しい心理の作為にさえ見える。
 現に、小女のどこを探しても、あれだけオレを気後れさせた猜疑の翳りはなく、むしろ断食の苦痛にたえぬいた自信にあふれ、通過儀礼を終えた満足感さえ、ただよわせているのだ。臆病で挑戦的だった視線は姿を消し、大胆でものおじしない眼差しが、そこにあった。それに触れるとき、犯した罪にビクビクする臆病で偽善的な自分の方こそ、むしろあざ笑われているのだと、思い知らされることも、稀ではなかった。そんなとき、オレは、家の問題を持ちだすことで、かろうじて、保護者としての体面を、保とうと努めた。

 居座った不法居住者に、出ていく気配はなかった。 

 しばらく放っておくのが得策だとオレは考えた。出ていかなければレイラに帰る家はない。帰れなければわが家にいる。そのままずっといればよい。

「それで万事、解決ではないか」

 だが、レイラの方は、そうはいかなかった。

「あの家はバアちゃんがのこしてくれた財産だよ、みすみす他人にとられるなんてイヤだよ、それに、ラマダンがおわれば、ここにいられなくなるよ、断食のあいだは肉の関係が禁じられているから、二人をうたがうヒトはいないよ、けれど、そのあとで一つ家にいっしょにいたら、あたい、メカケになった、て勘違いされるよ。そしたら、二度と世間にもどれない、どんな仕打ちをうけるかわからないよ」
「しかし、男を追い出すにしても、カネがなければ」
「いくらかかるかわからないけれど、あした、そのヒトにあって、きいてくるよ、いくらかわかったら、その分、貸してほしいよ、一生かかっても、返すから」

 小女は瞳を潤ませ、哀願した。
 つぎの日、朝早く出かけたレイラが夕方近く、返事をもって帰ってきた。男の条件をきくと、事務所を一軒借りられるほどの法外な値段だった。

「とんでもないヤツだ」

 オレはその一割の値段をつけ、レイラに命令した。

「これで交渉してこい」

 翌日、レイラは、さっそく返事をもって帰ってきた。

「半額ならいいが、それ以下なら死んでも出ていかない」

という内容のものだった。

「いい気なものだ」

 半額といっても、この国なら一生、遊んで暮らせるくらいの金額だ。千載一遇のチャンスに、取れるだけ取っておこうという魂胆か。

「気に入らなければ好きにするさ」

 オレはとりあえず、相手の出方を待つことにした。
 こちらのそっけない対応が功を奏したのか、相手は何度か値を下げてきた。オレは構わず放っておいた。
 ラマダンが終わりに近づくにつれ、レイラも心配顔を隠せなくなってきた。なにしろ直接の当事者なのだ。無理もない。
 あと数日でラマダンが明けるという日の朝、大屋から事務所に電話が入った。契約の更新か金銭にからむ問題のほかは、めったに連絡などしてこない男だ。

「それがなんの用だろう」

 用向きを質そうとするオレを遮って、大家がいった。

 「レイラの病気はなおったのかね?」

 よくなったと答えたが、なぜ彼女が病気だったことを知っているのか、不思議に思った。

「だれから聞いたんですか?」
「ダンナの家から五百メートル四方の住人なら、みな知っていることだがね、で、いつまで、レイラをおいておくつもりかね?」

 白いパリだ、モダンな街だといっても、内実は一昔まえの村社会そのもの、ちっぽけで、さもしい世間なのだ。

「どうして、ひとのことが、そんなに気になるです?」
「ダンナの家は大家の家、つまりワシの家だがね、なにがおこっても、自分の責任、気になるのは、あたりまえだがね」

 そしてこう開きなおった。

「レイラが、もし、ラマダンを過ぎてもそこにいれば、ダンナのメカケになってしまう、ダンナは外国人だ、いつだって帰るヒトだ、だが、残されたレイラは違う、キズもの扱いで、ヨメにもいけなくなる、ワシには婆さんと縁がある以上、それなりの責任があるのだがね」

