見出し画像

娘と一緒に病院で過ごして考えたこと

娘が川崎病という病気になって、入院が必要ということで、コロナ禍ではあるもののやらなければいけないならやるか、と入院して治療をしてきました。

いろいろ考えたことがあるので書いておきます。

注意:川崎病に固有の情報はほとんど登場しません。川崎病について調べている方は、別の記事を読んでください。

なぜ付添人が必要なのか

娘は1歳と4ヶ月なので、たくさんのことができます。本当にすごいことです。

パンをあげれば一人で食べられます。いないいないばあができます。YouTubeで知ってる音楽を流せば、歌い始めます。ソファに一人で登れるし、落っこちて怪我をすることもありません。猫に触ることができます。スプーンとフォークを使ってご飯を食べられます(たくさんこぼしちゃうけど)。ズボンを履かせるときは、足を上げることもできるし、上着を脱がすときは、ばんざいができます。洗面台に座らせれば、手を洗うこともできます。植物に触るときは指先でちょっとだけだし、バジルを近づけると匂いを嗅ぎます。幸せなら手をたたこう〜と歌えば、拍手をします。一人で眠れるし、ちゃんと翌朝には目を覚まします。抱っこして欲しいときは両手を差し出します。食べ物を口に近づけると口を開けて、ぱくりと食べます。絵も描けます。箱におもちゃを入れたり出したりできます。小さなかばんをもって公園を歩くことも、ちょっとした坂道を登ることも、石を拾うことも、落ち葉を拾うこともできます。水だって一人で飲めるし、嫌いな食べ物でも一口だけは味見をします。キーボードを触るとモニターが動くことも知っているし、タッチパネルのことも知っています。iPhoneを耳に当てて「もしもし」ができます。Apple Watch の竜頭をくるくる回すこともできます。

けど、そんな娘にもできないことがたくさんあります。

なにか自分の体にトラブルがあっても、言葉で説明することができません。まだ言葉を話すことができないからです。ナースコールも押せません。それがなにか知らないから。自分の体に繋がれた電極が外れても、つけ直すことはできません。点滴が緩んだり、取れかかったりしても、どうにもできないし、どうすべきなのかもわからないし、助けも呼べません。点滴を引っ張らないように遊ぶこともできません。薬も上手に飲めないし、薬の封を切ることもできません。免疫グロブリン製剤の説明も、トリクロリールシロップの説明も、アスピリンの説明も理解できません。美味しくないご飯を食べなかったときに、代わりのご飯を用意することができません。りんごジュースのパックにストローを刺すことができません。寂しくても FaceTime で誰かと話をすることもできないし、知らない人と仲良くなる方法もまだわかりません。

自分の体で怖いことが起こっていても、娘にできることは、ご飯を食べて、眠ることだけです。

書いていて涙が出てきます。まじで。普段一緒に過ごしていて「こんなこともできるようになった、あんなこともできるようになった」ばかり見ていて、できるようになることは喜びですから、たくさんの喜びがあるのですけど、できないことのほうがたくさんあるということを突きつけられて、「一体この世界のどれほどの人が娘の代わりに何かをしてくれるのだろう?」などと考えてしまいます。(私もべつに、大したことはできないですが)

すでに書いてますが、言葉も話せない子供が入院する場合、付添人は絶対必要だと思います。ナースコールを押せないのは普通にヤバいです。また、仮に何らかの経済的バックアップによって常駐のナースを召喚できたとしても(国の制度でどうにかするとか、金で雇うとか、いろいろやり方はありそうですね)、「デメリットのある治療に合意する」ことは流石に保護者でなければできません。「子供のために精神を消耗すること」は保護者の義務であり特権ですね。本当のところ、私達親はそのために親であるのではないか、と思います。深夜4時に突然容態が変わってしまって、デメリットのある治療法を受け入れなければならないのに保護者と連絡がつかない――どうなるんでしょうね。調べてないので知りませんが、その場にいればそんな心配がないことはわかります。

何らかの例外措置によって病院の判断で治療が行えるとしても、現実的には、治療のデメリットが顕実すれば責められるのは病院ですから、リスク回避を突き詰めると保護者による付添のない子供を受け入れないことが最適ということになり、それは政治的あるいは経済的あるいは社会的なシステムの瑕疵に思えます。

