写真とホラー

こんにちは。ホラーが好きなエンジニアです。

ホラーの世界ではいろいろな情報技術が登場します。これはそういうのについてごちゃごちゃ考察してみようという雑記です。

別に既存のホラー作品についてリアリティがないという糾弾をしたいのではなく、情報技術的なホラーを演出したいけど知識がなくて適当になっちゃうという人のために書いています。嘘です。書きたいから書いています。間違いとかあるかもしれないけど自由研究だから許してね。

前置きはここまで。

写真とホラーは切っても切れない関係があります。写真が生まれたのがいつなのか正確には知りませんが、実用的な写真技術は1839年の銀板写真法だそうです。

写真というのはもともと、実際の光をレンズによって適切に写真機内部に投影し、投影部分に感光材料(光の強さや色を物理的に記憶させることができる材料、要するにフィルム)を設置することで、実際の光を焼き付けることで記録するという原理で動作します。銀板写真は銀メッキを施した銅板などを感光材料として使ったので、このように呼ばれています。この後、写真フィルムが発明される前に、心霊写真という概念が生まれたようです。

この頃は写真撮影には非常に長い露光時間(光をフィルムにあつめる時間)が必要だったため、被写体はカメラの前で20分くらい静止していたりしたそうです。そのため、途中で別のものを写り込ませたり、2度露光したりして、心霊写真を作ることが簡単にできたわけですね。

アナログな手法の写真撮影技術は、実際に感光材料にあたった光を物理的に記録することを基礎にしています。したがって、人の目には見えないものが感光材料に焼き付いた場合、それは正しい意味で心霊写真となります。

ここではとりあえず、幽霊が写真に映り込むパターンを検討してみます。

幽霊が写真に映り込む場合、2通りの原因が想定されます。1つ目は、カメラが投影した像にそもそも幽霊が写り込んでいるパターン。2つ目は感光材料にだけ幽霊が写り込んでいるパターンです。

像に幽霊が映り込む、というパターンは非常に現実的(現実的?)だと思います。例えば「鏡はこの世ならざるものを写す」とかありますよね。特定の手法によって幽霊の姿は像を結ぶ、という考え方です。例えば「幽霊の姿を視認できるようになるレンズ」があるとすると、カメラにそれを取り付けることで幽霊の姿を撮影することができるでしょう。あるいは、幽霊を通過した特殊な光に感光する材料があれば、そのフィルムは幽霊を撮影できるフィルムということです。これは「感光材料にだけ幽霊が写り込んでいるパターン」とはちょっと違い、「像に幽霊は写っているが人には視認できない」ということです。

もう少し考え方を柔軟にしましょう。超常的な存在は古来より、占いやらなんやらでその意志を表出してきました。イタコやシャーマンと呼ばれる人々は様々な方法で超常的な存在と交信を行います。これは見方を変えれば、超常的な存在は物理的な現象にその意志をある程度反映させることができるということです。現代的(近代的?)な霊だとポルターガイストなんかもそうですね(そうか?)。というわけなので、幽霊はもしかしたら「カメラの原理を特に知らなくとも力めば写真に写れる」ものかもしれません。これは十分に考えられますね。まあポルターガイストは思春期の少女の超能力という話もあるので、幽霊の専売特許というわけではないですが。

後者のパターン。感光材料にだけ幽霊が映り込むパターンは、あまり現実的ではないかもしれません。このパターンは要するに、光や像には幽霊の要素はなく、幽霊がその物理的な影響力によって感光材料に自分の姿を書き込んだ、というケースです。まあ、そんなに写真に詳しい幽霊がいるのかよという感じなので、ほとんどの幽霊はこの方法を採用できないことでしょう(そもそも光を操って感光材料に情報を書き込めるのなら、普通に自分の姿を投影した像を作るほうが簡単で直感的だと思います)

まあ心霊写真にはいろいろなパターンがあって、手や足などの一部が切断されて見えるとか、なんか幽霊とかじゃないよくわからない神様みたいなものが見えるとか、そういう細かいケースについてすべて考慮することはできませんし、まあ実際のところほとんど全部トリック写真なのでアレなんですが、当然創作の中では心霊写真は本物なので、本物が存在できるオカルティックな根拠というものはだいたいこういう感じになるのかなと思っています。