 断食という聖なる期間には男女の間に悪しきことは起こらない、だが、それが過ぎれば、悪しきことはすべて起こる…なんと奇妙な、不可解な前提ではないか。
 もっとも、大家のいうことには一理あった。
 オレは外国人で部外者だ。もしレイラに万一のことがあれば、部外者がこの国の一小女を巻き添えにしたということになる。養女にするつもりだったと釈明しても、かたくなな世間は承知しないだろう。はやく金を払って男を追い出す以外に道はなさそうだ。
 オレは早めに帰宅し、明朝十時に事務所に来いとの伝言を託し、レイラを不法居住者のもとへ走らせた。
 翌日、指定した時間にやってきた男を見て、オレは自分の目を疑った。居座った男とは、なんのことはない、二年まえの羊祭りの日、老婆をたずねた帰りの路上で出会った、あの行商の屠殺屋だったのだ。
 あの日この男は、レイラの家で生贄の首を切ったのだ。そのときから、あの家を乗っ取ろうと企んでいたのだろうか。行商しながら住める家を物色していたというわけか。
 オレは単刀直入にきいた。

「いくら欲しい?」

 屠殺屋は、数本の黒い歯だけ残した口でニッと笑うと、こちらが最初に提示した半額を要求してきた。話をそこまで戻すつもりなのだ。

「ムリな話だ」

 オレは一笑した。

「たしかに住いは高くつく、この事務所を借りるのだって、倍のカネは必要だ、しかし、ここは四部屋でバス、トイレつき、おまけに都市ガス供給の厨房までついているんだ、オマエが占拠した家は、たったの一部屋でフロもないじゃないか、それだけで七分の一に値は下がるな、あと、忘れてならないのは、地の利だ、ここは首都の中心地、あそこはカスバの上だ、上るにも、下りるにも、汗だくだ、車もいけない離れ小島だよ、あれこれ総合すると、ここの一割の値段でも、高すぎるな」

 日に晒したシワだらけの顔で、ニヤニヤしながらきいていた屠殺屋は、急に顔を引き締めるや、反論を始めた。

「ダンナのいうとおりだがね、たしかにあの家は、比べ物にならないほど小さい、不便だ、だが、ワシにとっては天国だがね、雨風しのいで顔も洗える、安心して眠ることもできれば、クソもできる、クニに残した女房子どもと住む算段がつくのも、あの家があればこそだがね、家族団欒は人生の理想じゃ、それほどありがたいものはないよ、こんなささやかで、当たり前の幸せを、なんでダンナみたいなお偉い方が、壊そうとなさるのかね、とんと合点がいかないがね、それに、ダンナの理屈でいけば、ワシはあそこに一年しか住まない勘定になるが、だれもそんなこと、いった覚えはないよ、ワシはこれから一生、あそこに住むつもりだがね、それこそ十年、二十年、ひょっとして三十年になるかもしれん、そしたら、ダンナの計算、どうなるかね、十年でピッタリ、ワシのいい値になるはずじゃよ、三十年住むなら、ほら、その三倍になるだがね」

 他人の算術を横取りする狡猾さだ。

「なーに、ほんとうは、ダンナに三倍の値を要求するはずだったんじゃが、それを三分の一に削ったのも、どれだけワシが謙虚で心の正しい人間か、分かってもらいたかったからだがね」

 指や手を爬虫類のようにクルクル回し、臭い息を吐いて、得々と屠殺屋は話す。足を組みなおすたびに、よれよれの薄汚いコートから、埃がまいあがった。

「…食えないヤツだ、あきれた心臓だ」

 他人の家に無断で住み着き、いたいけない小女を追い出して、なんの罪も感じていない。それどころか、既成事実に胡坐をかいて、ありもしない権利を主張する。行政の盲点をつき、主張する側に権利が発生することを、よく知っているのだ。
 こちらも、引き下がるわけにいかなかった。

「弁護士もいっていたがね、オマエの行為は違法行為そのものだとさ、許可なく第三者の家屋を占拠する、不法居住そのものだということだ、そんなヤツにびた一文、カネなど出してなるものか、といいたいね、なんなら、こっちから迷惑料でも請求させてもらおうか、ただ、弁護士はこうも言っていたよ、もしこちらが寛大で、貧乏人に喜捨でもする気持ちがあるのなら、宗教的見地から、いささかも矛盾するところはない、とね」