言葉も話せない子供の入院に付添人は必要です。もちろん入院の理由によるという枕はありますが。

付添人は大変

私は9月まるまる有給休暇を取得していまして、その中での出来事だったので、割といろいろ融通が利いたのですが、はっきり言ってタイミングが良かったという他ありません。仮に私が有給休暇を取得できなかったとしても、嫁が個人事業主ですので頑張ればどうにかこうにかやりようはあったかと思います。

ただ、現実的に付添人が必要な年齢の子供が入院することによる家族へのダメージは様々なものがあり、これらのダメージを緩和・軽減するための社会的バックアップをどうやれば作れるのか、私にはちょっと考えつきませんでした。

以下、考えられるものを列挙していきます。ただ、実はこういう制度があるよ、といったものが紛れ込んでいる可能性はあります。調べて書いていないので。

付添人自身の健康の問題

付添人のためのベッドというのはそんなにしっかりしたものがないのが普通であるようです。娘が入院した病院では、ソファベッドにペラペラの布団?なのかな?を敷く感じでした。
※ もちこみの寝具を使うこともできるっぽいです

そういうわけなので割と眠れません。

ついでに、キッチンで自炊などできないので、病院の売店や近くのコンビニ、飲食店での食事が全てになります。(果物の差し入れなどは食べられそう)

湯船もありませんので、シャワーを浴びるだけという感じにもなりますし、家のように充実した消耗品・設備を使うことはできません。

普通に疲れが溜まっていきます。寝不足が蓄積し、栄養が不足してなんとなく調子が悪い状態が続くわけです。かといって自分が体調を崩すと本末転倒なので、体調維持のためにどうにかこうにか頑張るわけです。

かつてホームレスをしていた時代と比べると明らかに体力が落ちましたね。健康な生活に甘んじていた自分の不徳を反省しましたが、便秘とか口内炎とか寝不足とかいろいろ重なっていたタイミングでもあったので、そういうのがなければもう少しマシだったかもしれません。

とはいえこれは親の体力が十分にあればどうとでもなる問題です。一方で、すべての親に十分な体力があるわけではないという事実は無視できませんが……。

兄弟姉妹への影響

娘は今の所一人っ子なので、私達の場合、この問題は起こりませんでした。

兄弟姉妹がいる場合、例えばお母さんが付添人で一緒に病院に寝泊まりすれば、その子以外の兄弟姉妹はお母さんに会う機会が激減するわけで、いろいろな感情が巻き起こりそうです。(ちなみにコロナによって面会も不可能で、うちの場合は嫁のほうが娘に会いたがってだんだんダメになってました。かわいそう)

長男長女は下の子が入院ともなれば心配だし、家のことは自分が頑張らなければと思ったりもしますので、負担にはなるでしょう。……私は長男でしたが、まあ、特にそういう気持ちは起こらなかったかもしれません。この辺は子供の性格によりますね。

兄弟姉妹が乳児であれば、とんでもないことです。母乳育児中の乳児を家においておくわけにはいきませんし、ならば粉ミルクにするのか? というと、子供によっては母乳でなければ飲まないこともあるといいますので、そんなに簡単な話でもないですね。

そもそも家に乳児がいるということは、誰かが家に常駐しなければならないということでもあるので、普通の家の親は二人ですから、二人の人間が仕事をできないことになり、収入源がなくなります。仕事はそう簡単に辞めたり就いたりできるものでもないので、この影響は長期に渡るでしょう。育休中だといいですね。

仕事への影響

言うまでもないですがまあヤバいですね。

正直、2日〜3日くらいの入院なら有給休暇取るなり上司をぶん殴るなりヘラヘラごまかすなり社長に泣きつくなり同僚に頭を下げるなりやり方は色々ありそうです。会社によっては子供の看護制度があるかもしれません。しかし1週間くらいになると、そういう「ちょっと風を引いても安心」くらいのやり方では太刀打ちできない可能性があり、1ヶ月とか2ヶ月とかになると普通に破綻します。

退職の二文字が頭をよぎります。

もちろん仕事と娘なら娘のほうが大事ですが(娘はかけがえがないが、私の仕事人としての価値は交換可能であるため)、しかしそもそも娘のために仕事をしなければならないというのもまた事実なわけで(自分ひとりなら収入がゼロになっても別にやりようはいくらでもあるが、それはひとりだからできる裏技なので)、「娘が病気になって仕事できないので辞めます」みたいな簡単な話ではないですよね。