最近は写真のほとんどすべてはデジタルデータになっています。デジタルデータとしての写真が心霊写真であるパターンもだいたいすでに述べたとおりで、結局の所、レンズを通した光がセンサーの投影されることでデジタルデータ化されるので、普通に心霊写真に写ることができる幽霊や、あるいは幽霊を撮影できるカメラであれば、デジタルデータの心霊写真もアナログと同様に爆誕できると思います。

さて。

写真と幽霊といえば、絶対に考慮しなければならないのが「見る度に撮影されている幽霊が変化する心霊写真」です。ちょっとずつこっちを振り向くとかいうアレですね。あの手の心霊写真は直感的には「写真の中に幽霊が封じ込められている」というイメージになるのですが、まあどうだろう。実際、写真の中に物理的な空間が存在するわけではないので、真面目に考えればそういうことはありえないんですが、そんな事言い始めるとなんにもならないので考えないことにします。

もし写真の中に世界があるとすると、その中に住んでいる幽霊がちょっとずつポーズを変えるのは自然なことですね(そうだろうか?)。あるいは、写真そのものが幽霊によって呪われている――写真そのものが特殊な品物であるというパターンも考えられます。この場合、呪われている写真はもう幽霊にとっては好き放題できるオブジェクトなので、そこに写っている像を操作することくらい朝飯前でしょう。呪いっていうのは多分そういうものです。

しかしデジタルデータになると話が大きく変わってきます。そう、デジタルデータには物理的実体がないのです。いやなくはないんですけど、物理的実体が曖昧なのです。たとえばスマートフォンで撮影した写真は0と1の羅列としての実態を持ち、スマートフォンのストレージに電気的に記録されることになります。じゃあそれが物理的実体じゃないか!電気的に、つまり物理的に記録されてるってことは、その記録を操作する幽霊だっているだろう!まあそういう幽霊も居てもいいでしょう。しかしちょっとまってほしい。これにはいくつもの問題があるのです。

まず「スマートフォンに保存されている0と1の羅列のどこをどう操作すれば像がどう変わるのか、それを理解してコントロールするのは人類には(幽霊にも)不可能」という問題があります。画像のデータ形式ひとつとってもPNG、GIF、JPG、TIFF、その他色々な形式があり、すべて「0と1の羅列をどう解釈して元の写真をディスプレイ上に復元するのか」というルールが違います。そうすると、PNG対応してる幽霊とJPG対応している幽霊でコントロールできる写真データが変わってきちゃうわけです。これはあまりに味気ないというかそんな幽霊嫌すぎる。俺は嫌だ。嫌なんだ。

さらに言えば、写真データをストレージに保存している時とディスプレイに表示している時でも事情が異なります。ディスプレイに表示している間は当然、メモリ上にイメージデータがロードされているわけです。こっちはだいたい色の通りに0と1が並んでいるので比較的操作が簡単なんですが、写真を画面から消せばメモリ上からも消えるので、どこかでだれかが自分の写った写真をディスプレイに表示する度にメモリ上のデータをいじる幽霊というイメージが浮かんできます。これも嫌ですね。

ではデジタルデータで「見る度に動く心霊写真」が腑に落ちる感じで存在することはできないのか?

諦めては駄目です。オカルトの世界には「呪文」という概念があります。音や言葉などの羅列に特別な意味をもたせることで、なんやかんやするアレです。音や言葉、あるいは所作や図形の場合もありますし、それらを組み合わせた一連の儀式ということもありますが、ともかくそういう物理的な一定の特徴によってオカルティックな現象を起こすことができるのです。つまり、「バイナリデータを呪文とみなせばなんでもありでは?」という発想ができます。結局、音も言葉も所作も図形も単なる情報なんで、本来であればコンピューターで処理されることしか考えられていない情報の羅列にも、呪文としての意味を見出すことは不可能ではないでしょう。この場合、データを呪う必要などありませんし、毎回書き換える必要などありません。クラウド化された幽霊は自分を移した写真のバイナリデータを呪文に見立てて、その呪文が唱えられた(つまりイメージデータに変換されてメモリ上にロードされた)ときにパワーを発揮すればよいのです。

完璧な理論だ。なんか涼宮ハルヒの憂鬱でこういうのありましたね。ちなみにこの場合、画像をちょっとでも加工したりすると呪文としてのバイナリデータの羅列が変更されるので、心霊写真ではなくなります。ゴーレムの撃退法みたいですね。

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