 屠殺屋がいきなり身をのり出し、そら見ろといわんばかりにまくしたてた。

「さすがは弁護士、実にいいことをいいなさる、さっきのダンナの言ではないが、あそこは離れ小島じゃよ、普通の人は寄りつけないがね、法律もなければ役人もいないがね、だから、戦争で壊されたんじゃよ、大勢の人が殺されたんじゃ、ところが、困った人は、みなあそこへ行くんじゃ、不思議とおもわんかね、どうしてか知りたくはないかね、ええ、ダンナ、それはね、金持ちのダンナには分かるまいが、あそこには、神のお恵みがあるんじゃよ、カミの施しものがあるんじゃよ、窓という窓の外に、いつだって食い残しのパン切れがおいてあるじゃろ、ダンナは、それがなにか、知っていなさるかね、ええ、あれはね、食えなくなった人が、いつでも腹の足しにできるように、見知らぬ人が、見知らぬ人のために、置いておくものだがね」

 そこで屠殺屋は、見るからに芝居じみた様子で、天を仰ぎ見ていった。

「ああ、あそこには、ここにあるものはなにもないんじゃ、じゃが、ここにないものが一つあるんじゃ、それは神じゃ、ただアッラーが、あらせられるのみ、アッラー・アクバル、神は偉大なり…」

 かくして、神を讃える言葉が、延々と続く。コーランの一節にも目を通したことのないオレには、相手が一段落するのを、ひたすら待つ以外、術はなかった。
 半時間もしゃべっただろうか。
 巡礼の果てに、息子を生贄にささげる下りで、屠殺屋が、自分の首を息子のそれにみたて、刀で抉る真似をした。いくら無知なオレでも、それくらいのことは知っていた。
 すかさずオレは、応戦に出た。

「オレだって、それくらいは知ってるぞ、巡礼者が、まさに息子の首を抉ろうとしたとき、敬虔な宗教心にうたれた神が、息子の代わりに羊を送ってよこしたんだろ、だから彼と息子は救われた、というわけだ、敬虔な心は尊いものさ、オレもな、オマエの敬虔な心に免じてな、特別いい値の半分で、手を打ってやろうじゃないか、ただし、二度とふたたび、戻ってこないという条件だ」
「半分?」

 屠殺屋は反対した。

「ということは、はじめの四分の一、そりゃ、いくらなんでもヤスすぎるがね」
「それなら三割でどうだ」
「いや、四割じゃ」

 これでとどのつまりは三割五部でまとまることになる。札束二つ彼の鼻先にかざし、オレはきっぱり言い切った。

「これが最後だ、この上も下もないぞ、サイエ!」

 あくる日、事務所から帰ると、戸口にレイラがとんできた。

「あの屠殺屋、出ていったよ、もう家にいないよ、あたい、はしあわせだよ!」

 小女は抱きつかんばかりに喜んだ。オレは彼女を抱きよせ、頬に何度もキスし、うなじの痣に唇を押しつけた。
 小女は身をすくめ、一時、ギュッとオレをだきしめた。汗ばんだ栗色の髪からクミンがにおう。オレはしばらく、記憶の中のレイラのにおいを追うことに、身をまかせた…。

 翌日はラマダンの最終日で、日没後に恒例のクースクースを食べる日だった。レイラは早朝からベランダにゴザをしいてスムールを乾かし、厨房のテーブルに大きな木臼をおいて、準備を始めた。
 ちょうど木曜日で、事務所は休みだった。サハラ殺人事件はその後、なんの連絡もない。たぶん即決裁判で十五年はくらうだろう。上告の必要はない。銃殺にならないだけでも儲けものだ。上告だの裁判だの、つまらないことで、せっかくの休みを返上するのはまっぴらだ。