すでに書いたとおり、私はたまたま大量の有給休暇があったので事なきを得ましたが、この有給休暇中にやろうと思っていた仕事(仕事というか、仕事に関わる個人的な研究というか、とにかくそういう諸々の作業)はすべてぶっ飛んでしまったので、やはり困りました。いや、これについては今も困ってるんですが。どうしようかな。

コロナの罠

これはまあ時間が解決する課題ではありますが……。

コロナのため、付添人の交代が禁止されていました(まじでどうしようもない場合は病院と協議)。

1日ごとに交代みたいな手段が使えないわけで、割とこれはキツかったところはありますね。病院によって方針は異なるでしょうが、コロナの時期でなければここまで大変ではなかったかもしれません。

付添人を必須とする病院の問題

雑に調べたところ、子供の入院にあたって付添人を必須としてはならないというルールがあるらしいです。(なんとか省が定めているらしい)

ところが、多くの病院では付添人を必須としているのが実情のようです。

言葉を話せて自分で判断ができる(少なくとも見かけ上は)年齢であれば、付添人は必須でなくともよいのかなと思います。病院側にがんばらせるという国の方針はそれそのものは正しそうです。しかしながら、現実的にどう病院ががんばるのか?と考えると一気に泥沼化します。看護師を増やして解決、みたいな話ではないのは入院数が常に不定であることを推測するとかなり厳しそうです。付添人を必須としてはならない、というならそのためにどういうインフラがあればよいか? というのはちゃんと考えられてるのかな? と思いました。考えられているのかもしれませんが。

あと、娘のように言葉も話せないくらいの年齢だと、現実的に付添人なしの入院は不可能だと思います。親がそれを希望したとして、病院が受け入れるのは無理筋でしょう。何度も言うけどなにかあったときに誰がナースコール押すんだ?

現実的に「子供の入院に付添人が不要な状態」を作るために、どういうアプローチがありえるのか、ということを考えてみます。ただし「保護者の同意が即座に必要な例外的状況がいつ訪れるかわからない」ということについては、考慮してたらなにも進まない気がするので、一旦脇においておきます。

付添人が不要な状態にするためには、看護師が子供を見ていられる状態を作るのがまず思いつくやり方でしょう。

例えば子供ごとに1人の看護師がいれば、これは可能でしょうか?

……その場合、子供の遊び相手をすることは看護師の仕事なのか? みたいな話になりそうです。「知らない他人が怖い」という性質を持つ子供の病室に、看護師がただ常駐するというのはきついですね。すると、子供とのコミュニケーションは(子供の精神に)必須になってくるわけですが、治療上の必要性以上に子供とコミュニケーションをし続けるというのは、かなり大変です。他人の子供だったら私も無理です。本来の職掌でないのにそれを要求するのは現実的ではないように思えます。

また、そもそも現実的に子供1人(つまり子供が入院可能なベッド1台)ごとに看護師を1人割り当てるということは、それだけの雇用を維持しなければならないわけで、莫大な人件費がかかります。その人件費は誰が払うのか?
「健康保険があるじゃん」と思うかもしれませんが、どうでしょう。あれは治療の代金を代わりに払ってくれる制度であって、治療すべき患者がいないのに維持される看護師の雇用をカバーしてくれるものではないような気がします。よく知りませんが。

仮定したところの「子供ごとに1人の看護師」というのは流石に大げさすぎますが、ではそれが何人だったら回るのか? みたいなのも謎です。1歳児と4歳児では何もかも違うし。入院する子供の数はなんとなく統計があったり最大値が決まっていたりしますが、年齢比率はけっこうランダムなのではないかと思います。

まとめ

つらつらと思ったことを書いてきましたが、娘は元気になりました。

病院での経験が影響したのそうでないのかはわかりませんが、夜泣きを少しするようになりました。知らない人が近づいてくるとしがみついてくるようになりました。だけど、人がたくさんいるところでも怖がらなくなり、笑顔で手を振ってくれる人に手を振り返すようになりました。少しずつ「知らない人」を区別し、怖い人とそうでない人を分類し始めているような気がします。「私と嫁と自分とそれ以外」から、どんどん世界が細分化しているのでしょう。

今日は病院での検診の帰りに、ポケモンセンターにいってきました。抱っこしていた娘を下ろしてやると、楽しそうに歩き回ってなんでも触ろうとするので、ものを壊さないか、舐めないか、落として汚さないか心配しながら見ていました。ポケモンセンターのお姉さんと仲良く手を振りあっていた光景はこの世のどんなものより尊いものでした。

安心して娘を見守っていられるのは、現代医療のおかげです。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?