「さて、ひとりで買い物にでもいくか…」

 レイラが病気で倒れてから、スークはずっとひとりだった。
 その日も、暑い日だった。

「サハラは、砂嵐か…」

 駐車場に車を止めると、ホッシンがめざとく見つけて足をひきずり、間抜けな格好でやってきた。あいも変わらず媚びた目つきで、荷物を持たせろと、しつこくせがむ。追えども払えども、ハエのように寄ってくる。不快きわまりない。その日、ホッシンは輪をかけてしつこかった。

「いい加減に、しないか!」

 オレは、つい、ノラ犬でも扱うぞんざいさで、彼を追っ払おうとした。するとホッシは、逆に形相を変え、顔を青くして歯向かってきた。自尊心に傷がつき、日ごろのうっぷんが、セキを切って流れ出したのだ。
 少年は歯をむきだし、アラブ訛りで一気にまくしたてた。

「レイラはどうした、どこへ行った?病気でダンナの家に行ってから、アイツは消えていなくなったぞ、オマエ、レイラをさらったな、いったい、レイラになにをした、今日はラマダンの最終日だ、苦行のおわる聖なる日だぞ、レイラを返せ、すぐ返せ!もし、あしたになっても帰ってこなきゃ、こっちから出向いて、連れもどしにくからな、邪魔するなよ、手出ししたら、先の保証は、ないからな、よく覚えとけ!」

 にらみつける少年の目は、憎悪で赤く充血し、体は怒りに震えていた。そして喉に仮想のナイフを当て、精一杯の虚勢で、すごむことも忘れなかった。
 少年の猜疑は当たっていた。
 彼が直観したように、実際、オレはレイラを犯したのだ。一人の中年男が、あろうことか、十二才の未熟な小女の体を、気の向くままに、もてあそんだのだ。もし少年が一人前の男なら、オレの首はとっくに抉られ、おそらく陰茎も切りとられて、口の中にねじ込まれていただろう。
 昼すぎに気温は急上昇、背後のアトラス山上方の空からは、赤い砂が熱風とともに、下りてきた。
 レイラは、砂塵を避けるため、ベランダに広げてあったスムールを片づけ、厨房にこもった。締め切った室内の温度はジリジリと上がる。分厚い石壁も、吹きつける熱風を遮ることはできない。遠くでライが流れていた。
 ショーツひとつになったオレは、居間から厨房に通じる大理石の廊下を、裸足で歩きまわった。こうすれば、少なくとも足の裏だけは涼がとれる。それに、調理に専念するレイラの姿を、厨房のドアごしに見ることもできた。

 レイラを抱いてから、オレの中でなにかが変わった。初めて知る新鮮な肉の感触が、頭から離れることはなかった。
 通勤の途中や仕事の合間に、ふとそのにおいや肌の感触を思い出す。すると、隠微な昂ぶりが背筋を走った。
 舌に触れる小女の肌はいつも汗の味がし、クミンが香り、脂で湿っていた。栗色の髪と産毛の残るうなじのほかに体毛は一本もなく、緻密でなめらかな表皮が弾力に富む小ぶりの肉を、抑揚のある起伏で包んでいた。その起伏にそって舌を滑らせるとき、体はどんな些細な挑発にもこたえ、はずみ、精緻な腺を通して豊富な体液を分泌させた。
 向き合った素肌の小女を膝に抱き、汗と脂でむせる脇の下に顔をこすりつけ、はりつめた股間に局部を挿入するとき、歓喜に身の毛が逆立った。だが、潤沢な体液に濡れながらも体はまだ固く、腰を引きながら小女は、訴えた。

「イタイよ、サムイよ…」

 密着した二つの果肉が、異物の先端を押し戻そうと抗うのだ。抗えば抗うほど、しかし、もっと痛めつけたい欲求がつのる。オレはかまわず尻の肉を両手でつかみ、もみほぐし、肛門をやさしくなでてやりながら、すきをみて一挙に付け根まで差し入れる。小女は息をつまらせ、苦しげにうめいてのけぞるが、やがて熱い息を吐き、助けを求めてしがみつく。そのとき、小女のハダは静電気を帯びた羽毛のようにピタリと吸いつき、厚い肉の壁が男根をしめつけ、少しずつ、少しずつ、オレは小女の中にのみ込まれていく。肉圧が押し戻す血が脳に逆流し、嗜虐にはやるオレの頭を、ますます昂ぶらせ、攻め立てていく…。

 日常の色々な場面が契機になった。ふと股間の傷を思い出す仕事の合間、埃と体臭でむせかえる雑踏の中、さまざまな香料のしみついた雑貨屋の勘定台、露店にならぶ羊や牛の首、したたり落ちて溝に流れ込むどす黒い血…なにもかも、小女の連想と結びついた。

 レイラはいま、厨房で料理の準備に専念している。その姿は無心で、快活で、力に満ちていた。汗を拭き拭き、足の裏のわずかな涼を求めて廊下を歩きまわるオレには、ただ小女のたくましさを、うらやむばかりだった。
だがその裏で、淫微な挑発が自分を突き動かそうとしていることも、うすうす勘づいていた。
 優に十卓は並ぶ配膳台にゴザをしき、麦の碾割を広げて丹念に混ぜる。背の伸び切らない小女に配膳台は高く、中ほどに散らばった穀物を混ぜるには、台のまわりを行ったり来たりしなければならなかった。
 足を踏ん張って股を開き、やっと腰の届く台に上体をあずけ、おもいきり伸ばした両腕を左右に振りながら、小女は穀物を混ぜる。外は赤い熱砂の風、窓からさしこむ午後の日は鋭く、額から汗が吹き出し、淡い花柄のワンピースが濡れた肌に吸いついた。ひととおり混ぜおわると場所を変え、小女は同じことをくりかえす。その都度、吸いついた布が乳房の上でひきつり、尻の割れ目にくいこんだ。服の丈は短く、ドアごしにうかがうオレに、腿の上まで見えることもあった。

 オレに抱かれてから、小女は意外な変わり様をみせた。
 相手を拒否し、自分に閉じこもるどころか、心の戒めを解いた巡礼者のように、屈託なく、女らしい性への転身は、ほとんど動物的にさえみえた。ときたま見せる意味ありげな流し目や、それまで想像もできなかった大胆な物腰は、手をさしのべ、力になり、できれば養女にと願うオレを、とまどわせるに十分だった。
 実際、断食後の肺炎から立ち直ったレイラは、日に日に元気をとり戻し、徐々に体力を回復していった。そげた頬に血の気がもどり、ふっくらと、女らしくなった。腕や尻、それに胸にも肉がつき、なにかにつけ薄布の下で、窮屈そうに動き、はずんだ。

 そのレイラが、いま、自分のために、せっせと祭事料理をつくっている。
 廊下が暗く、彼女はまだオレの存在に気づいていない。土地の女がするように、ポニーテールをたくし上げ、花柄のスカーフで押さえていた。汗のしたたる額から、鼻の稜線をたどって目を移すと、襟刳りの隙間から、十分に大きくなりはじめた二つの乳房が、油にまみれた穀物の上で、ゴムまりのように弾んでいる。
 ひととおり混ぜおわると小女は、台のこちら側に移動し、廊下を背にして、また作業を始めた。オレはその場に、そっとすわりこんだ。
 小女の後ろ姿が下から見えた。
 華奢な足首から円錐形の脚が二本、尻の割れ目までのびている。腰に比べ、爪先だった足はとても小さく、ふくらはぎのコブが緊張するたびに、柔軟な膝を介して腿の筋肉が連動し、その先にある股間の微妙な動きを連想させた。
 額の汗を拭い、身をかがめ、オレはその奥をのぞいた。
 小女は下着を着けていなかった。
 尻の向こうに稚魚のエラのような股間が見える。腰が動くにつれ、ヒクヒクとそれも動く。まるで酸素にうえた稚魚のようだ。オレはそれに口を当て、舌と唾液で癒してやりたい衝動にかられた。
 とたんに鼻先でクミンがにおった。血が、様々な分泌物が、鼻腔によみがえった。

 躊躇する余裕はなかった。熱くてたまらなかった。頭は飽和していた。オレは小走りで小女の背後に迫ると、裾をたくし上げ、むきみの股間に顔をうずめ、唇をおしつけた。
 ピクリと体を強ばらせた小女は、仕事の手を休め、配膳台に上体をあずけた。そして、オレの舌先や指の動きに、腰でこたえた。
 準備はできていた。オレは、立ち上がってショーツを脱ぎ捨て、周到な動作で小女の股間に入っていった。
 オレと配膳台に挟まれたレイラは、上体を伸び上がらせてオレを見つめ、

「イタイ、サムイよ」

とくりかえし訴えた。ゆがんだ唇から苦しげな吐息がもれ、オレの頬や耳にかかる。その痛々しさが欲情をそそり、愛しさをつのらせた。
 オレは小女の口を吸い、服を脱がせ、首をとらえ、台の上にねじ伏せた。とるに足りない生命を手にした快感が、背筋を走る。痛めつけたい欲求に胸がおののいた。
 たまらず小女をはがいじめにし、うなじの痣に前歯を立て、髪をわしづかみにして下半身を攻めた。乳房が振り子のように揺れ、はげしい喘ぎが、密着した胸と胸で共鳴する。揺れながら小女は、首を後ろに向けたまま、見開いた目で相手を見つめた。
 ひきつった眉の下の、怪しい光の揺れる黒水晶の瞳が、オレの顔を映してこちらをのぞきこむ。オレは歓喜に震え、嗜虐への誘惑にかられ、蹂躪される小女への愛しさに狂った。
 だが、それでも足りなかった。満たされないものが残った。核心に触れたかった。
 わけが分からなくなったオレは、小女の体中にスムールをなすりつけ、バターとオリーブ油をベタベタ塗りつけた。ヌルヌルした皮膚の下で、つかもうとする肉が、するりと逃げる。逃げる肉を追って全身を撫でまわし、舐めまわし、股間を突き上げ、最奥部を探し求めた。
 そしてやっと、それが自分の先端に触れたとき、小女を抱えたまま配膳台によじのぼると、ふたり一塊なって、転げまわった…。

 疲労と眠気の中で、うとうとしかけたとき、居間の電話がけたたましく鳴った。うだる暑さと、目も当てられない厨房の惨状に、オレは身動きするのも、いやだった。
 床のいたる所に道具が転がり、容器は割れ、空だきの鍋がレンジの上で焼けていた。一面にスムールが散らばり、自分もレイラも、なにもかも、油にまみれてヌルヌルしていた。滑って転ぶか、ガラスの破片でケガでもしないかぎり、床は一歩も歩けない状態だった。
 電話に鳴り止む気配はなかった。

 「そんなに大事な用なのか…」

 腕の中で、レイラがかろやかな寝息をたてて、眠っている。目を覚まさないように、オレはそっと自分を引き抜き、タオルの縁で床を払いながら、そろそろと居間までいった。
 受話器をとると、陰気で不機嫌な現場主任の声が、聞こえてきた。

「ああ、例の、相棒殺しの件だがね、困ってんだよ、収監されたトビが、おかしくなっちまってね、当局に頼み込んで、なんとか雑居房から独房に移してもらったんだが、なにをきいても答えなし、朝から晩までメソメソ泣いてる、ってザマなんだよ、ご本人はそれでいいかもしれんがね、こっちは大迷惑だよ、放っておくわけにもいかんしさ、警察も、肝心の調書が取れないので、相当、困ってるようなんだ、ラマダン明けには施設に送る、て決めてるらしいが、あそこはね、一旦入れられると、一生出られなくなる、てハナシもあってさ、それだけは避けたいんだな、他人事じゃないが、なにしろ想像を絶するところで、人間扱いされないらしいからね」
 
 主任は一息いれたあと、気をとりなおした様子で、現場からの提案だと前置きし、こう続けた。

「とにかく、身内のだれかに連絡して、現場に来てもらうようにしてくれんか、家族と対面した途端、正気に戻る、てこともあるしさ、それに、大使館ともかけあって、外交ルートでもなんでもいいから、本国に強制送還できないものか、当たってみてくれんか、施設でもブタ箱でも、日本ならまだしも、ここ砂漠のど真ん中じゃあ、死んでも死に切れん、犬死同然だよ…」
「…ずいぶん身勝手な発想だな」

 オレは、気どられないように、呟いた。

 いくら途上国だって、歴とした主権国家だ。そこで起こった犯罪は、その国の法律で裁かれるべきだろう。ましてや大使館にかけあうなど、世間知らずもはなはだしい。先日、死亡届けの応対に出た領事の書記官ですら、不快の極致を絵に描いたような顔をしていたというのに。

「身内の件はさっそく本社に連絡します、ただ、外交ルートの方は、ちょっと、非現実的ですね」
「分かっているよ、分かってんだが、ただ、やってみる価値はあるな、てことさ、領事にしたって、迷惑千万な話だからね」
「わかりました、さっそく段取りして、後日、連絡します」

 浴室で水の流れる音がした。レイラがシャワーを浴びているのだろう。ノックをしたが返事はない。把手を回すとロックはかかっていなかった。オレはドアを開け、カーテンを引き、シャワー室に入った。
 レイラは、頭からシャボンをかけ、ジャスミンの芳香に包まれて、体を洗っていた。オレが入ってきたことに驚く様子もなく、打ちつける湯玉をくぐって、ニッコリと笑った。
 湯にぬれたその顔には、邪気のかけらもなく、文字通り、無垢な笑みそのものだった。ぬれた髪が頭に張りつき、小さな顔がいっそう小さく見える。尖った鼻と長い栗色のまつ毛が、愛くるしい。怪しい光を宿していたはずの瞳に、その名残はなく、大きな目が天真爛漫に見開かれていた。真上からみる小女の体は、華奢でほそく、あれほどの肉欲をそそる魅力がどこにあったのかとおもわれるほど、他愛なかった。頬を赤くそめ、目や鼻にうちつける湯玉を、臆した不器用な手つきで何度も拭うさまは、年端もいかない子どもの仕草そのものだった。背が伸びたとはいえ、まだオレの胸のかなり下にある顔をながめながら、オレは、自分のしたことの一部始終を思い返し、胸が痛くなるのを強く感じた。

「レイラには、あの事の意味も喜びも、なにも分かってはいないのだ…」

 だからこんなに無邪気でいられるのだ。

 自分が彼女にしたことは、彼女にとって肉体的な苦痛以外の、なにものでもない。そしてこのオレは、金と立場を利用して使用人を弄ぶ、下衆な便乗主義者そのものではなかったのか。
 オレはレイラを引き寄せると、両手でその頬を支え、たずねた。

「いまのこと、どうだった?」

 小女は、股間に手をあて、いった。

「ここがとてもイタかったよ、それに、クースクースがだいなしになって、とても残念だよ」
「料理はともかく、感じたのはそれだけか?」

 しばらく首をかしげた後、背筋を指さして、レイラはいった。

「ここが、ゾクゾクしたよ」

 オレは、おもわず彼女を抱き寄せ、こう訴えた。

「オマエが好きで、かわいいから、つい、あんなことをしてしまったんだ、オマエを、離したくなかったからだ」

そして、

「二度とこんなことには、ならないから、安心していい、そのためにも、一刻も早く養女になる手続きをしなければ、いけないな」

と強調した。小女は、

「いつでも、ダンナ様のいいときに養女になるよ」

と答え、

「ラマダン明けには出ていくけれど、手続きがおわったら、すぐに、カスバから引っ越してくるよ、約束だよ」

と、湯玉の垂れる口をいっぱいに開け、オレを見上げていった。

 オレはおもわず、その口をほおばり、舌の先で歯茎の表裏を何度も愛撫し、歯並びをたしかめながら数を数えた。小女の歯はまだ小さく、無傷で、玉のようにツルツルしていた。

「レイラ、約束しよう、オレはいつもオマエのそばにいる、だからオマエも、そのままの姿で、ずっとオレのそばにいてくれ、大人になる必要なんか、どこにもないんだ、どうせ垢だらけになって、擦り切れて、最後には、朽ち果ててしまうのだから…」

 とめどなく打ちつける無数の湯玉の中で、小女の歯の数を数えながら、オレは心のなかで、何度もそうつぶやいていた。

赤の連還 5 赤い砂 完 6 赤い謄本 につづく


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